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◎明治四十四年の農業界(一)

掲載年月日:1912/1/1(月) 明治45年
メディア:琉球新報社 第4部の1面 種別:記事

原文表記

◎明治四十四年の農業界(一)
明治四十四年の本縣農業界は此比較的平穏であつた樣なものゝ矢張り樣々な出來事もある今其中の重なるものゝにを摘録■て後日の紀念にしたいと思ふ
 (一)砂糖の减收
四十三年十月の暴風は三浦丸事件の如き悲惨事を齎■したか縣の重要物產たる甘蔗作の被害も非常なもので砂糖の其减收■豫期せられつゝ新年を迎へ正月の三日間位は流石に少々浮調子にもなつたか愈々製糖に着手して見たとき當業者は豫期しなからも重て一■を喫した即ち减收から來た損害の外に品質の劣變から來た損害の多かつた事に就て、例年の平均は一歩半を超ゆるのに此年の平均は一歩にも達し兼た、結局收量は五千五百万斤其■の年の六千万斤に比して五百万斤の减收となつた之に品質の劣變から來た損害を加算すれば五、六十万圓にも達するであらう其上に製糖は約一ヶ月間遅れて一月下旬から六月一杯係つたから農家其他の仕事にも尠からず手違ひを生じた勿論風の影響は甘蔗のみに止まらんで秋稻、大豆、甘藷作にも及んだ
 (二)百合問題
一昨年は輸出百合の相塲か頗る好况てあつたから昨年は作付反別も增し■中には一攫千金の利を夢みて其栽培を試みた連中もあつた、處か其年の相塲は非常に下落したソコテ此の下落は仲買商等の好手段によるものとし■古賀、宮地、古澤の三氏■■分筆誅■受けた而して此反動として琉球百合生產者組合か出來て隣縣鹿兒島の大島生產者と聽縮を取り遂には非賣同盟の形になつた然し之は両方の損失であつて生產者の側から云へば生產高か二百万球て一球二銭と假定しても四万圓損失で百合商の方でも旅費を使ふて遙々やつて來たに拘らず少ても買はないと云ふのは大に馬鹿な話だ結局喧嘩は両成敗であるから希くば相方讓り合ふて所謂諍果てゝの契と■つた■な譯で是を■■に將來は圓滿の取引か出來る樣にしたいものだ尤も相塲師的に大栽培を試みるのは農業本家の性質と相容れないから飽くるまで之■副業として各戸小面積に栽培するのか安全と思ふ而して漸々發達して縣の重要物產となるのは勿論何人も希望する處である

現代仮名遣い表記

◎明治四十四年の農業界(一)
明治四十四年の本県農業界は此比較的平穏であつた様なものの矢張り様々な出来事もある今其中の重なるもののにを摘録■て後日の紀念にしたいと思う
 (一)砂糖の減収
四十三年十月の暴風は三浦丸事件の如き悲惨事を齎■したが、県の重要物産たる甘蔗作の被害も非常なもので砂糖の其減収■予期せられつつ新年を迎へ正月の三日間位は流石に少々浮調子にもなったか、いよいよ製糖に着手して見たとき当業者は予期しながらも重て一■を喫した。即ち減収から来た損害の外に品質の劣変から来た損害の多かった事に就て、例年の平均は一歩半を超ゆるのに此年の平均は一歩にも達し兼た、結局収量は五千五百万斤其■の年の六千万斤に比して五百万斤の減収となつた之に品質の劣変から来た損害を加算すれば五、六十万円にも達するであらう。其上に製糖は約一ヶ月間遅れて一月下旬から六月一杯係つたから農家其他の仕事にも尠からず手違ひを生じた勿論風の影響は甘蔗のみに止まらんで秋稲、大豆、甘藷作にも及んだ。
 (二)百合問題
一昨年は輸出百合の相場が頗る好况てあったから、昨年は作付反別も増し■中には一攫千金の利を夢みて其栽培を試みた連中もあつた、処が其年の相場は非常に下落した。そこで此の下落は仲買商等の好手段によるものとし■古賀、宮地、古沢の三氏■■分筆誅■受けた。しかして此反動として琉球百合生産者組合が出来て、隣県鹿児島の大島生産者と聴縮を取り遂には非売同盟の形になった。然し之は両方の損失であって生産者の側から云へば、生産高か二百万球て一球二銭と仮定しても四万円損失で百合商の方でも旅費を使って遥々やつて来たに拘らず、少ても買はないと云ふのは大に馬鹿な話だ。結局喧嘩は両成敗であるから希くば相方譲り合ふて所謂諍果てての契と■つた■な訳で是を■■に将来は円満の取引が出来る様にしたいものだ。もしも相場師的に大栽培を試みるのは農業本家の性質と相容れないから飽くるまで之■副業として、各戸小面積に栽培するのか安全と思う。しかして漸々発達して県の重要物産となるのは勿論何人も希望する処である。