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スケツチの旅 せん閣群島

掲載年月日:1969/5/17(土) 昭和44年
メディア:南西新報 1面 種別:記事

原文表記

スケツチの旅 せん閣群島
南西新報 昭和四十四年五月十七日

    絵と文 西 表  信
幼少の頃より幾久しくこの島にあこがれていたことか。
距離的には近くにあつても便船の都合や機会等にも恵まれぬせいか、東京よりもアメリカよりも遠くむしろ人間が行くことの出来ないおとぎの国のような遙か彼方の夢の島のようにさえ思えた島である。
今回、市の標柱と慰霊塔の建立のため島へ渡る人々の取材のため同行が認められると胸躍る思いで五月九日の夕刻、住吉丸に便乗した。
夕闇み迫る頃船は観音岬から北極星に向い一路北上した。船尾に向くと石垣島が南の水平線に没する頃雲一つない暗いバーミリオンの空には星座が一層近くに感じられ、黒い海をすべる航跡はシルバーに光り美しい。
久しく船旅をしたことがないせいか船酔いが始まるので持参のウイスキーの力をかりて船酔いとの対決をしていると遂にアルコールの勝利となり、そのまま夜露にぬれて夢路をさまよつた。
三時間は寝ただろうか汐騒にマクラをゆすぶられ眼をさますと、東天が白々と明け始め遙か西方の洋上には下弦の月が白く光り明けの明星が中天に赤くにぶい光を放っていた。夜明けとともに眼前にびょうぶのようにそそり立つ島はかつて予想していたような平面的な島ではなく黒くけわしい山の中腹には雲がたなびき、一幅の山水画を見るようで段々近距離に迫ると海岸の岩の間を時々セグロアヂサシの群れが鳴いて通りすぎる。
夕べ船酔いで疲れきつていびきをかいていた人々もデツキにあがり一精にカメラに余念がない。
腰をかけた遺族の人々は二十四年前の悲劇を回想するかのように静まりかえり、溜息をついてじつと眺めている眼には涙さえ光つていた。かつてかけがえのない叔父を海で失つた時、この島に生きているのではないかとの噂さに叔父の無事を心から日々祈つていた時もあつたのにー今目前にを上陸ひかえて複雑な想いが去来するのだつた。
絵(船上より魚釣島 南小島・北小島を望む)

現代仮名遣い表記

スケッチの旅 せん閣群島
南西新報 昭和四十四年五月十七日

    絵と文 西 表  信
幼少の頃より幾久しくこの島にあこがれていたことか。
距離的には近くにあっても、便船の都合や機会等にも恵まれぬせいか、東京よりもアメリカよりも遠く、むしろ人間が行くことの出来ないおとぎの国のような遥か彼方の夢の島のようにさえ思えた島である。
今回、市の標柱と慰霊塔の建立のため島へ渡る人々の取材のため同行が認められると、胸躍る思いで五月九日の夕刻、住吉丸に便乗した。
夕闇み迫る頃、船は観音岬から北極星に向い一路北上した。船尾に向くと石垣島が南の水平線に没する頃、雲一つない暗いバーミリオンの空には星座が一層近くに感じられ、黒い海をすべる航跡はシルバーに光り美しい。
久しく船旅をしたことがないせいか、船酔いが始まるので、持参のウイスキーの力をかりて船酔いとの対決をしていると、遂にアルコールの勝利となり、そのまま夜露にぬれて夢路をさまよった。
三時間は寝ただろうか、汐騒にマクラをゆすぶられ眼をさますと、東天が白々と明け始め、遥か西方の洋上には下弦の月が白く光り、明けの明星が中天に赤くにぶい光を放っていた。夜明けとともに眼前にびょうぶのようにそそり立つ島はかつて予想していたような平面的な島ではなく、黒くけわしい山の中腹には雲がたなびき一幅の山水画を見るようで、段々近距離に迫ると海岸の岩の間を時々セグロアジサシの群れが鳴いて通りすぎる。
夕べ船酔いで疲れきっていびきをかいていた人々もデッキにあがり、一精にカメラに余念がない。
腰をかけた遺族の人々は二十四年前の悲劇を回想するかのように静まりかえり、溜息をついてじっと眺めている眼には涙さえ光っていた。かつてかけがえのない叔父を海で失った時、この島に生きているのではないかとの噂さに叔父の無事を心から日々祈っていた時もあったのに―今目前にを上陸ひかえて複雑な想いが去来するのだった。
絵(船上より魚釣島、南小島・北小島を望む)