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●琉球群島に於ける古賀氏の功績(其五)

掲載年月日:1910/1/7(金) 明治43年
メディア:沖縄毎日新聞社 2面 種別:記事

原文表記

●琉球群島に於ける古賀氏の功績(其五)
▲技術上の設計
古賀氏の尖閣列島に對する移民計畫が良好なる結果を見るに從ひ第二次畫の計として貨物の運搬貨物の揚卸等に關する海陸の不便と危險とを排除せん爲め自然同島に技術上の設計を加へて事業の獎來を開展せしむべき心要あるを以て氏は遂に明治三十三年上京して東京帝國大學教授理學博士箕作住吉■に事情を陳して其の考案を煩はしたるに博士は氏が此の企圖に多大の同情を寄せ理學士宮島幹之助氏を推擧したるを以て茲に氏は同島に對する技術上の設計を之に一任する事とし尙當時本縣師範學校教諭黒岩恒氏にも商量■て其の出張を乞ひ同年五月相携へて汽船永康丸(大阪商船會社所有船四百六十噸)に乗じて久塲島に赴き斯くて両氏の指導の下に同地に大路左の如く設計を定めたり
 一 魚類魚介の濫獲を戒め繁殖法を講じ種族斷絕の憂なからしむること
 二 家屋を建て移住者の安息を圖ること
 三 久塲島には河泉の依るべきもの無きが故に雨水貯槽を設くること
 四 船着の安全と海陸運搬の利便を圖る爲め碇業所を築くこと
 五 道路を開鑿し兼ねて汚染物排除方法其の他衛生的設備を講ずること
▲右設計の遂行困難
右の設計を遂行せんが爲めに水槽築設用として煉瓦セメント及び小港灣を築かん爲め附近海陸の岩礁を破砕するに用ふる工業用爆裂藥等其他の材料を内地より購求し來り非常なる困難と危險とを以て之を陸揚げしたも工事を施こすに當りて思いがけなき多くの障害に際會し設計を變更位置を轉移する等■々なりしが故に其の都度同様なる困難繰返し再び材料を輸入し設計を新たにせざるべかざる有樣に遭遇し工事意の如く進捗せず遅々として今尚ほ竣工に至らず
▲再び新設計を案ず
斯くて工事の次第に進捗すると同時に明治三十四年五月借入船仁壽丸(四百六十噸)を送還するに当り本縣技師熊倉工學士の出張を乞ひ共に同列島に航行し同年八月まで滯在し諸般の改善を計畫して更に海鳥の卵及び雛兒の風浪に略奪せらるゝを擁護し且つ家屋漁船の安全を圖る爲めに海岸の要所に防波堤を築くことに决し種々故障の爲め幾名の費用と勞力とを浪費して茲に其の竣工を見るに至れり

現代仮名遣い表記

●琉球群島に於ける古賀氏の功績(其五)
▲技術上の設計
古賀氏の尖閣列島に対する、移民計画が良好なる結果を見るに従い、第二次画の計として、貨物の運搬貨物の揚卸等に関する海陸の不便と、危険とを排除せん為め、自然同島に技術上の設計を加えて、事業の将来を開展せしむべき。心要あるを以て氏は遂に、明治三十三年上京して東京帝国大学教授、理学博士箕作住吉■に事情を陳して、其の考案を煩はしたるに博士は、氏が此の企図に多大の同情を寄せ、理学士宮島幹之助氏を推挙したるを以て、茲に氏は同島に対する技術上の設計を、之に一任する事とし。尚、当時本県師範学校教諭黒岩恒氏にも商量■て、其の出張を乞い、同年五月相携えて、汽船永康丸(大阪商船会社所有船四百六十頓)に乗じて、久場島に赴き斯くて両氏の指導の、下に同地に大路左の如く、設計を定めたり。
 一 魚類魚介の濫獲を戒め、繁殖法を講じ、種族断絶の憂なからしむること。
 二 家屋を建て、移住者の安息を図ること。
 三 久場島には河泉の依るべきもの無きが故に、雨水貯槽を設くること。
 四 船着の安全と海陸運搬の利便を図る為め、碇業所を築くこと。
 五 道路を開鑿し兼ねて、汚染物排除方法其の他、衛生的設備を講ずること。
▲右設計の遂行困難
右の設計を遂行せんが為めに、水槽築設用として煉瓦セメント及び、小港湾を築かん為め、附近海陸の岩礁を破砕するに用うる、工業用爆裂薬等、其他の材料を内地より購求し来り。非常なる困難と危険とを以て、之を陸揚げしたも工事を施こすに当りて、思いがけなき多くの障害に際会し設計を変更。位置を転移する等■々なりしが故に、其の都、度同様なる困難繰返し、再び材料を輸入し設計を新たにせざるべかざる有様に遭遇し、工事意の如く、進捗せず遅々として今尚お、竣工に至らず。
▲再び新設計を案ず
斯くて工事の次第に進捗すると同時に、明治三十四年五月、借入船仁寿丸(四百六十噸)を送還するに当り、本県技師熊倉工学士の出張を乞い。共に同列島に航行し、同年八月まで滞在し諸般の改善を計画して更に、海鳥の卵及び雛児の風浪に略奪せらるるを擁護し、且つ家屋漁船の安全を図る為めに海岸の要所に、防波堤を築くことに決し。種々故障の為め幾名の費用と労力とを浪費して茲に、其の竣工を見るに至れり。