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阿蘇號遭難事件詳報
原文表記
阿蘇號遭難事件詳報
高嶺署長の名指揮 慶運丸の救助狀境必死の奮闘酬ひらる
海南時報 昭和十五年二月十一日
▼基隆にて浦添社長七日發本社着特電▲ 五日午后四時五十五分 尖閣列島魚釣島に不時着陸せるダグラス機阿蘇號救援のため五日午后七時 現場に急航した慶運丸は逆巻く怒濤と闘ひ翌六日午前五時 同島に到着した これより先大阪商船の勝泳丸が現場に行きたるも魚釣島西北岸に火を認めながら激浪のため近づくこと能はざる旨 無電連絡あり 八重山島警察署長高嶺世太氏の一絲紊れざる指揮下に慶運丸は同地に折よく基隆より出漁中の開榮丸に連絡をとり同船に巡査長部仲本孝淸氏を乘船せしめて捜査を開始 金生丸より全員十三名 無事 魚釣島の西北岸に乘陸し居るとの報に接し直ちに救援作業に着手せるも同島は周圍断崖絶壁にして然も風浪激しく漁船すら よく近づき得ないので止むを得ず遭難者を風下に移動するやう信號し慶運丸は適當の上陸地點に廻航 鹽田ボースン以下四名をしてボートを卸さしめ白浪蹴つて現地に赴くや船員も乘客も萬歳の声止まず 一方 遭難者は昨五日夜來の疲勞を忘れて岩石によぢ登り又 下りて救助隊に迎へられて海岸に着す 他の救助船 勝泳丸 照南丸及び七星丸も基隆より來り慶運丸の後を追ひボート隊を編成して救援作業を應援 こゝに救助競漕が展開されたが慶運丸のボートが断然 一番乘りをなし五回にわたりて必死の努力を以て遭難者十三名をボートに救ひ上げ高嶺署長乘船■漁船開榮丸に移した
かくて絶望視された今回の阿蘇號救援作業は八重山署の時宣よろしき指揮と神保船長以下船員の勇敢なる行動により無事 全員を救助することを得たり 時に六日午前十時二十分 尚 同船伊藤無電局長は終日 飯もとらず連絡に奮■せり 又 内臺機ツクバ號は六日午前八時半 僚機を氣遣ひ現地に飛來 通信筒 食糧品及び防寒具を投下して臺灣との連絡を緊密にして健闘これ努め救助可能と認め二時間にして歸臺せり
遭難者は元氣旺盛 慶運丸 て基隆へ向ひ宮民多數の出迎へをうけ感謝の挨拶をなして七日午前一時 臺灣鉄道ホテルに生還二夜の夢を結んだ
現代仮名遣い表記
阿蘇号遭難事件詳報
高嶺署長の名指揮 慶運丸の救助状境必死の奮闘酬いらる
海南時報 昭和十五年二月十一日
▼基隆にて浦添社長七日発本社着特電▲ 五日午後四時五十五分、尖閣列島魚釣島に不時着陸せるダグラス機阿蘇号救援のため五日午後七時 現場に急航した慶運丸は、逆巻く怒濤と闘い翌六日午前五時、同島に到着した。これより先大阪商船の勝泳丸が現場に行きたるも、魚釣島西北岸に火を認めながら激浪のため近づくこと能わざる旨、無電連絡あり。八重山島警察署長高嶺世太氏の一糸乱れざる指揮下に慶運丸は同地に折よく基隆より出漁中の開榮丸に連絡をとり、同船に巡査部長仲本孝淸氏を乗船せしめて捜査を開始、金生丸より全員十三名、無事、魚釣島の西北岸に乗陸し居るとの報に接し、直ちに救援作業に着手せるも、同島は周囲断崖絶壁にして然も風浪激しく、漁船すらよく近づき得ないので、止むを得ず遭難者を風下に移動するよう信号し、慶運丸は適当の上陸地点に廻航、鹽田ボースン以下四名をしてボートを卸さしめ、白浪蹴って現地に赴くや船員も乗客も万歳の声止まず。一方、遭難者は昨五日夜来の疲労を忘れて岩石によじ登り又、下りて救助隊に迎えられて海岸に着す。他の救助船、勝泳丸、照南丸及び七星丸も基隆より来り慶運丸の後を追いボート隊を編成して救援作業を応援、こゝに救助競漕が展開されたが慶運丸のボートが断然一番乗りをなし、五回にわたりて必死の努力を以て遭難者十三名をボートに救い上げ、高嶺署長乗船■漁船開榮丸に移した。
かくて絶望視された今回の阿蘇号救援作業は、八重山署の時宣よろしき指揮と神保船長以下船員の勇敢なる行動により、無事全員を救助することを得たり。時に六日午前十時二十分、尚同船伊藤無電局長は終日飯もとらず連絡に奮■せり。又、内台機ツクバ号は六日午前八時半、僚機を気遣い現地に飛来、通信筒、食糧品及び防寒具を投下して台湾との連絡を緊密にして健闘これ努め、救助可能と認め二時間にして帰台せり。
遭難者は元気旺盛、慶運丸■て基隆へ向い、宮民多数の出迎えをうけ感謝の挨拶をなして七日午前一時、台湾鉄道ホテルに生還、二夜の夢を結んだ。