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古賀商店五十年を記念に株式會社へ
原文表記
古賀商店五十年を記念に株式會社へ
先嶋朝日新聞 昭和五年一月八日
古賀商店主古賀辰四郞君が琉球の海産物に着眼して 那覇に海産物商を始めたのは明治十二年五月で昭和四年迄に五十年になる先代辰四郞君の嘗めた辛酸と勞苦を回想し永久にこの光輝と名譽を記念する爲めに古賀商店は玆に株式會社に變更することになつた
明治十二年と云へは癈潘當時で不安定の社會狀能の沖繩に來てハツピ姿の辰四郞君は文字通り東奔西走してゐた
八重山支店をだしたのが明治廿九年五月である 尤もその以前から取引はしたものゝ 見得を張らざる小さい店であつたらしい 尖閣列島を單獨で探檢調査に着手したのが明治卅年である 其時八重山は船便に乏しかつたが時々人をビツクリさせる大船が入港した 又學者達が上陸したそれは皆辰四郞君の招■によるもので大々的に八重山の寶庫調査研究をしたものである
尖閣列島漁業權を願出したら、日淸役直後のことゝて 日本領か支那領地が不明だといふので認可が遷延したとの話迄ある 今にして思ひ出せば實に隔世の感がある 辰四郞君は實直に五十年間の詳細なる日記が保存されてゐるが それによると當時の沖繩が寫眞のように寫されてゐるさうである
現代仮名遣い表記
古賀商店五十年を記念に株式会社へ
先嶋朝日新聞 昭和五年一月八日
古賀商店主古賀辰四郞君が琉球の海産物に着眼して、那覇に海産物商を始めたのは明治十二年五月で、昭和四年迄に五十年になる先代辰四郞君の嘗めた辛酸と労苦を回想し永久にこの光輝と名誉を記念する為めに古賀商店は茲に株式会社に変更することになった。
明治十二年と言えば廃藩当時で不安定の社会状態の沖縄に来てハッピ姿の辰四郞君は文字通り東奔西走していた。
八重山支店を出したのが明治二十九年五月である。尤もその以前から取引はしたものゝ、見得を張らざる小さい店であったらしい。尖閣列島を単独で探検調査に着手したのが明治三十年である。其時八重山は船便に乏しかったが、時々人をビックリさせる大船が入港した。又学者達が上陸した。それは皆辰四郞君の招■によるもので、大々的に八重山の宝庫調査研究をしたものである。
尖閣列島漁業権を願出したら、日清役直後のことゝて、日本領か支那領地か不明だというので認可が遷延したとの話迄ある。今にして思い出せば実に隔世の感がある。辰四郞君は実直に五十年間の詳細なる日記が保存されているが、それによると当時の沖縄が写真のように写されているそうである。