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せん閣油田の開発と真相/ その二つの側面
原文表記
せん閣油田の開発と真相 その二つの側面
南西新報 昭和四十五年八月十八日
七、十九年前から独自で調査
ひるがえつて十九年前からグリンタフ(緑色凝灰岩)地域としての沖繩 宮古 八重山等の琉球しゆう曲帯及び尖閣列島周辺海域の石油天然ガス資源の賦存状況に注目していた私は、天然ガス、地質、海水、さんご有こう虫等について大阪府立工業奨励館を主体に工業技術院地質調査所等七ケ所の研究機関に定量定性分せきを依頼、竹富島に於ける層序的地質調査のためボーリング等の調査研究を進めるにつれ、同地域にとてつもない石油資源が埋蔵するとの確信を得るという、はからずもエカフエの調査と同じ結論に達着した。尚調査の詳細については私が以前に公けにした「八重山竹富島を中心とする石油、天然ガス鉱床調査報告書(一九六六年三月)」。「先島(せん閣列島を含む)石油調査報告書(一九六九年三月)」「せん閣列島周辺海域大陸棚に於ける石油鉱床説明書(一九六九年十二月)等に述べている。
石油の根源岩である海成新第三系の堆積層とその分帯の層序的対比、及びそれに伴う背斜―しゆう曲構造帯の分布状況からみると同油田は男女列島から尖閣列島を経て、南西端の外縁は台湾の花連から与那国‐西表‐石垣と連なるいわゆる―東支那海‐台湾北部‐琉球しゆう曲帯に現在採油中の台湾の新竹油田と油脈を同じくして広範囲に跨つている大油田と見なされた。
そこで私は同油田の開発にのりだすため、一九六三年、八重山の竹富島を皮切りにせん閣列島海域にまで及ぶ石油鉱業権の設定に着手することにした。設定区域が広域に跨るので申請作業を容易にするため、全体を五つの区域に分け、手初めに沖繩の三カイリ内の領海領域等(AB地区)へ鉱業権を申請し、漸次そのわくを領海外の大陸棚地域(CDE地区)に拡大して行く順序で計画を組んでみた
A、本島、宮古、八重山西表、与那国等及びその領海域
B、せん閣列島及びその領海域
C、アメリカの施政権の管轄地域内の同列島周辺領海域。
D、アメリカの施政権の管轄地域外の同列島北東海域。
E、アメリカの施政権の管轄地域外の同列島西方海域。
当計画は、個人の力を越えることゆえ、資金ひつ迫等の理由でその進ちくよは難渋をみたが六六年迄に一次計画としてのAB地区への申請作業はほぼ完了したその間にE地区を除くCD地区への申請図面等の準備は既に整えていたので、同地区への申請の法制面での検討と申請料の工面に仕事が集中されることになつた。一九六八年、エカフエのCCOPの発表により一躍、せん閣油田が脚光をあびる。
それと時を同じくして米民政府から高等弁務官布告第二七号「琉球列島の地理的境界」に規定されたアメリカの施政権の管轄地域の領海域であるC地区への申請に法的問題なしとの解答あり、直ちにC地区及び隣接国と中間線で折半分画したD地区への申請にとりかかつた。
八、石油開発公団、利権獲得にのりだす
日本政府筋も以前から同油田に着目しCCOPの発表を契機して本格的に調査費等の予算を計上していた矢先私が二次計画の第一階梯として一九六九年二月二日三日、G地区への五、二一九件におよぶ鉱業権の申請に踏み切つたのに喫驚、それから遅れること一週間、石油開発公団(全額本土政府出資)が当計画を察知して急遽来島した。事態の進展に当惑した公団は苦内の策として公団職員である沖繩出身の古堅総光氏の名義をかりうけ、数週間後に私の申請計画の次に予定されていたD地区及び申請済のC地域の一部に跨つて鉱業権を申請した(約七五〇〇件二月十一日)。公団はその前に、同油田の開発の意向とそのための鉱業権に関することで私に面会を求めて来たが、その時既に同油田は、日本の某石油会社と石油利権協定による生産分与方式で開発される手筈になつていた。そこで私が公団の開発の申し入れに即答を避け、後日返答するとの約束をとり交した。
更に私は同油田に関するこれまでの調査報告を即日、公けにする予定であつたがこの席での公団側の申し入れでとりやめにした。
その翌日、古堅氏の名義で申請がなされたのであるが今にして思えば、公団側のいま暫く調査発表を控えてくれとの私への要請とその翌日と云うスピーデイな申請は、同油田の存在が公けになり世論が監視するを懸念してそのため早急にとられた措置であろう。そのことに就いて公団側はいみじくも「沖繩の本土復帰で同海域が日本領海になる日に備えての鉱業権の確保 (池辺公団探鉱部長の話)とせん閣油田への進出の意図を説明している。
しかしながら、沖繩の地下資源に対する鉱業権の設定は地下資源の開発により沖繩自体の繁栄と住民福祉の増進に寄与させんがため鉱業法(明治三八年法律第四五号)第五条でその資格者を「琉球住民又ハ琉球法人ニ非ザレバ鉱業権者トナルコトヲ得ス」と厳しく規定している。
公団の古堅氏を名義人にした申請は古堅氏が琉球籍を有するものであれ、申請に必要な図面料、申請手数料等の経費は全て通産大臣の認可を受けた事業計画及び資金計画、それに伴う予算(石油開発公団法第二二条)に公団名義の出資として組まれておれば、実質的には公団自身の申請とも見なされ、鉱業法の規定に反するといわねばならないだろう。
現代仮名遣い表記
せん閣油田の開発と真相 その二つの側面
南西新報 昭和四十五年八月十八日
七、十九年前から独自で調査
ひるがえって十九年前からグリンタフ(緑色凝灰岩)地域としての沖縄、宮古、八重山等の琉球しゅう曲帯及び尖閣列島周辺海域の石油天然ガス資源の賦存状況に注目していた私は、天然ガス、地質、海水、さんご、有こう虫等について大阪府立工業奨励館を主体に、工業技術院地質調査所等七ヶ所の研究機関に定量定性分せきを依頼、竹富島に於ける層序的地質調査のためボーリング等の調査研究を進めるにつれ、同地域にとてつもない石油資源が埋蔵するとの確信を得るという、はからずもエカフェの調査と同じ結論に達着した。尚調査の詳細については私が以前に公けにした「八重山竹富島を中心とする石油、天然ガス鉱床調査報告書(一九六六年三月)」。「先島(せん閣列島を含む)石油調査報告書(一九六九年三月)」「せん閣列島周辺海域大陸棚に於ける石油鉱床説明書(一九六九年十二月)等に述べている。
石油の根源岩である海成新第三系の堆積層とその分帯の層序的対比、及びそれに伴う背斜―しゅう曲構造帯の分布状況からみると、同油田は男女列島から尖閣列島を経て、南西端の外縁は台湾の花連から与那国‐西表‐石垣と連なるいわゆる―東支那海‐台湾北部‐琉球しゅう曲帯に現在採油中の台湾の新竹油田と油脈を同じくして広範囲に跨っている大油田と見なされた。
そこで私は同油田の開発にのりだすため、一九六三年、八重山の竹富島を皮切りにせん閣列島海域にまで及ぶ石油鉱業権の設定に着手することにした。設定区域が広域に跨るので、申請作業を容易にするため、全体を五つの区域に分け、手初めに沖縄の三カイリ内の領海領域等(AB地区)へ鉱業権を申請し、漸次そのわくを領海外の大陸棚地域(CDE地区)に拡大して行く順序で計画を組んでみた。
A、本島、宮古、八重山、西表、与那国等及びその領海域。
B、せん閣列島及びその領海域。
C、アメリカの施政権の管轄地域内の同列島周辺領海域。
D、アメリカの施政権の管轄地域外の同列島北東海域。
E、アメリカの施政権の管轄地域外の同列島西方海域。
当計画は、個人の力を越えることゆえ、資金ひっ迫等の理由でその進ちょくは難渋をみたが、六六年迄に一次計画としてのAB地区への申請作業はほぼ完了した。その間にE地区を除くCD地区への申請図面等の準備は既に整えていたので、同地区への申請の法制面での検討と申請料の工面に仕事が集中されることになった。一九六八年、エカフェのCCOPの発表により一躍、せん閣油田が脚光をあびる。
それと時を同じくして米民政府から高等弁務官布告第二七号「琉球列島の地理的境界」に規定されたアメリカの施政権の管轄地域の領海域であるC地区への申請に法的問題なしとの解答あり、直ちにC地区及び隣接国と中間線で折半分画したD地区への申請にとりかかった。
八、石油開発公団、利権獲得にのりだす
日本政府筋も以前から同油田に着目し、CCOPの発表を契機して本格的に調査費等の予算を計上していた矢先、私が二次計画の第一階梯として一九六九年二月二日三日、G地区への五、二一九件におよぶ鉱業権の申請に踏み切ったのに喫驚、それから遅れること一週間、石油開発公団(全額本土政府出資)が当計画を察知して急遽来島した。事態の進展に当惑した公団は苦内の策として公団職員である沖縄出身の古堅総光氏の名義をかりうけ、数週間後に私の申請計画の次に予定されていたD地区及び申請済のC地域の一部に跨って鉱業権を申請した(約七五〇〇件二月十一日)。公団はその前に、同油田の開発の意向とそのための鉱業権に関することで私に面会を求めて来たが、その時既に同油田は、日本の某石油会社と石油利権協定による生産分与方式で開発される手筈になっていた。そこで私が公団の開発の申し入れに即答を避け、後日返答するとの約束をとり交した。
更に私は同油田に関するこれまでの調査報告を即日、公けにする予定であったが、この席での公団側の申し入れでとりやめにした。
その翌日、古堅氏の名義で申請がなされたのであるが、今にして思えば、公団側のいま暫く調査発表を控えてくれとの私への要請とその翌日と言うスピーディな申請は、同油田の存在が公けになり世論が監視するを懸念して、そのため早急にとられた措置であろう。そのことに就いて公団側はいみじくも「沖縄の本土復帰で同海域が日本領海になる日に備えての鉱業権の確保(池辺公団探鉱部長の話)とせん閣油田への進出の意図を説明している。
しかしながら、沖縄の地下資源に対する鉱業権の設定は、地下資源の開発により沖縄自体の繁栄と住民福祉の増進に寄与させんがため鉱業法(明治三八年法律第四五号)第五条でその資格者を「琉球住民又ハ琉球法人ニ非ザレバ鉱業権者トナルコトヲ得ス」と厳しく規定している。
公団の古堅氏を名義人にした申請は、古堅氏が琉球籍を有するものであれ、申請に必要な図面料、申請手数料等の経費は全て通産大臣の認可を受けた事業計画及び資金計画、それに伴う予算(石油開発公団法第二二条)に公団名義の出資として組まれておれば、実質的には公団自身の申請とも見なされ、鉱業法の規定に反するといわねばならないだろう。