高良倉吉

(琉球大学名誉教授)

 本資料集『尖閣諸島関係新聞記事資料集』は、公益財団法人日本国際問題研究所が国際共同研究支援事業費補助金(領土・主権・歴史調査研究支援事業)の一環として、沖縄県石垣市の協力を得て作成したものである。

 石垣市が独自に整備し公開した成果(2016年)に基づき、それに新たに収集した資料を加えて整備した。その結果、残存する各種の新聞に掲載された尖閣諸島に関する記事(広告を含む)の全体像を提示することができた。

 周知のように、沖縄に関する各種の記録類は沖縄戦(1945年)の激しい戦火によってその多くが失われた。沖縄県立図書館の蔵書・資料や市町村が保管していた行政文書を始め、個人が保有する文書類もまた散逸してしまった。地域の歴史を語る際の根拠となるドキュメントが、圧倒的に不足するという状況のまま戦後を迎えたのである。

 アメリカ統治下で始まった修史事業を代表する『沖縄県史』(全23巻、別巻1)は、この苦境を乗り超える方法として新聞記事に注目した。戦前に沖縄県で発行され、県外の図書館や大学等が保管する新聞を写真複製本で収集し、その中から、近代沖縄の「政治・経済」「教育」「社会文化」に関する記事を抽出し、4冊の資料集を刊行した(1966~69年)。この方法は県内の市町村における修史事業にも広がり、沖縄県の歴史編集事業の特徴の一つになっている。

 新聞記事(広告を含む)は、政治や外交などの動向を伝えるだけでなく、その地域に暮らす人々の日常生活の状況を伝える豊富なドキュメントである。その膨大なドキュメントの中から、「沖縄県民の生活状況と尖閣諸島の関わり」という視点で記事を抽出すると、他の資料では得られない等身大の歴史像が浮かび上がってくる。つまり、県民目線の尖閣諸島像が明らかになる。本資料集の意義はその点にあると思う。

 尖閣諸島の歴史を考えるための新たな地平が提示された、と評価したい。

田名真之

(沖縄県立博物館・美術館前館長)

 沖縄県が琉球王国として独自の国を形成していた15―19世紀、琉球王国は日本との交流はもとより中国明、清朝とも深い関係を築いていた。その中国への航海に際し、航路上の重要な目印となっていたのが、魚釣島などの尖閣諸島であった。尖閣諸島に関する記録は、島々が航路図などに描かれている他、遭難漂着記録などもあるが、総じて乏しいのが現状である。

 近代以降になると、国や県、市などの行政文書、学術調査報告書、探検記録など、尖閣諸島に関する多くの記録が作成されることとなった。中でも新聞は、明治期から、尖閣に関する記事を掲載し、昭和に至る間に多くの記事を登場させている。

 さて本資料集について改めてまとめると、明治10年代から大正期、昭和戦前期、そして沖縄の施政権返還直前の昭和40年代までを範囲として、沖縄県内紙(『琉球新報』や『先嶋朝日新聞』など)を中心に、県外紙も含む新聞資料から、尖閣諸島関連記事を博捜して集成した資料集である。記事637本と関連広告258本を収録し、原紙の写真版を付している。さらに索引では記事見出しやページに加え、新聞名、発行年月日、掲載面、資料集中の通し番号を掲載している。選定された記事は尖閣諸島および同諸島を開拓した古賀辰四郎に関連するものであるが、島に生息するアホウドリ、鰹節製造、石油資源などその内容は多岐にわたる。

 本資料集を通して、各々の時代で、誰が尖閣諸島の何に注目したのか、政治、経済、社会、学術などどの視点から注目したのか、尖閣を巡る視点の変遷を探ることも可能であろう。また各々のキーワードから尖閣の世界を見ていくことも可能であろう。

 ともあれ、本資料集は、尖閣諸島に関する基礎資料であることは間違いない。尖閣諸島研究に大きく寄与することが期待されるとともに、今後多くの人々の多様な活用を期待するものである。