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島巡り

掲載年月日:1909/9/18(土) 明治42年
メディア:琉球新報社 1面 種別:記事

原文表記

島巡り
天南漁夫
八月六日 南友翁を鄕導として近水と三人瘠馬に鞭つて村落を歷遊す眞榮里を離れるは道の左右原野多くして土地の多きを見る平得を過くれは原野いよいよ多くして農事の精ならざるを覺ふこれより大濱を過くれば有名なる宮良川あり紅樹多し章魚の手の如き■は水中より拔んで枝には長き紅■實を結び白砂の上を流るゝ水は淸きこと玉の如し都會の地になれば差詰好納凉所なり川には三座の橋あり仲尾次政昆氏の祖父の架する所なりと云ふ
川を渡れば宮良なり馬■眼を放てば嚝野茫々とし人家なく只牛馬の草裡に點々たるを見るのみ宮良に小憇して白保に至り此處にて餐畫を喫し更に馬呵し白保の牧を橫ぎり盛由を越へ桃里の境に至る此先に伊原間平久保あれども宿泊の用意なければ此より馬頭をかへす
石垣島の地形於茂登の山脈は稍嶮峻なれとも東海に面する所は一望平衍四ヶより盛山に至る約四里の道々担そ■の如く左右の平原幾百万頃なるを知らず其間人間としては平得百六十七大濱二百安良百二八間白保百五二盛山十四にして村落と村落のに殆んど人家を見ず

現代仮名遣い表記

島巡り
天南漁夫
八月六日 南友翁を郷導として近水と三人、瘠馬に鞭って村落を歴遊す。真栄里を離れるは道の左右原野多くして、土地の多きを見る平得を過くれば、原野いよいよ多くして農事の精ならざるを覚う。これより大浜を過くれば有名なる宮良川あり、紅樹多し章魚の手の如き■は、水中より抜んで枝には長き紅■実を結び、白砂の上を流るる水は清きこと玉の如し。都会の地になれば差詰好納涼所なり川には、三座の橋あり仲尾次政昆氏の祖父の架する所なりと云う。
川を渡れば宮良なり馬■眼を放てば、嚝野茫々とし人家なく只牛馬の草裏に点々たるを見るのみ。宮良に小憩して白保に至り、此処にて餐画を喫し、更に馬呵し白保の牧を横ぎり、盛由を越え桃里の境に至る此先に、伊原間平久保あれども宿泊の用意なければ此より馬頭をかえす。
石垣島の地形於茂登の山脈は稍険峻なれども、東海に面する所は一望平衍四ヶより、盛山に至る約四里の道々担そ■の如く、左右の平原幾百万頃なるを知らず、其間人間とては平得百六十七、大浜二百、安良百二八間、白保百五二、盛山十四にして村落と村落のに殆んど人家を見ず。