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砂糖及水產の實際問題(二)

掲載年月日:1909/11/25(木) 明治42年
メディア:琉球新報社 1面 種別:記事

原文表記

砂糖及び水產の實際問題(二)
本縣下に於ける水產奬勵論は、砂糖改良論のそれに比すれば最も甚く智識を缼けりと評すべきなからず、尤とも其の大體論に於ては大略異存あるものなきが如し、即ち四界の萬濤を開拓すれば何らかの利源あるべきは今日までの經験により信ずべきなきにあらざるも、扨て愈々實際問題として一考し來れば如何にも望洋の感なきに能はざるにあらずや、之れ畢竟するに世上の水產奬勵論者の唱道に係る所餘りに空漠として風を捉ふるに似たるものあるが爲ならざるべからず
古人は言へり、東よりするものゝ東風たるは吾之を知ざるにあらず、而して又た西よりするの西風たるは人又た之を知るに難からず、然れども其の西よりし、東よりするものゝ何處より來りて何處に行き附くべきかを知るものなしと、今日縣下水產論者の唱道する所、論旨の空虚なるに於ては吾人殆と、其の感を之れと等ふせざること能はざるは何ぞや、他なし之れ即ち地上風ありとの概論と聊か異なる所なく、其の吹き到る風の因りて來る所は那處よりし、何處に行くものなるやを知ること能はざると等しく、沖縄縣民漁業の範圍の及ぶ所、其の水面に果たして何ものゝ大凡奈何の情態にてあるやは未た其の大概さへも証明せられざるを以てなりとす
尤とも他に二三の事實の徴すべきなきにあらず、即ち古賀氏や、玉置氏の無人嶋開拓や、照屋氏の石油發動機鰹漁舩の操業を始めとし、近時漸やく開け行かんとする鰹漁業の成績に徴すれば、此の方面の水產は、聊か有望と見るべきなきにあらず、其の他糸滿部落の人民か嗣業とせる昔しながらの漁業法によるも、多少の水產を収穫し得る、見込なきにあらざるのみならず、水產物を縣外に販賣するを業とせる二三商人の事業の跡に就き見るも相當價値あるものなきにあらず、彼是綜合し考へ來れば沖縄近海のみにても若干の利源の伏在せるを証明せられざるにあらざるも、苟くも一縣の縣是となして之を奬勵せんとするに於ては、斯る輕微な事實のみにて立論し又は唱道せらるべき筈のものにあらず、今ま少しく進みたる而して其の詳細、的確とすべき論據を、携さへ來らざるべからずと想はるゝは、如何
去れど吾人は今茲に水產業上の具體的意見を聞かんが爲めに、歐米諸国乃至諾威瑞典等の例により其説明を求めんとするものにあらざるべし帝國一般を概観したる所、水產は比較上不進歩の域に放置されあり、況んや其の南邊僻陬の地方たる縣下、而も其の人民の多くは陸產の人にして水產に依頼するの情乏しき地方の斯業を論するに方りて、進歩せる是等歐米諸國の例を引き來らんは餘りに突飛の觀あるべけれは也、然れども、縣下に水產を奬勵せんと試むるものは、其海產物の彙類生活状態採集方法漁具及其の經濟關係位な處までは立入り説明するの心掛けなかるべからざるべし、而かも本縣沿岸より以南は所謂熱帯圏内にあり、浩大なる黒潮の横流する所、下等なる珊瑚虫の棲息甚だ活潑なる所、海洋内面の情態も特色あるを免かれざると共に、此處に生息する水產動物が熱帯圏内のものもあり、寒帯若しくは温帯のものもあり雜然たる群生は多大の研究に値するのみならず、其漁獲方法に於ても内地日本海乃至北太平洋岸のそれとは又た其趣を異にすべきものありとは■者の唱ふる所なり、去れば其の是等の諸點に就ても彼是比較研究し参考に資するは専門智識あるものゝ當然爲すべき所のものにして而かも其の自家平素の持論に對するも之を爲し、且つ勉めて之を解説し奬勵鼓舞して以て方向を指示するは其責任なりと謂つべきものなからんや、之れ徒らに今日までの如く、水產興すべしとの概論のみにては吾人の感服すること能はざる所なれば也、希くは成るべく其の空論を避けよ、而して其の有體にして詳細なる示導的解説と共に實地奬勵の手段方法を講して以て縣下の斯業界に望まんことこそ肝要なるべし蓋し之れ砂糖及び水產に對する縣民實際上の問題にして而かも又た其の實際の要求なれば也(完)

現代仮名遣い表記

砂糖及び水産の実際問題(二)
本県下に於ける水産奨励論は、砂糖改良論のそれに比すれば最も甚く知識を欠けりと評すべきなからず。もっとも其の大体論に於ては大略異存あるものなきが如し、即ち四界の万濤を開拓すれば何らかの利源あるべきは今日までの経験により信ずべきなきにあらざるも、扨て愈々実際問題として一考し来れば、如何にも望洋の感なきに能はざるにあらずや。之れ畢竟するに、世上の水産奨励論者の唱道に係る所、余りに空漠として風を捉ふるに似たるものあるが為ならざるべからず。
古人は言えり、東よりするものの東風たるは吾之を知ざるにあらず、しかも又た西よりするの西風たるは人又た之を知るに難からず。然れども其の西よりし東よりするものの、何処より来りて何処に行き付くべきかを知るものなしと。今日、県下水産論者の唱道する所、論旨の空虚なるに於ては、吾人殆ど其の感を之れと等うせざること能はざるは何ぞや、他なし。之れ即ち地上風ありとの概論といささか異なる所なく、其の吹き到る風の因りて来る所は那処よりし何処に行くものなるやを知ること能はざると等しく、沖縄県民漁業の範囲の及ぶ所、其の水面に果たして何ものの大凡奈何の情態にてあるやは、未だ其の大概さえも証明せられざるを以てなりとす。
もっとも他に二三の事実の徴すべきなきにあらず。即ち古賀氏や、玉置氏の無人島開拓や、照屋氏の石油発動機鰹漁船の操業を始めとし、近時ようやく開け行かんとする鰹漁業の成績に徴すれば、此の方面の水産は、いささか有望と見るべきなきにあらず。其の他、糸満部落の人民が嗣業とせる昔しながらの漁業法によるも、多少の水産を収穫し得る見込なきにあらざるのみならず、水産物を県外に販売するを業とせる二三商人の事業の跡に就き見るも、相当価値あるものなきにあらず。彼是総合し考え来れば、沖縄近海のみにても若干の利源の伏在せるを証明せられざるにあらざるも、苟くも一県の県是となして之を奨励せんとするに於ては、斯る軽微な事実のみにて立論し又は唱道せらるべき筈のものにあらず、今ま少しく進みたる。しかして其の詳細、的確とすべき論拠を、携さえ来らざるべからずと想はるるは、如何。
去れど吾人は今茲に水産業上の具体的意見を聞かんが為めに、欧米諸国乃至諾威瑞典等の例により、其説明を求めんとするものにあらざるべし。帝国一般を概観したる所、水産は比較上不進歩の域に放置されあり、ましてや其の南辺僻陬の地方たる県下、しかも其の人民の多くは陸産の人にして水産に依頼するの情乏しき地方の斯業を論するに方りて、進歩せる是等欧米諸国の例を引き来らんは余りに突飛の観あるべけれは也。然れども、県下に水産を奨励せんと試むるものは、其海産物の彙類、生活状態、採集方法、漁具及其の経済関係位な処までは立入り説明するの心掛けなかるべからざるべし。しかも本県沿岸より以南は所謂熱帯圏内にあり、浩大なる黒潮の横流する所下等なる珊瑚虫の棲息甚だ活溌なる所、海洋内面の情態も特色あるを免かれざると共に、此処に生息する水産動物が熱帯圏内のものもあり寒帯若しくは温帯のものもあり、雑然たる群生は多大の研究に値するのみならず其漁獲方法に於ても内地日本海乃至北太平洋岸のそれとは又た其趣を異にすべきものありとは■者の唱ふる所なり。去れば其の是等の諸点に就ても、彼是比較研究し参考に資するは専門知識あるものの当然為すべき所のものにして、しかも其の自家平素の持論に対するも之を為し且つ勉めて之を解説し奨励鼓舞して、以て方向を指示するは其責任なりと謂つべきものなからんや。之れ徒らに今日までの如く水産興すべしとの概論のみにては、吾人の感服すること能はざる所なれば也。希くは成るべく其の空論を避けよ、しかも其の有体にして詳細なる示導的解説と共に実地奨励の手段方法を講して、以て県下の斯業界に望まんことこそ肝要なるべし。まさしく之れ砂糖及び水産に対する県民実際上の問題にして、しかも又た其の実際の要求なれば也。(完)