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島巡り
原文表記
島巡り
天南漁夫
八月九日 木村尙太郎氏の案内にて名倉を見る乗用は例の荷鞍を置きたる瘠馬なり四ヶより觀音崎までは平坦是れより少しく坂を下れは名倉灣の濱に出づ名倉の灣口一方は永良部崎一方は觀音崎にて懷ろは即ち名倉の開墾地なり平坦な膏地幾百町歩直ちに於茂登の山麓に接す中川氏の經營したる輕便レールや道路の跡今尙在す
馬を進めて名倉の川口に至れは河にはへたる紅樹の枝ぶり面白く近き小山を背景として其配合頗る趣きあり狀大雄偉■觀なしと雖も亦西洋的庭園の好モデルなり余は暫し手繩を扣へて此絕景に見とれたれしが木村氏の影の隱るゝに氣づき馬を早めて追つき同氏の小屋に至りて畫餐振舞はる道々耕作の狀况を見るに開墾許可面百四十町歩の内四十町歩位ひは既に開拓せられ砂糖も一千挺内外產出すと云ふ蔗■の手入れ本嶋にても多く見ざる程にて余は此地を以て八重山に於ける甘蔗作の模範地と信ず
これよりスリ山を越へスーナを經薄暮四ケに歸る
此日は髙等小學校友會にて一席の談話をなすの兼約ありたれば七時過より同會に出席し旅行中の所感を述ぶ
現代仮名遣い表記
島巡り
天南漁夫
八月九日 木村尚太郎氏の案内にて名倉を見る乗用は、例の荷鞍を置きたる瘠馬なり。四ヶより観音崎までは平坦、是れより少しく坂を下れば名倉湾の浜に出づ。名倉の湾口一方は永良部崎一方は観音崎にて、懐ろは即ち名倉の開墾地なり。平坦な膏地幾百町歩直ちに於茂登の山麓に接す、中川氏の経営したる軽便レールや道路の跡今尚在す。
馬を進めて名倉の川口に至れば、河にはえたる紅樹の枝ぶり面白く、近き小山を背景として其配合頗る趣きあり。状大雄偉■観なしと雖も、亦西洋的庭園の好モデルなり。余は暫し手縄を扣へて此絶景に見とれたりしが、木村氏の影の隠るるに気づき馬を早めて追つき、同氏の小屋に至りて画餐振舞はる。道々耕作の状況を見るに開墾許可面百四十町歩の内、四十町歩位いは既に開拓せられ、砂糖も一千挺内外産出すと云う。蔗■の手入れ本島にても多く見ざる程にて、余は此地を以て八重山に於ける甘蔗作の模範地と信ず。
これよりスリ山を越え、スーナを経薄暮四ケに帰る。
此日は高等小学校友会にて一席の談話をなすの兼約ありたれば、七時過より同会に出席し旅行中の所感を述ぶ。