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痛切なる敎訓
原文表記
痛切なる敎訓
滊舩三浦丸遭難の慘事は幾度繰返し論ずるも今となりては全たく後の祭りに過ぎす、聲を嗄らし喉を痛めて叫ひたりとて挽廻の甲斐あるべからずと雖も俗に前車の覆るは後車の戒と云ふことあり、吾人は茲に遭難當時の情況を一考し將來の爲め若干の敎訓を發見するあらんとす、抑も今回の遭難は彼の如くに嶮惡なる天候を冒して危険極まる那覇の港に航し來りたるの不覺に原因するは云ふ迄もなし、而しかも其の船内蓄ふる所、石炭の乏しく糧食の非常準備なき等、遭難當事者の語るが如くんば之れまた批評に値するものあらんかなれども本嶋沿岸の航海船にして僅々四時間内外にて達すべき近距離を操縦するものとしては不覺と云へば不覺なるべく一言にすれば日頃餘りの事なきに押れたりと云ふべき事情もなきにあらずと察せらる、斯くて其の一般の操縦に絶對なる責任を有する船長其の人に識見と膽勇及び技倆に缺亡する所あり適當の措置を誤りたるのみならず、彼れの無責任なる、危嶮に際し乗客船員を放棄、巳れ先つ第一の脱難者たりと傳へらるゝものあるに至りては到底批評の限りにあらず、臆病未練沒責任の海員として、宜しく適法の懲罰を加へ爾來永遠に斯の種の人物を一掃し我が海洋の航路に安心を與たへざるべからず、吾人は當該官憲の宜しく窮彈する所あるを可なりと信する次第なるが、却説一歩を退き遭難の當時、那覇の港頭陸上より幾何の救護方法を講したりしやと見るに誠に無情惨憺たるものありて存せりと想ふ、尤とも滊船の取扱店及び船主の側よりは多少の努力する所ありたるやに承知するかなれども、水上事變の爲めに常に企足の心掛けあるべき當該者たる水上警察の案外に不活潑なりしは實地を見聞したるものゝ異口同意に語る所ならずや、殊に當時は港内に二艘の大滊舩も碇泊し、一時は動揺を極めて危難に瀕したることありと云ふ、去れば水上警察にして活動せんと欲さば幾多の重大事件は眼前に湧起したるのみならず就中三浦丸の惨況は萬死を冒しても救護の手段なかるべからざる非常の出來事たり、吾人が當時を追懐する度に這般の遺憾ヒシヒシと胸に應るあるを感する次第なるが、猶ほ之れよりも残念千萬なるは國家が豫め萬一を用意し水難救護法てふ完全なる法律を布き、安全を保障せるにも拘はらず、那覇港の浦役人たる當該者は、漫然として之れを閑却■、法律の活用に勉めず終に此の一大慘事を出來せしめ縣下を擧つて愁怨悲傷の港とならしめたるの一事は千秋の遺憾此の上あるべからざる也、故に此の點に於ける那覇區の當屬が責任を顧みざるは臆病未練なる彼れ三浦丸船長と相距る果して幾何ぞ識者を俟つて而して後に知るを要せざるべしと想はる、加之、區當局が斯かる悲劇に對して冷静なる善■處分に際し幾何の血あり涙ある擧動に出でたるや、死骸引受けの任務は之を行ひたりとするも苟くも自己の緩漫により管内の港灣僅か數丁の汀に船體の撃破され數十名の生靈無殘の惨死と遂げて縣内煮へ返るまでの現状を以て全たく他人の事の如くに見做■干與せざるに至りては、吾人は爲めに幾多■及するの止むなきものあらんを信ず、此の他警察官吏の今回の事變に際し奔走の勞は感謝すべきものあり、傍に沒責任の區當局を控へ警官の此の奔走あらざらんか、惨劇は到底此の程度にて止むべきものにあらずと信せらるゝものあれば也、其の他今回の事態■精探し來らば各般の回想あるべく爲めに各種の教訓を得るあらんと信せらるゝかなれども要するに沖縄の上下は近年海上の安泰に押れ心を安んし過きたるの嫌なからず、故に區當局が救護法の適用を閑却したるを以て極て善意に解釋するとせば、之れ又た縣民と共に等しく平安無事に押れたるのお目出度きに屬したるやも知るべからず、此の爲めに縣下には水難救護の方法とては見るべきなく、内地各府縣の其れに比すれば危險千萬の想ひなきにあらざるも、實際に於ては其れ程までの事とも想ひ做されて■ざりしもの、如く、今回三浦丸の一擧官民上下の之れに對する所以のもの既に這般の消息を説明して遺憾なしと謂ふべき也、世間の泰平なるは吾人も共に、之を樂しむに於て人後に落ちざる所なりと雖も、押れて而して安眠睡魔の囚はれとなるは自他共に不覺の源因ならざるべからず、吾人縣下官民上下の宜しく常に覺醒する所あらんと勸告し更らに今後の萬一を慮かりて水難救護上各般の設備は云ふ迄もなし、其の他不慮の出來事に際して何時にても直ちに應し得る丈けの用意周到ならんを忠告するもの也
現代仮名遣い表記
痛切なる教訓
汽船三浦丸遭難の惨事は、幾度繰返し論ずるも今となりては全たく後の祭りに過ぎず。声を嗄らし喉を痛めて叫びたりとて挽廻の甲斐あるべからずといえども、俗に前車の覆るは後車の戒と云うことあり。吾人は、茲に遭難当時の情況を一考し将来の為め若干の教訓を発見するあらんとす。そもそも今回の遭難は、彼の如くに嶮悪なる天候を冒して危険極まる那覇の港に航し来りたるの不覚に原因するは云う迄もなし。しかも其の船内蓄うる所、石炭の乏しく糧食の非常準備なき等、遭難当事者の語るが如くんば之れまた批評に値するものあらんかなれども、本島沿岸の航海船にして僅々四時間内外にて達すべき近距離を操縦するものとしては不覚と云えば不覚なるべく、一言にすれば日頃余りの事なきに押れたりと云うべき事情もなきにあらずと察せらる。斯くて其の一般の操縦に絶対なる責任を有する船長其の人に、識見と胆勇及び技倆に欠亡する所あり。適当の措置を誤りたるのみならず彼れの無責任なる。危嶮に際し乗客船員を放棄、巳れ先づ第一の脱難者たりと伝えらるるものあるに至りては、到底批評の限りにあらず。臆病未練没責任の海員として、宜しく適法の懲罰を加へ爾来永遠に斯の種の人物を一掃し、我が海洋の航路に安心を与たえざるべからず。吾人は当該官憲の宜しく窮弾する所あるを可なりと信ずる次第なるが、却説一歩を退き遭難の当時、那覇の港頭陸上より幾何の救護方法を講したりしやと見るに、誠に無情惨憺たるものありて存せりと想う。もっとも汽船の取扱店及び船主の側よりは多少の努力する所ありたるやに承知するかなれども、水上事変の為めに常に企足の心掛けあるべき当該者たる水上警察の案外に不活溌なりしは、実地を見聞したるものの異口同意に語る所ならずや。殊に当時は港内に二艘の大汽船も停泊し、一時は動揺を極めて危難に瀕したることありと云う。去れば水上警察にして活動せんと欲さば、幾多の重大事件は眼前に湧起したるのみならず、とりわけ三浦丸の惨況は万死を冒しても救護の手段なかるべからざる非常の出来事たり。吾人が当時を追懐する度に、これらの遺憾ヒシヒシと胸に応るあるを感じる次第なるが、なお之れよりも残念千万なるは国家が予め万一を用意し水難救護法という完全なる法律を布き安全を保障せるにもかかわらず、那覇港の浦役人たる当該者は、漫然として之れを閑却■、法律の活用に勉めず終に此の一大惨事を出来せしめ、県下を挙って愁怨悲傷の港とならしめたるの一事は、千秋の遺憾此の上あるべからざる也。故に此の点に於ける那覇区の当属が責任を顧みざるは、臆病未練なる彼れ三浦丸船長と相距る。果して幾何ぞ識者を俟つてその後に知るを要せざるべしと想はる。その上、区当局が斯かる悲劇に対して冷静なる善■処分に際し、幾何の血あり涙ある挙動に出でたるや死骸引受けの任務は之を行いたりとするも、苟くも自己の緩漫により管内の港湾僅か数丁の汀に船体の撃破され、数十名の生霊無残の惨死を遂げて県内煮え返るまでの現状を以て全たく他人の事の如くに見做■干与せざるに至りては、吾人は為めに幾多■及するの止むなきものあらんを信ず。此の他警察官吏の今回の事変に際し奔走の労は感謝すべきものあり、傍に没責任の区当局を控へ警官の此の奔走あらざらんか、惨劇は到底此の程度にて止むべきものにあらずと信ぜらるるものあれば也。其の他今回の事態■精探し来らば、各般の回想あるべく為めに各種の教訓を得るあらんと信ぜらるるかなれども、要するに沖縄の上下は近年海上の安泰に押れ心を安んじ過ぎたるの嫌なからず。故に区当局が救護法の適用を閑却したるを以て、極て善意に解釈するとせば、之れ又た県民と共に等しく平安無事に押れたるのお目出度きに属したるやも知るべからず。此の為めに県下には水難救護の方法とては見るべきなく、内地各府県の其れに比すれば危険千万の想いなきにあらざるも、実際に於ては其れ程までの事とも想いみなされて■ざりしものの如く、今回三浦丸の一挙官民上下の之れに対する所以のもの既に這般の消息を説明して遺憾なしと謂うべき也。世間の泰平なるは、吾人も共に之を楽しむに於て人後に落ちざる所なりといえども、押れて而して安眠睡魔の囚われとなるは、自他共に不覚の原因ならざるべからず。吾人県下官民上下の宜しく常に覚醒する所あらんと勧告し更らに今後の万一を慮かりて、水難救護上各般の設備は云う迄もなし、其の他不慮の出来事に際して何時にでも直ちに応じ得る丈けの用意周到ならんを忠告するもの也。