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島巡り

掲載年月日:1909/9/23(木) 明治42年
メディア:琉球新報社 1面 種別:記事

原文表記

島巡り
天南漁夫
八月十二日 朝餐後元成屋に上陸す元は成屋村と稱する村落なりしが風土病の爲廢村となり後炭坑を開掘するに至り抗夫其他關係者多く來り住み漸次繁昌して今は三百余の男女住めりと云ふ
西表嶋の地形は大島の如く勢ひ極めて峻嶮舩浮灣の如き海岸より直ちに急斜の山聳ゆ是れ良灣ある所以か
炭坑は數口を開き運搬の設備抔も稍整備せり抗夫には本縣の男女は素より内地人もあり台灣人もあり執業中は顏も身体も眞黑になり見る影もなけれども懷が常に暖き爲生活は誠に贅澤なり
附近に南風坂と稱する炭坑あれども搾業振はよず
舩浮の村落は元成屋の對岸にあり戶數十戶ばかり極めて寂莫たる村落なり
午后本舩に歸り夜に入りてはデツキに出て例の釣を試み赤魚の尺餘なるもの二尾と二尺餘のタマン一尾を釣る

現代仮名遣い表記

島巡り
天南漁夫
八月十二日 朝餐後元成屋に上陸す元は成屋村と称する村落なりしが、風土病の為廃村となり後炭坑を開掘するに至り、抗夫其他関係者多く来り住み漸次繁昌して、今は三百余の男女住めりと云う。
西表島の地形は大島の如く勢い極めて、峻嶮船浮湾の如き海岸より直ちに急斜の山聳ゆ。是れ良湾ある所以か。
炭坑は数口を開き運搬の設備抔も稍整備せり、抗夫には本県の男女は素より、内地人もあり、台湾人もあり、執業中は顔も身体も真黒になり見る影もなけれども、懐が常に暖き為生活は誠に贅沢なり。
附近に南風坂と称する炭坑あれども、搾業振はよず。
船浮の村落は元成屋の対岸にあり、戸数十戸ばかり極めて寂莫たる村落なり。
午後本船に帰り夜に入りてはデッキに出て例の釣を試み、赤魚の尺余なるもの二尾と二尺余のタマン一尾を釣る。