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◎船長の責任(三)

掲載年月日:1910/10/16(日) 明治43年
メディア:琉球新報社 1面 種別:記事

原文表記

◎船長の責任(三)
(遭難者の談)
▲糧食と石炭の缼乏 之は果して船長の責任か夫とも船主の責任か存じませんが序ですから申上げて置きます實は我々は今度の遭難に於て三浦丸が客に對して餘りに不意用なりしに吃驚して居ます第一糧食の缼乏ですが糧食のほうは船では薩つ張り萬一の用意をして居ないと見へまして船が豫定通り這入る事が出來ないとなると直ぐ糧食の不自由が起り食ふ物がない、ドウして呉れる積りか知らんと思つて居ると船の方でも心配した■思へて早速船客の所にやって來て誰か米を持つて居る人はいないかと云ふ始末です、すると幸に客の中に五舛だの三舛だのと山原米を持つて居る人があつて都合一斗六舛の持合せがあつたものですから夫を船の方で買ひ取つて小さな握飯にし■客に食せる事になつたので之で飢餓を凌ぐ事が出來た樣なものゝ若し客に持合わせがなかつたとすれば難船よりも先づ飢餓して仕舞ふ所です次に石炭の方も十一日の晩になりますとモウスッカリ焚き盡くして一塊も餘す所がないので■岩しやうと思つても出來ないと云ふ樣な始末だろうです
▲六日の菖蒲十日の菊 幾ら云つた所で今更返らぬことですが我々の素人考で見てもあう云ふ事にせんでも幾らもやり樣があつたかと思はれます第一九日の午後名護からやつて來た時にサツサと港にやつて行く可きです金澤宮嶋のロップが如何の斯うのと云つた所が六十の生靈には代へられない■だ又假令一旦は遠慮して三重城の沖に懸かつたとしても其翌日の正午頃天候の靜まった時なとは其機を外さずして適當の處置を講ずるのが當然であるのに天氣はモウ直つたものと早くも安心して仕舞つて悠々閑々と機會を逸するなどは實に念の入つた無能者としか思はれない、而して徒らに置きに懸かつて石炭は盡き動きの取れぬ樣になる迄何等臨機の策を施す事が出來ないとは天下斯くの如き船長があらうか、
▲結局は無責任 然しながら無能と云ふ丈けならばまだしもだが彼は事の爲す可らざるを知■も猶ほ船客に對して一言の注意をも興へなかつた、兼ねて多少の注意さへして置けば客の方でも相當の用意えおしていざと云へばドウする位の考もすれば決心もするのだから愈よ最後なつた所で俄かに狼狽する事もなく■ねての覺悟に從つて死力を盡して助かる事も出來ように死人の樣に弱つて室内に寝て居る客に一言の注意さへもせずに剰さへ船が轉覆するや否やイの一番に海に飛込んで先登第一の上陸と來ては何處に船長たる責任を持つて居るか德義を辨へて居るか殆んど評しようのない不德義漢と云はざるを得ない、我々は斯くの如き無能で無責任なる船長に依つて五十の生靈を空しく海底に葬つた事を思ひ出すと揕まりません(完)

現代仮名遣い表記

◎船長の責任(三)
(遭難者の談)
▲糧食と石炭の欠乏 之は果して船長の責任か夫とも船主の責任か存じませんが、序ですから申上げて置きます。実は我々は今度の遭難に於て、三浦丸が客に対して余りに不意用なりしに吃驚して居ます。第一糧食の欠乏ですが糧食のほうは船では、薩つ張り万一の用意をして居ないと見えまして。船が予定通り這入る事が出来ないとなると直ぐ糧食の不自由が起り、食う物がない、どうして呉れる積りか知らんと思って居ると、船の方でも心配した■思えて早速船客の所にやって来て、誰か米を持って居る人はいないかと云う始末です。すると幸に客の中に、五舛だの三舛だのと山原米を持って居る人があって。都合一斗六舛の持合せがあったものですから、夫を船の方で買い取って小さな握飯にし■客に食せる事になったので、之で飢餓を凌ぐ事が出来た様なものの、若し客に持合わせがなかったとすれば、難船よりも先づ飢餓して仕舞う所です。次に石炭の方も十一日の晩になりますともうすっかり焚き尽くして、一塊も余す所がないので■岩しようと思っても出来ないと云う様な始末だろうです。
▲六日の菖蒲十日の菊 幾ら云った所で今更返らぬことですが、我々の素人考で見てもあう云う事にせんでも、幾らもやり様があったかと思われます。第一九日の午後名護からやって来た時にさっさと港にやって行く可きです。金沢宮嶋のロップが如何の斯うのと云った所が、六十の生霊には代えられない。■だ又仮令一旦は遠慮して三重城の沖に懸かったとしても、其翌日の正午頃天候の静まった時などは、其機を外さずして適当の処置を講ずるのが当然であるのに。天気はもう直ったものと、早くも安心して仕舞って悠々閑々と機会を逸するなどは、実に念の入った無能者としか思はれない。而して徒らに置きに懸かって石炭は尽き、動きの取れぬ様になる迄、何等臨機の策を施す事が出来ないとは、天下斯くの如き船長があろうか。
▲結局は無責任 然しながら無能と云う丈けならばまだしもだが、彼は事の為す可らざるを知■も猶お、船客に対して一言の注意をも興えなかった。兼ねて多少の注意さえして置けば客の方でも相当の用意をして、いざと云えばどうする位の考もすれば決心もするのだから。愈よ最後なった所で俄かに狼狽する事もなく、■ねての覚悟に従って死力を尽して助かる事も出来ように。死人の様に弱って室内に寝て居る客に、一言の注意さえもせずに。剰さえ船が転覆するや否やいの一番に海に飛込んで、先登第一の上陸と来ては何処に船長たる責任を持って居るか徳義を弁へて居るか殆んど評しようのない不徳義漢と云はざるを得ない。我々は斯くの如き無能で無責任なる船長に依って五十の生霊を空しく海底に葬った事を思い出すと揕まりません。(完)