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島巡り
原文表記
島巡り
天南漁夫
七月二十八日 未明に目を覺し窓より望めば左舷にばんやり嶋影を認む船員に問へば石垣嶋の永良部崎なりと云ふされは拔錨に間もあるまじとてそろ〱上陸の準備にとりかゝる
八重嶋は石垣西表の二大嶋南北に相對し其中間に竹富小濱の二小嶋あり東は石垣の端より西表の端まで例の珊瑚礁を以て連綴せられ此間は山原船でも髙潮にあらざれば出入りし難し滊船は西に廻り永良都崎と小濱との間より入り四ヶ(登野城、石垣外二ヶ字にて八重山第一の都會)と竹富嶋の中間に碇泊す四ヶの濱は遠淺にして端舟の往來甚だ不便なり
午前五時ごろに投錨直ちに上陸す大濱氏を初めとして丸一店員諸氏態々出迎へらる余は近水君と同居することに决し登野城なる同君の宿所に落ちつく此の四ヶを一巡して大体の樣子を見るに屋並みもよく店舗も大きく本縣南の一都會として恥ちざるが如し
現代仮名遣い表記
島巡り
天南漁夫
七月二十八日 未明に目を覚し窓より望めば左舷にばんやり嶋影を認む、船員に問えば石垣嶋の永良部崎なりと云う。されは抜錨に間もあるまじとて、そろそろ上陸の準備にとりかかる。
八重嶋は石垣西表の二大嶋南北に相対し、其中間に竹富小浜の二小嶋あり。東は石垣の端より西表の端まで、例の珊瑚礁を以て連綴せられ、此間は山原船でも高潮にあらざれば出入りし、難し汽船は西に廻り、永良都崎と小浜との間より入り、四ヶ(登野城、石垣外二ヶ字にて八重山第一の都会)と竹富嶋の中間に碇泊す。四ヶの浜は遠浅にして端舟の往来甚だ不便なり。
午前五時ごろに投錨直ちに上陸す、大浜氏を初めとして丸一店員諸氏態々出迎へらる余は、近水君と同居することに決し、登野城なる同君の宿所に落ちつく。此の四ヶを一巡して大体の様子を見るに、屋並みもよく店舗も大きく本県南の一都会として恥じざるが如し。