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●琉球群島に於ける古賀氏の功績(其六)

掲載年月日:1910/1/8(土) 明治43年
メディア:沖縄毎日新聞社 2面 種別:記事

原文表記

琉球群島に於ける古賀氏の功績(其六)
▲列島に於ける產業經營
斯くて総ての設計工事進捗するや同列島に於ける產業の經營に従事したるが先づ尖閣列島に於ける產業經營の大要は鳥毛の探集、水禽の剝製、鱶鰭、海產、貝殻、鼈甲の漁獲採集、鰹漁鰹節の製造、植林、樟及び松杉柑橘類の栽培、汽船の購入、珊瑚探集、鳥■の製造、牧畜、養蠶、鑵詰製造、燐礦鳥糞の探堀等にして其中鳥毛及び鱶鰭、海參、貝殻、鼈甲の採収は明治十七年列島探險後より着手し來り鰹の漁撈も夙に行ひ來れる所なるも明治三十八年始めて鰹船の新造をなすまでは刳舟の延繩にて小規模の漁撈をなせしに過ぎざりき
▲鰹漁の有望
然るに同列島に於ける鰹漁の有望なること第一は食餌の潤沢なると鰹の魚群が極めて近岸にまで來集するにより必ずしも遠洋に出漁するの要なきと執れも天與の好適地なるに由り従來の規模を擴張する爲め三十八年初めて艘船三船を建造して送遣せり加之斯業に熟練なる漁夫及び鰹節製造人數十名を宮崎縣下より雇入れ其の業に從はしめたり而して其の成績は顧る見るべきものありしが不幸にして半途激烈なる暴風に遭遇し漁船は三艘共に破碎せられて多大の損害を被りたるも乗組員は幸に皆身を以て逃がるるを得たるを以て翌三十九年再び鰹船五艘を新造し爾來一層の好成績を収むるを得たり
▲水禽の剥製
又水禽の剥製は欧米諸國の婦人帽子装飾用として充分の需用ある事を見込み之れに從事せんとしたるも製鳥の職人を得る事容易ならず屢々東京横濱其の他各地にて之を求めたるも得る能はず斯業者に問合すも猜忌の念を以て之を迎へ秘して教へず爲めに心ならずも放棄したりしが三十六年上京し稱々苦心の末漸く十数名の職人を得て翌三十七年「アイサシ」「カワヲドリ」其の他の新禽を剝製又は毛羽として初めて横濱神戸の外商に賣込みたるに望外の好評を博し爾來年々輸出增加の一方にして去る三十九年の如きは二十餘萬羽を輸出し四十年度に於其は約其の二倍以上の取引を行ふに至りぬ
▲造林及び開墾
同列島の風土が樟樹栽培の好適地なるが故に明治三十九年十一月臺灣総督府附属試驗場より樟苗三万本を購入し釣魚島、久塲島の二島へ植付けしに發育大に良好なるを以て爾後年々植付けを行ひ以て造林の目的を達しつゝあり尚同列島に於ける移民の數多きを加ふると共に開墾の事業は益々忽諸に附すべからずとして少なからざる資力を傾注しなる結果現今開墾の地積六十除町歩に達するに至れり而して裁植物の種類は重に雜穀、甘藷、野菜類等にして以て移民の給養に資しつゝあるが目下同移民の総數は二百四十八名の多數に達し戸數九十九戸に及べり而して右開墾の地積を戸數に削當つれば一戶に付六反歩餘、一人に付二反四畝歩の平均に相當し■昔荒寞たりし無人の列島は今や次第に殷賑に赴きつゝあり

現代仮名遣い表記

琉球群島に於ける古賀氏の功績(其六)
▲列島に於ける産業経営
斯くて総ての設計工事進捗するや、同列島に於ける産業の経営に従事したるが先づ。尖閣列島に於ける産業経営の大要は鳥毛の探集。水禽の剝製、鱶鰭、海産、貝殻、鼈甲の漁獲採集、鰹漁鰹節の製造、植林、樟及び松杉柑橘類の栽培、汽船の購入、珊瑚採集、鳥■の製造、牧畜、養蚕、缶詰製造、燐礦鳥糞の探堀等にして、其中鳥毛及び鱶鰭、海参、貝殻、鼈甲の採収は、明治十七年列島探険後より着手し来り。鰹の漁労も夙に行い来れる所なるも、明治三十八年始めて鰹船の新造をなすまでは、刳舟の延縄にて小規模の漁労をなせしに過ぎざりき。
▲鰹漁の有望
然るに同列島に於ける鰹漁の有望なること第一は、食餌の潤沢なると鰹の魚群が、極めて近岸にまで来集するにより。必ずしも遠洋に出漁するの要なきと執れも、天与の好適地なるに由り、従来の規模を拡張する為め、三十八年初めて艘船三船を建造して送遣せり。加之斯業に熟練なる漁夫及び、鰹節製造人数十名を宮崎県下より雇入れ、其の業に從はしめたり、而して其の成績は顧る見るべきものありしが、不幸にして半途激烈なる暴風に遭遇し、漁船は三艘共に破碎せられて、多大の損害を被りたるも乗組員は、幸に皆身を以て逃がるるを得たるを以て。翌三十九年再び、鰹船五艘を新造し爾来一層の好成績を収むるを得たり。
▲水禽の剥製
又水禽の剥製は、欧米諸国の婦人帽子装飾用として充分の需用ある事を見込み。之れに従事せんとしたるも、製鳥の職人を得る事容易ならず。屢々東京横浜、其の他各地にて之を求めたるも得る能はず、斯業者に問合すも猜忌の念を以て、之を迎へ秘して教へず為めに心ならずも放棄したりしが、三十六年上京し称々苦心の末、漸く十数名の職人を得て、翌三十七年「アイサシ」「カワヲドリ」其の他の新禽を、剝製又は毛羽として初めて横浜神戸の外商に売込みたるに、望外の好評を博し。爾来年々輸出増加の一方にして、去る三十九年の如きは、二十余万羽を輸出し、四十年度に於其は約其の二倍以上の取引を行うに至りぬ。
▲造林及び開墾
同列島の風土が樟樹栽培の好適地なるが故に、明治三十九年十一月台湾総督府附属試験場より、樟苗三万本を購入し。釣魚島、久場島の二島へ植付けしに発育大に、良好なるを以て、爾後年々植付けを行い以て、造林の目的を達しつつあり、尚同列島に於ける移民の数多きを加うると共に、開墾の事業は益々忽諸に附すべからずとして、少なからざる資力を傾注しなる結果、現今開墾の地積六十除町歩に達するに至れり。而して裁植物の種類は重に雑穀、甘藷、野菜類等にして以て、移民の給養に資しつつあるが、目下同移民の総数は、二百四十八名の多数に達し、戸数九十九戸に及べり、而して右開墾の地積を戸数に削当つれば、一戸に付六反歩余、一人に付二反四畝歩の平均に相当し■昔荒寛たりし、無人の列島は今や次第に殷賑に赴きつつあり。