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◎船中の死体捜索

掲載年月日:1910/10/14(金) 明治43年
メディア:琉球新報社 1面 種別:記事

原文表記

◎船中の死體搜索
(午前中は不成効)
數日來吹き荒みたる暴風のなごり未だ止ます樹上物悽ましきまで風は鳴りつゝあるのである、朝起車を■りて三重城なる三浦丸船體の慘狀を見舞はんが爲め駈けつけたる時は午前の九時近くでありしが附近の石垣には早や男女の一群を以て充たされ堵上堵をなしつゝあるの光景轉た胸を衝く、早速に垣に飛ひ乗り、足塲を■ふて沖合に降りければ珊瑚礁上潮は退いて
 船體は底を仰向け
半は以上を■出し、龍骨砕け、各所に大破の跡を殘して慘憺の狀况形容の限りにあらあず、斯くて浪打ち際には破片漂ひ當日の慘狀を物語りつゝあり、一見酸鼻の情に揕へさるが船體より少し離れたる處には赤ペンキ塗りの汽罐が波に打たれて同しく共に當日の悲劇を物語りつゝあり、此の慘憺たる現場により察すれば船は沖合い遠く珊瑚礁に觸れ打ち破られ、夜來の風と滿潮によりて弄はれ、先つ此の汽罐を放り出し、轉輾じて美事顚覆し、今まや午前の干潮により、赤裸々たる狀况を露出せるものと覺へたり沖には瀨浪が十數丈の高さに聳へ立ちドウ〱聲を出して崩れては立ち、立ちては崩れ其凄き光景尚ほ未だ减せざるなり此處より左右を遠く眺むれば右は眞敎寺の濱手により左は三重城の燈臺のあたりまで此處に一群、彼處に一群、隊をなして■■■■■■■■■■屍體や在ると搜がしも行きつゝあり此の中には警察官もあるべく、遭難者に綠故の人もあるべく、偢々たる悲風、這般の情况其に人生の一大悲劇にじて、難破の被害戰々慄々たらしむるもの在りて存せり記者は非常の此の光景に打たれをりしが、此處にても又數十の男女が群集し
 船中屍體搜索
の成績を如何を認めんとして熱心に監視せり船中屍體搜索の事業は船主古賀氏及び取扱店木村氏の両店員により此の干潮時を利用し拾數名の人夫を指揮して行はれつゝあり此處には休入區長あり、武石警視あり、吹き來る風と薾々たる雨とを冐して其成蹟如何にと見てあれは、遭難者に綠の者にてもあるべし、妙齡の婦女子にして眼を眞赤に泣き腫したるものあり、悲痛の感相を顕はし、ジッと堪へて成行き如何にと打ち見守れるもあり、濡れたる上に濡れるをも厭はず濱邊の風雨に洒されたるはもいどゝ憐れを增すのみなりき斯くて
 船體は中腹に
巨大なる孔を窄たれ、両店員の數名モグリ込み、大體を搜索したる後ち機械力にて引き起し見て船下に壓死者の在るや否やを實撿するの手筈なりしも、小さくても一個四十噸餘■滊船なり、到底尋常の手段にて行はるべくもあらずとて議は一變して、舩體を破壞し遺憾なき搜索を行ふことゝなり一方武石參視は築港課に向ひ工夫及潜水夫派遣のことを要求する所あり木村氏よりは直接濱田造舩塲主人に對し舩太工派遣のことを交渉したるに濱田氏よりは派遣すべき太工なしとて斷はりたる旨の狀報到達したるにより武石署長は水難救護法により嚴重なる態度を以て工夫等を徴収し是非とも舩體破壞の目的を達し屍體の搜索に從事することゝなり午前十一時一先つ箇所を引上げたり
 午後は
武石濱田造舩塲主人を招喚し嚴に相談を爲すべき手筈なりしも、其の後造舩塲主の自から來り署長を初め喜入區長に話す所によれば午後のことは全く行違ひより生せるものにして自分留守中留守居のものが語りたるに原因す自分義は斯の如き塲合の救護事業に對し平生一片の心掛けあり决して一歩を退くものにあらず云々日頃の義俠心を赤裸々にさらけ出し熱心込めての談話により果して然るかとて打っ解け話したる後濱田氏が自から人夫を督して事業に着手する筈なりしも折から差し來る滿ち潮に激浪を加へて何分操棄出來さるを以て十四日午前の干潮時を待ちて更に舩體破壞搜索事業を行ふことになりたれり

現代仮名遣い表記

◎船中の死体捜索
(午前中は不成効)
数日来吹き荒みたる暴風のなごり未だ止まず、樹上物悽ましきまで風は鳴りつつあるのである、朝起車を■りて三重城なる三浦丸船体の惨状を見舞はんが為め、駈けつけたる時は午前の九時近くでありしが、附近の石垣には早や男女の一群を以て充たされ、堵上堵をなしつつあるの光景転た胸を衝く、早速に垣に飛び乗り、足塲を■うて沖合に降りければ珊瑚礁上潮は退いて
 船体は底を仰向け
半は以上を■出し、竜骨砕け、各所に大破の跡を残して惨憺の状況形容の限りにあらあず、斯くて浪打ち際には破片漂ひ当日の惨憺を物語りつつあり、一見酸鼻の情に揕えさるが船体より少し離れたる処には、赤ペンキ塗りの汽缶が波に打たれて同じく共に、当日の悲劇を物語りつつあり。此の惨憺たる現場により察すれば船は、沖合い遠く珊瑚礁に触れ打ち破られ、夜来の風と満潮によりて弄はれ、先つ此の汽缶を放り出し、転輾じて美事顛覆し、今まや午前の干潮により、赤裸々たる状況を露出せるものと覚えたり。沖には瀬浪が十数丈の高さに聳へ立ち、どうどう声を出して崩れては立ち、立ちては崩れ其凄き光景尚お未だ減せざるなり。此処より左右を遠く眺むれば右は真教寺の浜手により、左は三重城の灯台のあたりまで此処に一群、彼処に一群、隊をなして■■■■■■■■■■屍体や在ると捜がしも行きつつあり。此の中には警察官もあるべく、遭難者に緑故の人もあるべく、偢々たる悲風、這般の情況其に人生の一大悲劇にじて、難破の被害戦々慄々たらしむるもの在りて存せり。記者は非常の此の光景に打たれをりしが、此処にても又数十の男女が群集し
 船中屍体捜索
の成績跡を如何を認めんとして熱心に監視せり。船中屍体捜索の事業は船主古賀氏及び取扱店木村氏の爾店員により、此の干潮時を利用し十数名の人夫を指揮して行はれつつあり。此処には休入区長あり、武石警視あり、吹き来る風と薾々たる雨とを冐して其成跡如何にと見てあれは、遭難者に緑の者にてもあるべし、妙齢の婦女子にして眼を真赤に泣き腫したるものあり、悲痛の感相を顕はし、じっと堪へて成行き如何にと打ち見守れるもあり。濡れたる上に濡れるをも厭はず浜辺の風雨に洒されたるはもいどど憐れを増すのみなりき。斯くて
 船体は中腹に
巨大なる孔を窄たれ両店員の数名もぐり込み、大体を捜索したる後ち、機械力にて引き起し見て船下に、圧死者の在るや否やを実するの手筈なりしも、小さくても一個四十噸余■汽船なり、到底尋常の手段にて行はるべくもあらずとて議は一変して、船体を破壊し遺憾なき捜索を行ふこととなり。一方武石参視は築港課に向い工夫及潜水夫派遣のことを要求する所あり、木村氏よりは直接浜田造船塲主人に対し船太工派遣のことを交渉したるに、浜田氏よりは派遣すべき太工なしとて断りたる旨の状報到達したるにより、武石署長は水難救護法により厳重なる態度を以て、工夫等を徴収し是非とも船体破壊の目的を達し、屍体の捜索に従事することとなり、午前十一時一先つ箇所を引上げたり
 午後は
武石浜田造船塲主人を招喚し厳に相談を為すべき手筈なりしも、其の後造船塲主の自から来り。署長を初め喜入区長に話す所によれば、午後のことは全く行違いより生せるものにして、自分留守中留守居のものが語りたるに原因す。自分義は斯の如き場合の救護事業に対し平生一片の心掛けあり、決して一歩を退くものにあらず。云々日頃の義侠心を赤裸々にさらけ出し、熱心込めての談話により果して然るかとて打っ解け話したる後、浜田氏が自から人夫を督して事業に着手する筈なりしも、折から差し来る満ち潮に激浪を加えて、何分操棄出来さるを以て、十四日午前の干潮時を待ちて更に船体破壊捜索事業を行うことになりたれり。