キーワード検索

◎第四回 三浦丸船長の公判

掲載年月日:1910/11/8(火) 明治43年
メディア:琉球新報社 1面 種別:記事

原文表記

◎第四回 三浦丸船長の公判
三浦丸船長第四回公判は昨日午前九時二十分より開かる傍聽席は例によりて滿員なり此日被告人の訊問証人調等は既に前回に於て終了したるを以て撿事及辨護人の辨論をなし判决言渡しを來る十一日午前九時と宣告して閉廷したるが是より先き裁判長は辨護士に証據として提出すべきものはなきかと聞き辨護士は起つて當時の乗客仲村渠藤吉松本松太外一名を証人として召喚ありたしと申請す、撿事は右辯護士の証人召喚に對し此の上証人の必要なしと反對す玆に於て裁判長は双方の意見を聞き取りたる後决定を下し証人申請を却下すべしと告げて撿事の論告に移る
△馬渡撿事の論告
今回三浦丸遭難に於ては實に縣下稀有の大慘事にして之れに由りて多くの人命を失ひ悲鳴をあげしめ遂に今度の事件を起せしは返す返すも遺憾の次第なり然して此の大慘事を起こせし當時は如何と云ふに暴風は三日の間絕えず猛烈に吹き荒れたるにもあらずして時に平穏に歸せし事ありしにも拘らず其の間に於て何の施すべき術もなく遂に斯かる慘事を見たるがさて當時に於ける船中の混雜より推察すると各自生命を保持するの外他を顧みる暇なかりしは之れを想像するに難からざるなり從て今日まで証人として取調べになりたる船員の言葉中一として明確なる証言を求めんは甚だ難しと思ふ然るに今各証人の供述を綜合■而して當時の實情に照して判斷するに被告の辯解は事窮迫にして自己は風浪に浚はれし爲なるを以て船長の職責として一の欠点なしとするも思ふに斯かる陳述は全くの嘘僞にして本職の目よりは明かに船員法十九條の違反者なることを疑はない、十二日の日被告が警察に於ける供述より當公廷に於て供述せる言にブリツチに上つた目的を最初は船員を指揮する爲と云ひ第二回には傳馬船を下す爲と云ひ第三回には傳馬船の模樣を見る爲と云つて居る斯くの如く一の行爲の目的を供述する毎に異樣なるは果して何故ならんか之れ全く嘘僞の陳述なる事を証明するとものにして眞實の供述ならんには斯くの如く異樣の供述あるべき筈なしと思ふ
△何等の信號をなさず
■一日の天候は决して突然にはあらず既に十日の日より猛惡にして辛うじて那覇港外に碇泊して一夜を明かし漸次猛り狂ふ風浪に錨は二個とも切斷され船体の安全ならざりしは船長たるもの既に業に知る所にあらずや然しに危険を前に控へながら何等港内に信號をなさず手段を講せず船中注意を與へずして船長は只茫然たるみであつた果して斯かる船長の行爲を以て社會の人は職務盡したりと思ふや如何に甚だ以て言語道斷の行爲と云はざるを得ない
△船長の責任は如何
船長職員は實に人命と多くの財產を委托されたる重人の責任を有して居ると思ふ故に法律も船長は船体の遭難に逢つては他の人命財產の安全を計つて後にあらねば船体より離るゝ事が出來ないとある船長は果して此の責任を負ふせしものなるや尙ほ被告船長はブリツチに上りし目的を傳馬船の模樣を見る爲とか其他色々に供述して居るが被告がブリツチに上れりと云ふ時には船体は既に左舷に四十五度の傾斜をなし今や舩中の大混雜を極めし■る時であるのに船長は獨りブリツチに上つたと云はれるか假りに數百歩を讓とて船長がブリツチに上つたと云ふ事が事實とすれば何か故に其の時尤も必要なるブイの用意をせずにして既に傾斜せる舩体のブリツチに上る必要を生せん或る証人の言によれは船の艫に行きしが其後は分からずと云ふ事である其處で推察するに船長は獨り艫の方に行く姿はありしも船の中腹より自ら海中に飛込んた者で船長供述の不可抗力によりて上陸したとは全くの口實と見て明確の事實と思ふ要するに船長の行爲は船員法第十九條及五十二條尙ほ刑法施行法十九條二十條によりて二月以上五年以下の体刑中其尤も長期によりて處斷すべきものである縱令船長が言ふ不可抗力によりしとするも法律の制裁は免れない何となれば舩長として不注意なりしは一般に認むる所なるを以てなり
△前島辨護士の辨論
 實に今回の事件は撿事の御論告の如く縣下悲慘の極で何とも申樣もなく中には生命財產を失ひて一家不幸の淵に沈んだ所も少なくはない次第であるが一方より考ふれば舩長でも又其處に恕すべき点があるのであります其處に少しく辨じたいのは當時三浦丸舩中非常なる混雜でありしは只今撿事の御論告の通りと思ふ現に証人中には一見極めて明確なる舩長の服裝の一件ですら人によりて個々別々の陳述で御座ります麓機關長の言によれば■長は其時襯衣一枚にズボン下を着てそして膝よりまくつてあつたと述べ内田政■が云ふには襯衣に黑のズボンを着てメリケン帽を冠つて居たと云ふ事である右の如く極めて明確に分る事ですら三人其異樣の申立をして居るのであるから証言が甚だ信用の出來ないのは檢事御論告通り相違ないと私も賛成致します故に斯かる曖昧なる証言を以て舩長の行爲を直ちに判斷しまするは甚だ早計で其の中には船長は自ら海中に飛込んだと云ふ話もありますが之れも人の噂さである其の噂さした人名すら分からない要するに舩長の行動に對し尤も疑を起さしめしはブリツチに上つた目的である成■被告船長は其の目的を説明して之れを三樣に申上げては居るが當時の實情より推して人の服裝すら分からない場合の混雜中でなしたる事でありますから從て自らなしたる目的の異樣の陳述も之れを一槪に嘘僞の証明になるとは斷言出來ない次にブイの事でありますが■ブイの如きは船体の遭難時に使用するものでなく之れは航海中海中に人を救護する場合でなくては用ひられないので又針管ブイは海中を照すもの之等のブイが果して當時の實情より想像してよく使用する暇がありしや全然不可能の事と思ひます
△天候を見るに機敏な男
 証人等の言により船長が海中に飛込んだと云ふのは更らに根據ない風說で少しも信ずるに價せないのである只海上風雨の中に港外に碇泊して居た事實に就きては被告は數十年來海員を務め殊に天候を見るに機敏な男と評判ある位で十一日の天候が自分の觀察では漸次平穏に復するものと信じにして平素の强情の性質で自信を曲げずにあつたのが計らずも斯かる災難を見たのではないかと思ふ當時碇泊して居た宮嶋金澤の舩長の言によるも宮嶋丸船長の云ふには當時の風雨中三浦丸がロツプの障害物を除けと信號があつた所が之に應ぜらるゝ塲合ではなかつたと云ふて居る其處で愈々となり縱令三浦丸を水上署附近まで艪ぎ付けたとしても災難は矢張り免れない殊に關所付近は水深くして船体を深く沈める所より悲慘の結果を生じたかも知りませぬ然し之れは吾々素人の考へで御座りますが抑も今回の事件が社會の耳目を動かしたからとて决して重く罰すべきではない要は法律の問題で法律は世間の同情の厚薄に關係して應用出來るものではなからうと思ふ私は罰金刑によりて處斷するが正當だらうと信します右終りて裁判長は被告に一二の訊問ありて閉廷せり時に十時三十五分なりき

現代仮名遣い表記

◎第四回 三浦丸船長の公判
三浦丸船長第四回公判は昨日午前九時二十分より開かる、傍聴席は例によりて満員なり。此日、被告人の訊問証人調等は既に前回に於て終了したるを以て検事及弁護人の弁論をなし、判决言渡しを来る十一日午前九時と宣告して閉廷したるが、是より先き裁判長は弁護士に証拠として提出すべきものはなきかと聞き、弁護士は起って当時の乗客仲村渠藤吉、松本松太外一名を証人として召喚ありたしと申請す。検事は右弁護士の証人召喚に対し、此の上証人の必要なしと反対す。玆に於て裁判長は双方の意見を聞き取りたる後决定を下し、証人申請を却下すべしと告げて検事の論告に移る。
△馬渡検事の論告
今回三浦丸遭難に於ては実に県下稀有の大惨事にして、之れに由りて多くの人命を失い悲鳴をあげしめ、遂に今度の事件を起せしは返す返すも遺憾の次第なり。然して此の大惨事を起こせし当時は如何と云うと、暴風は三日の間絶えず猛烈に吹き荒れたるにもあらずして、時に平穏に帰せし事ありしにもかかわらず其の間に於て何の施すべき術もなく遂に斯かる惨事を見たるが。さて当時に於ける船中の混雑より推察すると、各自生命を保持するの外、他を顧みる暇なかりしは之れを想像するに難からざるなり。従って今日まで証人として取調べになりたる船員の言葉中、一つとして明確なる証言を求めんは甚だ難しと思う。然るに今各証人の供述を総合■而して当時の実情に照して判断するに、被告の弁解は、事窮迫にして自己は風浪にさらわれし為なるを以て船長の職責として一の欠点なしとするも、思うにこのような陳述は全くの嘘偽にして、本職の目よりは明かに船員法十九条の違反者なることを疑わない。十二日の日被告が警察における供述より当公廷に於て供述せる言に、ブリッチに上った目的を、最初は船員を指揮する為と云い、第二回には伝馬船を下す為と云い、第三回には伝馬船の模様を見る為と云って居る。斯くの如く、一の行為の目的を供述する毎に異様なるは、果して何故ならんか之れ全く嘘偽の陳述なる事を証明するとものにして、真実の供述ならんには斯くの如く異様の供述あるべき筈なしと思う。
△何等の信号をなさず
■一日の天候は决して突然にはあらず。既に十日の日より猛悪にして辛うじて那覇港外に停泊して一夜を明かし、漸次猛り狂う風浪に錨は二個とも切断され、船体の安全ならざりしは船長たるもの既に業に知る所にあらずや。然しに危険を前に控へながら何等港内に信号をなさず、手段を講せず、船中注意を与えずして船長は只茫然たるみであった。果して斯かる船長の行為を以て、社会の人は職務尽したりと思うや如何に、甚だ以て言語道断の行為と云わざるを得ない。
△船長の責任は如何
船長職員は、実に人命と多くの財産を委託されたる重人の責任を有して居ると思う。故に法律も、船長は船体の遭難に逢っては、他の人命財産の安全を計って後にあらねば船体より離るゝ事が出来ないとある、船長は果して此の責任を負うせしものなるや。なお被告船長はブリッチに上りし目的を伝馬船の模様を見る為とか其他色々に供述して居るが、被告がブリッチに上れりと云う時には船体は既に左舷に四十五度の傾斜をなし今や船中の大混雑を極めし■る時であるのに、船長ひとりブリッチに上ったと云われるか。仮に数百歩をゆずるとて船長がブリッチに上ったと云う事が事実とすれば、何か故に其の時もっとも必要なるブイの用意をせずにして、既に傾斜せる船体のブリッチに上る必要を生せん。或る証人の言によれば、船の後部に行きしが其後は分からずと云う事である。その処で推察するに、船長はひとり船尾の方に行く姿はありしも船の中腹より自ら海中に飛込んだ者で、船長供述の不可抗力によりて上陸した、とは全くの口実と見て明確の事実と思う。要するに船長の行為は船員法第十九条及び五十二条なお刑法施行法十九条二十条によりて、二月以上五年以下の体刑中そのもっとも長期によりて処断すべきものである。縦令船長が言う不可抗力によりしとするも、法律の制裁は免れない。何となれば船長として不注意なりしは一般に認むる所なるを以てなり
△前島弁護士の弁論
 実に今回の事件は検事の御論告の如く県下悲惨の極で何とも申様もなく、中には生命財産を失いて一家不幸の淵に沈んだ所も少なくはない次第であるが、一方より考えれば船長でも又そこにゆるすべき点があるのであります。そこに少しく弁じたいのは、当時三浦丸船中非常なる混雑でありしは、只今検事の御論告の通りと思う。現に証人中には一見極めて明確なる船長の服装の一件ですら人によりて個々別々の陳述で御座ります。麓機関長の言によれば、■長は其時襯衣一枚にズボン下を着てそして膝よりまくってあったと述べ、内田政■が云うには襯衣に黒のズボンを着てメリケン帽を冠って居たと云う事である。右の如く、極めて明確に分る事ですら三人其異様の申立をして居るのであるから、証言が甚だ信用の出来ないのは、検事御論告通り相違ないと私も賛成致します。故に、斯かる曖昧なる証言を以て船長の行為を直ちに判断しまするは甚だ早計で、其の中には船長は自ら海中に飛込んだと云う話もありますが、之れも人の噂さである。其の噂さした人名すら分からない、要するに船長の行動に対しもっとも疑を起さしめしはブリッチに上った目的である。成■被告船長は其の目的を説明して之れを三様に申上げては居るが、当時の実情より推して人の服装すら分からない場合の混雑中でなしたる事でありますから、従って自らなしたる目的の異様の陳述も、之れを一概に嘘偽の証明になるとは断言出来ない。次にブイの事でありますが、■ブイの如きは船体の遭難時に使用するものでなく、之れは航海中海中に人を救護する場合でなくては用ひられないので又針管ブイは海中を照すもの、之等のブイが果して当時の実情より想像してよく使用する暇がありしや、全然不可能の事と思います。
△天候を見るに機敏な男
 証人等の言により、船長が海中に飛込んだと云うのは更らに根拠ない風説で少しも信ずるに価せないのである。只、海上風雨の中に港外に停泊して居た事実に就きては、被告は数十年来海員を務め殊に天候を見るに機敏な男と評判ある位で、十一日の天候が自分の観察では漸次平穏に復するものと信じにして、平素の強情の性質で自信を曲げずにあったのが、計らずも斯かる災難を見たのではないかと思う。当時停泊して居た宮嶋金沢の船長の言によるも、宮嶋丸船長の云うには、当時の風雨中三浦丸がロップの障害物を除けと信号があった、所が之に応ぜられる場合ではなかったと云うて居る。其処で愈々となり、縦令三浦丸を水上署附近まで艪ぎ付けたとしても災難は矢張り免れない。殊に関所付近は水深くして、船体を深く沈める所より悲惨の結果を生じたかも知りませぬ。しかし之れは吾々素人の考えで御座りますが、そもそも今回の事件が社会の耳目を動かしたからとて、决して重く罰すべきではない。要は法律の問題で、法律は世間の同情の厚薄に関係して応用出来るものではなかろうと思う。私は罰金刑によりて処断するが正当だろうと信じます。右終りて裁判長は被告に一二の訊問ありて、閉廷せり時に十時三十五分なりき。