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◎船長の責任

掲載年月日:1910/10/14(金) 明治43年
メディア:琉球新報社 1面 種別:記事

原文表記

◎船長の責任
▲船長が無事だ と聞いては心ある人々は頗る異樣■感じ此分にては船長が乗客に對して果してドレ丈けの責任を尽したかと云ふ事に就いて何人も疑問を抱けるものゝ如くなるが扨て之を遭難者に聞いて見ると乗客の保護に關する船長の用意頗る不行き屆なりしが如く遭難者は口を揃へて船長の處置に不滿を唱へつゝあり
▲無能には驚いた 遭難者の一人は先づ船長の無能を鳴らして曰く十日の五時頃に港外まで來て居■のですから其時ドン〱港に入れて行けば宜いのです、夫をドウ云ふ譯が三重城の北に引つ返して沖に掛からうとするものですから皆不思議に考へて居る、名護の人、松■松■、■門亀、■袋太郎などと云う連中は■■■を扱い馴れて海の事には随分詳しい方ですから、船長のところに押し掛けて■つて何故■に入れんかと聞いて見た処が、船長の■■は■■■くて駄目だと云う、三■の■では之位の風波なら山原■でも、鼻唄半分で■つて行けるの■蒸汽船の癖に這入れない■はないと詰■、すると今度は假令風波は大丈夫としても宮島と金澤のロップが懸つて■るので一旦信號してロップを取りやう云つて見たけれども廳じて呉れないから船とやる譯には行かぬと云ふ、三人は益々怒つてロップに引つ懸つたら懸つたで宜いぢやないか斯う云ふ天氣に沖に懸かると云ふ法があるかと押問答をしたけれども船長は頑として應じない船客は之を聞いて皆ブツ〱小言を云ひ出しドウセ進むに生■て退くに死ぬには定まつて居る、沖■懸かるのは死を待つやうなものだと口を極めて其無能を攻め■情を云つた處で始まらない
▲船が大事と云ふ顔付 ■角する中に十日の日は暮れて一晩と云ふもの必死の思をして漸つと夜明けにな■と又た船長の所に押掛けて沖の方は風當りも强い■萬一の場合には陸に遠くて險呑だからモ少し陸の方に寄せろと云つて■■■持ち上つたすると船長の言ひ分が面白いぢやありませんか陸に近寄つたら岩に吹き付けられて舟を壞はす虞れがあるとまるで舟の事ばかり大事にして客の方は念頭に置いて居ない、極端に云へば舟の爲には五十名の船客を殉死させても宜い位に考へて居る■ですから之には皆呆れて一言もありませんでした
▲船中の大爭論 斯う云ふ風にして十一日の正午ごろまで暴風に揉まれて居りますと午后になつて風波が少し穏かになつて來た、前にも申した通り客の中には大分海に詳しい人が居りますから此際に港の中にやるやうにと又もや舩長を捕らへて■判を試みることになつた、すると船長のほうではいやまだ宮島と金澤のロップを取らんから船をやる譯に参らぬ然し課あぜはモウ返へしを打つたから天氣は靜まるに違いないから急ぐにも及ばぬモウ大丈夫だから安心し船へと云ふ話、馬鹿ッ此天■が急に上るものか空を見て見ろ■に大風にな■うと殆んと喧嘩腰に迄なつて論争したけれども今に靜まるとはかりで一向取り合つて呉れない、致方がないから其儘捨しゝ置くと三四時間経つてから果して前にも■さ■大■風になつた、サア舩客のほうでは■を■やして舩長に喰つて掛かる、貴様は舩長面をして何■我々程も天氣を見る事が出来ぬではないか夫でも舩長かと云ふものあればモウ君には賴まぬから其舩を■に任せろ立派に那覇港に入れて見せると怒鳴る人もあり一夫では亦那覇港が駄目ならば泊の港が崎原の崎の淺瀨にでもやれと云ふものもあるしろ■かと思ふと又一方では粟■渡名喜が宜かろうなどゝ自暴に任せて冷評に掛かる人もあつて舩中は太粉擾であつた松■は八方からワイ〱攻撃を喰つて一言も云ふ事が出來ず腕を組んで舩長室■引っ込んだ切り色■靑くして居つたのです(未完)

現代仮名遣い表記

◎船長の責任
▲船長が無事だ と聞いては心ある人々は頗る異様■感じ、此分にては船長が乗客に対して果してどれ丈けの責任を尽したかと云う事に就いて、何人も疑問を抱けるものの如くなるが。扨て之を遭難者に聞いて見ると、乗客の保護に関する船長の用意頗る不行き届なりしが如く、遭難者は口を揃へて船長の処置に不満を唱へつつあり。
▲無能には驚いた 遭難者の一人は先づ船長の無能を鳴らして曰く、十日の五時頃に港外まで来て居■のですから、其時どんどん港に入れて行けば宜いのです。夫をどう云う訳が三重城の北に引っ返して沖に掛からうとするものですから、皆不思議に考えて居る。名護の人■松■松■、■門亀、■袋太郎などと云ふ連中は■■■を扱ひ馴れて海の事には随分詳しい方ですから船長のところに押し掛けて■つて何故■に入れんかと聞いて見た処が船長の■■は■■■くて駄目だと云ふ、三■の■では之位の風波なら山原■でも鼻唄半分で■つて行けるの■蒸汽船の癖に這入れない■はない詰■。すると今度は仮令風波は大丈夫としても、宮島と金沢のロップが懸って■るので一旦信号して、ロップを取るよう云って見たけれども応じて呉れないから、船とやる訳には行かぬと云う。三人は益々怒って、ロップに引つ懸ったら懸ったで宜いぢゃないか。斯う云う天気に沖に懸かると云う法があるかと押問答をしたけれども、船長は頑として応じない。船客は之を聞いて皆ぶつぶつ小言を云い出し、どうせ進むに生■て退くに死ぬには定まって居る。沖■懸かるのは死を待つようなものだと、口を極めて其無能を攻め■情を云った処で始まらない。
▲船が大事と云う顔付 ■角する中に十日の日は暮れて一晩と云うもの、必死の思をして漸つと夜明けにな■と又た船長の所に押掛けて、沖の方は風当りも強い■万一の場合には、陸に遠くて険呑だからも少し陸の方に寄せろと云って■■■持ち上ったすると、船長の言い分が面白いぢゃありませんか。陸に近寄ったら岩に吹き付けられて、舟を壊はす虞れがあるとまるで舟の事ばかり大事にして、客の方は念頭に置いて居ない。極端に云えば舟の為には五十名の船客を殉死させても宜い位に考えて居る■ですから。之には皆呆れて一言もありませんでした。
▲船中の大争論 斯う云う風にして十一日の正午ごろまで暴風に揉まれて居りますと、午後になって風波が少し穏かになつて来た。前にも申した通り客の中には大分海に詳しい人が居りますから、此際に港の中にやるようにと、又もや船長を捕らへて■判を試みることになった、すると船長のほうでは、いやまだ宮島と金沢のロップを取らんから船をやる訳に参らぬ。然し課あぜはもう返えしを打ったから、天気は静まるに違いないから急ぐにも及ばぬ、もう大丈夫だから安心し船へと云う話。馬鹿っ、此天■が急に上るものか。空を見て見ろ■に、大風にな■うと殆んと、喧嘩腰に迄なって論争したけれども。今に静まるとはかりで一向取り合って呉れない。致方がないから其儘捨しし置くと三四時間経ってから、果して前にも■さ■大■風になつた、さあ船客のほうでは■を■やして船長に喰って掛かる、貴様は船長面をして何■我々程も天気を見る事が出来ぬではないか。夫でも船長かと云うものあれば、もう君には頼まぬから其船を■に任せろ。立派に那覇港に入れて見せると怒鳴る人もあり、一夫では亦那覇港が駄目ならば泊の港が、崎原の崎の浅瀬にでもやれと云うものもあるしろ■かと思うと又一方では、粟■渡名喜が宜かろうなどと自暴に任せて、冷評に掛かる人もあって船中は太粉擾であった。松■は八方からわいわい攻撃を喰って、一言も云う事が出来ず腕を組んで船長室■引っ込んだ。切り色■青くして居ったのです。(未完)