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◎黑岩校長の書翰
原文表記
◎黑岩校長の書翰
國頭農學校校長黑岩恒氏が子弟に對する情誼極めて厚きものあり卒業後其れが扶掖に任し百分尽力到らざるなきの事情は夙■江湖の詳知する所なるが曩きに三浦丸遭難により終に惨死を遂けたる宮城久保氏に對しても亦た甚だ勉められたるの情緒が事に與りたる本社の漏渓などは日頃口■極め■語りつゝある所なるが今回は態々左■一書を裁■漏渓の弔文に對し過分の言葉を與たへ何時に變らぬ熱々の情緒を披瀝し來れり物故せる子弟に對し既に然るものあ■他■に推して知るべし沖洲若し這の事を知らば九泉如何に感涙し咽ぶなるべしと信せらる、左に之を採録して以て師弟の温情を公けにすると云ふ
拜啓那覇滞在中は種々御厚情奉拜謝候今回の大珍事傷心不遇之貴紙の厚き御同情敬服の至に堪えず候
宮城久保生前の御引立につきては今更述ぶるも愚なる次第に■之候特に今回の變死に際し與へられたる種々の御配慮と同情の御弔文とは九泉の下感泣の他なき義と奉存候昨夜遺骸名護着假葬式執行直ちに原籍へ送り出し申候同人是迄の知遇に對し不取敢小生より感謝の意を表し度早々如斯に御座候 敬具
四十三年十月十五日
名護農學校に於て
黑岩 恒
琉球新報社宮田倉太殿
待曹
現代仮名遣い表記
◎黒岩校長の書翰
国頭農学校校長黒岩恒氏が、子弟に対する情誼極めて厚きものあり。卒業後、其れが扶掖に任し百分尽力到らざるなきの事情は、夙■江湖の詳知する所なるが、曩きに三浦丸遭難により終に惨死を遂げたる宮城久保氏に対しても亦た、甚だ勉められたるの情緒が事に与りたる。本社の漏渓などは、日頃口■極め■語りつつある所なるが、今回は態々左■一書を裁■漏渓の弔文に対し、過分の言葉を与たえ何時に変らぬ熱々の情緒を披瀝し来れり。物故せる子弟に対し既に然るものあ■他■に推して知るべし。沖洲若し這の事を知らば、九泉如何に感涙し咽ぶなるべしと信ぜらる、左に之を採録して、以て師弟の温情を公けにすると云う。
拝啓 那覇滞在中は種々御厚情に感謝いたします。今回の大珍事傷心不遇、之貴紙の厚き御同情、敬服の至に堪えません。
宮城久保生前の御引立につきては今更述べるも愚なる次第でありますが、特に今回の変死に際し、与えられたる種々の御配慮と同情の御弔文とは九泉の下感泣の他なき義と存じております。昨夜、遺骸名護着仮葬式執行、直ちに原籍へ送り出しました。同人是迄の知遇に対し、不取敢小生より感謝の意を表し度、早々如斯にございます。 敬具
四十三年十月十五日
名護農学校に於て
黒岩 恒
琉球新報社宮田倉太殿
待曹