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◎遭難者と首里區
掲載年月日:1910/10/15(土) 明治43年
メディア:琉球新報社 1面 種別:記事
原文表記
◎遭難者と首里區
▲首里署の活動 三浦丸遭難の報に接するや仝署長近藤信介氏は隈■警部補と共に直ちに非番當番の巡査を非常召集し應援の爲め現塲へ出張し那霸署の巡査と協力して■夜■波を犯■援助又は救護する處ありて翌■引上げたる由
▲知花區町の弔■ 知花首里區長は一昨日野■區書記■隨へ眞敎寺を弔問■區書記として援護しむる處ありたり
▲遭難者の人々 仝區居住民にして今囘の相難に逢ひたるものは乘客として字眞和志髙嶺モウシ(六二)仝娘マ■ト(■■)字町端嶋袋山(二一)の三人にて船員には字當藏池原次良(二七)字儀保高地良堅(三二)の同人都合五人なるが死體は■れも昨日までに發見せられたりと云ふ
現代仮名遣い表記
◎遭難者と首里区
▲首里署の活動 三浦丸遭難の報に接するや同署長近藤信介氏は隈■警部補と共に、直ちに非番当番の巡査を非常召集し応援の為め現場へ出張し、那覇署の巡査と協力して■夜■波を犯■援助又は救護する処ありて、翌■引上げたる由。
▲知花区町の弔■ 知花首里区長は一昨日野■区書記■隨へ真教寺を弔問。■区書記として援護しむる処ありたり
▲遭難者の人々 同区居住民にして今回の相難に逢いたるものは乗客として字真和志、高嶺モウシ(六二)同娘マ■ト(■■)字町端嶋袋山(二一)の三人にて船員には字当蔵池原次良(二七)字儀保、高地良堅(三二)の同人都合五人なるが、死体は■れも昨日までに発見せられたりと云う。