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◎明治四十四年の農業界(二)
原文表記
◎明治四十四年の農業界(二) 南 豊
(三)口張糖事件
此年の製糖期に口張糖か續々出たと云ふので大騒ぎになつた尤も之には二つの原因かある樣に思はるゝ其一つは前年來阪神の豪商連か續々入込で盲目滅法に品質えおも能く鑑別せんで競走して地方買をしたから何ても彼でも樽に入つた黒いものなら砂糖として賣れると云ふ樣な考へを當業者か持つ樣になつたのと他の一つは原料甘蔗の風害の爲に粗惡な故■豫定の通りの歩留かなく自然に二釜糖が多つた手加減と目分量で造る砂糖だから多少品質の異ふもの無理はない從ふて善意の生產者も不知不識口張糖を造ると云ふ譯になつた外にも種々の原因かあつたかも知らぬか兎に角口張糖の多かつたのは事實であるソコデ糖商商連も騒ぐ當局者も心配した四月には嶋尻中頭の両郡では生產者の申合規約か出來て口張糖製造から重い違約金を取る事になつた縣では製糖取締規則を一層勵行することにして兎に角局を結んだ
(四)害虫の發生
從前も本縣に害虫の發生したることはある殊にスル、甘蔗の綿虫(蚜虫の一種)の如きは年々多少つゝ發生したか本年は夜盗虫か發生して麥作を害し遂には甘蔗をも害することになつて一同眉を顰めた就て其被害の多かつたのは讀谷山、中城、宜野灣、勝連、喜屋武、摩文仁、今歸仁、本部、名護、恩納、城邊、西原の各村であつた尤も此發生は一月から五月頃の間に止まつたの不幸中の幸であつた夫れでも其損害高は直接の被害丈で六千圓程に達した此爲に郡町村の當局者も心配した縣廳に於ても容易ならぬことも思ふたらしい本省に向つて害虫駆除費を要求し縣費からも支出して駆除の督勵をすることになつた本縣で害虫駆除に是丈け力を盡したのは之れか嗃失にあらい元來病虫害は交通機關の發達、耕作技術の進歩發達に伴ふて益々殖する傾向があるから將來は一層注意せねばなるまい
(五)高嶺の製糖工塲
高嶺の製糖工塲は前年來金城君神谷君等が寝食を忘れて熱心に工事を急いだ爲に年の三月に試運轉を濟まし直に精糖に着手する樣になつた固定資本に費す處約六万圓にもなつたであらう一組合の事業としては誠に大仕事であつて當業者の苦心も察せらるゝ况んや是れか民業として本縣の製糖業に蒸滊力を利用する樣になつた嗃失であつて見れば縣か之れに一万圓を補助したのは時宜を得て居るか夫れ丈け當業者の責任も重い譯だ而して此機械は一晝夜には十噸の原料を消費する能力があるのだから一製糖期間には六七千樽以上も出來る筈だ啻々此年は時期が短かゝつた爲めに充分の作業をする日なく製品は四千樽にも足りなかつた樣たが今期からは充分の功程を現はして立派な模範を示して貰ひたいものだ
(六)嘉手納の製糖工塲
沖繩製糖株式會社は一昨年の八月に創立せられて直に製糖工塲の工事に着すし着々進捗中であつたが昨年の十二月■は工事■きを告け四百噸壓搾能力の大工塲は高く渡久地港口に黒煙を吐き巍然たる建築は路行く人の足を留む■■至り十二月三日には朝野五百餘名の賓客………客の内には武勲赫■たる海澤中將嬋妍花に紛ふ瀨戶夫人も見へた……………を迎へて盛大の試運轉式を擧げた於茲西原高嶺の両工塲と相對し鼎足の形になつたである兎も角沖繩の糖業に一の新紀元を開いたのである啻に此會社の前途に就て社會の觀察は悲樂の二派に分れて居る樣に見ゆる吾々の見る處では問題は原料の一点にある而して此問題とても需給■造の間に利益の共通な点は幾等もあるから相當な處で折合か付くてあらう否な世界糖業の大勢から推して是非とも双方の爲に折合せ度いと思ふ
(七)糖業補助問題
一昨年の八月と昨年の四月に知事から其筋に上申になつた糖業補助問題は両三度知事の上京となり主務省との意見も折合か付き充分とは云へぬが兎に角補助は出來ることに決定したらしい中央政府に於ては財政の根本的緊縮を主義とする時に當つて本縣では當分の間年々五万幾千圓の補助を受くることになり別に西原の糖業改良事務局に属する土地建物什器合せて價額五万圓■ものを無償て貰ふことになつた當時か糖業革新を要する時てあることは一般の認むる處てあるから今後は官民となく農商となく一致供力して合理的に糖業の革新を謀り以て時運に後れぬ樣にして福利を増進することに致度いものだ
(八)西原製糖工塲の拂下
糖業改良事務局の製糖工塲を民業に移すの議か起つた處が沖繩製糖株式會社と西原大南里風原等の產業組合と其拂下に付て共願となり両方とも八月以來代表者か上京して當局に迫り競争の形となつて一時はなかなか八釜かつた然も本省の拂下豫定價額か安外不廉であつたのと三百噸以上の能力ある工塲を増設せしむると云ふ條件か附随して居つたので組合に拂下くるのは組合の爲に利益であるまい否な今の處出來ない相談だと決して遂に圓滿の裡に會社の手に落ちて舊歴十二月十四日に其受流しか濟んだ即ち會社は十万圓(土地も附随して)七ヶ■賦て拂下け今期より製糖に着手することになり別に數年の内に三百噸以上の工塲と増設することになつたのである局の工塲としても會社の工塲に異りはない其是迄は試驗用や模範的であつたのが將來は實用的になるのであるから農業の發達に直接の作用をすることになつた譯だ
(九)石油發動機
石油發動機の製糖塲は四十三年期に眞和志村の國塲は一つ出來たのか我が沖繩に於ける嚆矢であるか昨年の春は仝村の安里に復た一つ出來たから都合二つに成つた何れも新設で其壓搾能力は充分でなく僅か一日に四、五挺乃至七、八挺分の働きしか出來ぬけれども運轉に熟練したならは拾挺位造る樣になるのは容易の事である兎に角之れか爲に本縣の製糖組織に一の光彩を添へたのは嬉しい
(十)農事講習會
縣廳の主催する農事講習會は四十三年度から始めたいのであるが昨年は豫算も出來たから秩序ある講習會となつて八月から十一月の間に普天間、名護、宮古、八重山、眞和の五ヶ所で各一週間づゝ開會して縣廳や試驗塲や郡の技術技手農學校の職員等が講師となり農業大意、肥料、土壌、農產製造、作物栽培、病虫害駆除豫防、畜產、等の各科目に就て講をやつた講習生も都合二百五十六人であつて是等の人々か直接に又た間接に農事の改良獎勵に從事せらるゝことになつたのは大に喜はしい
(十一)養蚕講習會
養蚕の講習會も前年來の仕事で此年は十月から十二月に至つて六十日間首里に開催せられた洒落なる前田技手例に依つて講師となり桑樹栽培、養蚕法、蚕体処理、蚕体病理等の科目に就き講演やら實習やらに努められた講習生は十四名に過きなかつたけれとも何れも篤志な連中斗りの樣だつたから斯業の發展に資益する處も尠くあるまい
(十二)八重山の熱帯植物試驗
土地肥沃にして人口稀薄の八重山を開發するのは正に必要のことにして曾ては懸會の建議もあり知事の意見も夫れに一致したものと見へ此年から同地に熱帯植物試驗を開始することになり斯■に■殖の淺からぬ西村助八君か主任として五月に赴任し石垣港の附近に土地八反歩を相してサイサルヘンプ、アパカ揶子等の試植をした、やがては護謨も試植する筈である試驗の結果は素より未だ知り得らるゝ時期に達しないか幸に好結果を得て將來物產目錄の一行を埋むることになれば西村君の鼻は高くなり縣民の肩幅は廣くなる
(十三)肥料の使用
四、五年前の金肥の使用高は全縣を通じて一ヶ年二、三万圓に過きず肥料商も唯一つの沖繩肥料株式會社かあつた斗たか近年は金肥の使用か盛になつた殊に昨年は糖業改良事務局で肥料の共同購入に補助することになつたので甘蔗斗りに施用する爲に購入した爲か十二万九千餘圓に達した而して其内で一万圓以上に達したものを種類にすれば大豆粕の六万二千圓大豆の三万七千圓硫曹甘蔗肥料の一万五千圓等である肥料商も今の三十五、六戶ある相た此勢ひでは凡ての金肥購入高は二十万圓位になるかもしれぬなかなか■盛な事になつたか元來厩肥豚肥の樣なものを充分に施用して其不足を金肥で補ふことにせねば正當でない
現代仮名遣い表記
◎明治四十四年の農業界(二) 南 豊
(三)口張糖事件
此年の製糖期に口張糖か続々出たと云ふので大騒ぎになった。もっとも、これには二つの原因がある様に思はるる。その一つは前年来阪神の豪商連が続々入込で、盲目滅法に品質えおも能く鑑別せんで、競争して地方買をしたから何でも彼でも、樽に入った黒いものなら砂糖として売れると云う様な考へを、当業者が持つ様になったのと他の一つは原料甘蔗の風害の為に粗悪な故■、予定の通りの歩留がなく自然に二釜糖が多った。手加減と目分量で造る砂糖だから多少品質の異ふもの無理はない。従ふて善意の生産者も不知不識口張糖を造ると云ふ訳になった。外にも種々の原因があったかも知らぬが、兎に角口張糖の多かったのは事実である。そこで糖商商連も騒ぐ当局者も心配した四月には、嶋尻中頭の両郡では生産者の申合規約が出来て口張糖製造から重い違約金を取る事になった。県では製糖取締規則を一層励行することにして兎に角局を結んだ。
(四)害虫の発生
従前も本県に害虫の発生したることはある。殊にスル、甘蔗の綿虫(蚜虫の一種)の如きは年々多少づつ発生したが、本年は夜盗虫か発生して麦作を害し遂には甘蔗をも害することになって一同眉を顰めた就て其被害の多かったのは読谷山、中城、宜野湾、勝連、喜屋武、摩文仁、今帰仁、本部、名護、恩納、城辺、西原の各村であった。もっとも此発生は一月から五月頃の間に止まったの不幸中の幸であった。それでも其損害高は直接の被害丈で六千円程に達した。此為に郡町村の当局者も心配した県庁に於ても容易ならぬことも思うたらしい。本省に向って害虫駆除費を要求し、県費からも支出して駆除の督励をすることになった本県で害虫駆除にこれだけ力を尽したのは、これが嗃失にあらい元来病虫害は交通機関の発達、耕作技術の進歩発達に伴うて、益々殖する傾向があるから将来は一層注意せねばなるまい。
(五)高嶺の製糖工場
高嶺の製糖工場は前年来、金城君神谷君等が寝食を忘れて熱心に工事を急いだ為に、年の三月に試運転を済まし直に精糖に着手する様になった。固定資本に費す処約六万円にもなったであらう一組合の事業としては誠に大仕事であって、当業者の苦心も察せらるる况んや、これが民業として本県の製糖業に蒸汽力を利用する様になった嗃失であって見れば、県がこれに一万円を補助したのは時宜を得て居るが、それだけ当業者の責任も重い訳だ。そして此機械は一昼夜には十頓の原料を消費する能力があるのだから、一製糖期間には六七千樽以上も出来る筈だ。啻々此年は時期が短かかった為めに、充分の作業をする日なく、製品は四千樽にも足りなかった様たが今期からは充分の功程を現はして、立派な模範を示して貰ひたいものだ。
(六)嘉手納の製糖工場
沖縄製糖株式会社は一昨年の八月に創立せられて、直に製糖工場の工事に着すし着々進捗中であったが、昨年の十二月■は工事■きを告け四百噸圧搾能力の大工場は高く渡久地港口に黒煙を吐き巍然たる建築は路行く人の足を留む■■至り十二月三日には朝野五百余名の賓客………客の内には武勲赫■たる海沢中将嬋妍花に紛ふ瀬戸夫人も見へた……………を迎へて盛大の試運転式を挙げた於ここ西原高嶺の両工場と相対し鼎足の形になったである。兎も角沖縄の糖業に一の新紀元を開いたのである啻に此会社の前途に就て、社会の観察は悲楽の二派に分れて居る様に見ゆる。吾々の見る処では問題は原料の一点にある。そして此問題とても需給■造の間に利益の共通な点は、幾等もあるから相当な処で折合が付くであらう。否な世界糖業の大勢から推して是非とも双方の為に折合せ度いと思ふ
(七)糖業補助問題
一昨年の八月と昨年の四月に知事から其筋に上申になった糖業補助問題は、両三度知事の上京となり主務省との意見も折合が付き、充分とは云へぬが兎に角、補助は出来ることに決定したらしい。中央政府に於ては財政の根本的緊縮を主義とする時に当って、本県では当分の間年々五万幾千円の補助を受くることになり、別に西原の糖業改良事務局に属する土地建物什器合せて価額五万円■ものを、無償で貰いことになった当時が、糖業革新を要する時であることは一般の認むる処であるから、今後は官民となく農商となく一致供力して合理的に糖業の革新を謀り以て、時運に後れぬ様にして福利を増進することに致度いものだ。
(八)西原製糖工場の払下
糖業改良事務局の製糖工場を民業に移すの議が起った。処が沖縄製糖株式会社と西原大南里風原等の産業組合と其払下に付て、共願となり両方とも八月以来代表者が上京して当局に迫り、競争の形となって一時はなかなか八釜かった。しも本省の払下予定価額か安外不廉であったのと、三百頓以上の能力ある工場を増設せしむると云う条件が附随して居ったので、組合に払下くるのは組合の為に利益であるまい。否な今の処出来ない相談だと決して、遂に円満の裡に会社の手に落ちて、旧歴十二月十四日に其受流しが済んだ。即ち会社は十万円(土地も附随して)七ヶ■賦で払下げ、今期より製糖に着手することになり、別に数年の内に三百頓以上の工場と増設することになったのである。局の工場としても会社の工場に異りはない。そこ迄は試験用や模範的であったのが将来は実用的になるのであるから、農業の発達に直接の作用をすることになった訳だ。
(九)石油発動機
石油発動機の製糖場は四十三年期に、真和志村の国場は一つ出来たのが我が沖縄に於ける嚆矢であるが、昨年の春は同村の安里に復た一つ出来たから都合二つに成った。いずれも新設で其圧搾能力は充分でなく、僅か一日に四、五挺乃至七、八挺分の働きしか出来ぬけれども運転に熟練したならば十挺位造る様になるのは容易の事である。兎に角これが為に、本県の製糖組織に一の光彩を添へたのは嬉しい。
(十)農事講習会
県庁の主催する農事講習会は四十三年度から始めたいのであるが、昨年は予算も出来たから秩序ある講習会となって、八月から十一月の間に普天間、名護、宮古、八重山、真和の五ヶ所で各一週間づつ開会して、県庁や試験場や郡の技術技手、農学校の職員等が講師となり農業大意、肥料、土壌、農産製造、作物栽培、病虫害駆除予防、畜産、等の各科目に就て講をやった。講習生も都合二百五十六人であって、これらの人々が直接に、また間接に農事の改良奨励に従事せらるることになったのは大に喜ばしい。
(十一)養蚕講習会
養蚕の講習会も前年来の仕事で、此年は十月から十二月に至って六十日間首里に開催せられた。洒落なる前田技手例に依って講師となり、桑樹栽培、養蚕法、蚕体処理、蚕体病理等の科目に就き講演やら実習やらに努められた。講習生は十四名に過ぎなかったけれども。いずれも篤志な連中斗りの様だったから、斯業の発展に資益する処も少くあるまい。
(十二)八重山の熱帯植物試験
土地肥沃にして人口稀薄の八重山を開発するのは、正に必要のことにして曽ては県会の建議もあり、知事の意見もそれに一致したものと見へ、此年から同地に熱帯植物試験を開始することになり斯■に■殖の浅からぬ西村助八君が主任として五月に赴任し石垣港の附近に土地八反歩を相してサイサルヘンプ、アパカ揶子等の試植をした、やがては護謨も試植する筈である試験の結果は素より未だ知り得らるる時期に達しないが幸に好結果を得て将来物産目録の一行を埋むることになれば西村君の鼻は高くなり県民の肩幅は広くなる。
(十三)肥料の使用
四、五年前の金肥の使用高は全県を通じて一ヶ年二、三万円に過きず肥料商も唯一つの沖縄肥料株式会社があった斗たか、近年は金肥の使用が盛になった。殊に昨年は糖業改良事務局で肥料の共同購入に補助することになったので、甘蔗斗りに施用する為に購入した為か、十二万九千余円に達したそして其内で一万円以上に達したものを種類にすれば、大豆粕の六万二千円、大豆の三万七千円硫曹甘蔗肥料の一万五千円等である。肥料商も今の三十五、六戸あるそうだ。此勢いでは凡ての金肥購入高は二十万円位になるかもしれぬなかなか■盛な事になったが、元来厩肥豚肥の様なものを充分に施用して、其不足を金肥で補うことにせねば正当でない。