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島巡り

掲載年月日:1909/9/10(金) 明治42年
メディア:琉球新報社 1面 種別:記事

原文表記

島巡り
天南漁夫
七月三十一日 ■友翁を案内に賴み近水と三人名倉見物を企たて駄馬に鞭つて登能城■發す
然るに大用に至る頃驝雨颯然襲ひ來り人馬共に濡鼠の如し時に雨風烈しく大粒の雨は宛然砂を投付けらるゝか如く西■向くべき樣なし名倉は名高き有病地にて人々の經驗に依れはマラリヤには雨に濡れること最も禁物なりと聞き强いてこの病毒を犯すの必要もなければ遂に其儘引かへす
午后は照嶋丸の漁師三五人來り鰹魚漁の話に頗る興を催す。
彼等の語る處に據れば八重山近海は鰹魚の大魚道にて四面皆好漁塲ならざるはなし撰ぶ所は只陸上の便不便のみ
土用の頃は鰹魚も不活潑にして隨て漁獲最も少けれども秋に入れは一日六七百乃至一千尾を獲ること難きにあらず
鰹魚がよく餌につくときは船の周圍に群集し普通の釣針を投するに及ばず擬餌にて引つかけるのみ斯くて二三十分間に四五百■釣りあげるなり云々

現代仮名遣い表記

島巡り
天南漁夫
七月三十一日 ■友翁を案内に頼み近水と三人名倉見物を企だて駄馬に鞭って登野城■発す。
然るに大用に至る頃驝雨颯然襲い来り、人馬共に濡鼠の如し時に雨風烈しく、大粒の雨は宛然砂を投付けらるるか如く西■向くべき様なし。名倉は名高き有病地にて人々の経験に依れば、マラリヤには雨に濡れること最も禁物なりと聞き、強いてこの病毒を犯すの必要もなければ遂に其儘引かえす。
午後は照嶋丸の漁師三五人来り、鰹魚漁の話に頗る興を催す。
彼等の語る処に拠れば八重山近海は鰹魚の大魚道にて、四面皆好漁場ならざるはなし選ぶ所は只陸上の便不便のみ。
土用の頃は鰹魚も不活溌にして随て漁獲最も少けれども秋に入れは、一日六七百乃至一千尾を獲ること難きにあらず。
鰹魚がよく餌につくときは船の周囲に群集し、普通の釣針を投するに及ばず。擬餌にて引っかけるのみ、斯くて二三十分間に四五百■釣りあげるなり云々。