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島巡り

掲載年月日:1909/9/2(木) 明治42年
メディア:琉球新報社 1面 種別:記事

原文表記

島巡り
天南漁夫
七月二十四日 二三 知人來り時事談に時を移す余諸氏に所見を語りて曰く宮古は數年前まで納稅の成跡極めて不良なるものゝ一なりき然るに四十一年度第三期に於ては調定額一万七千八百九十八圓余の内納期中に納めたるもの一万四千四十四圓余納期後三日までに納めたるもの三千七百五圓余然して未納は僅々百四十八圓に過ぎず余は此一事を以て能事終れりとするものにあらずと雖も亦以て民心が改善せられたる一端を知る
余は平良下地城邊の三村を瞥見したるが下地城邊は專ら農牧に依賴し村長議員諸氏協力一致して諸般の改善を謀らば近き將來に於て其成績必ず顯著ならん唯り平良に至りては決して尋常の努力を以て改善すべからず余が鄙見を以てすれば先つ士族として士の觀念を捨しめ各相當の職業を執らしむるの道を講するを以て急務とすべし余が知る所に依れば首里那覇の士■學識の有無に拘はらず早く士の觀念を捨てた■ものは皆成功せり上布の如きは唯り宮古の特產たるのみならず實に縣の工藝を表彰すべき物產なり之が聲價を維持し益々其精巧を發揮するは本島が縣に對するの一義務也
本島は三四十万圓の輸出物產あり然るに割合に實力の伸びざるは平良人士が實業に熱心ならさること其重なる原因と見たるは否か
此朝友人立津春方氏の嚴父逝去す
午后四時其葬式に會す                                                                                                                                                                                                                 

現代仮名遣い表記

島巡り
天南漁夫
七月二十四日 二三 知人来り時事談に時を移す余諸氏に所見を語りて曰く、宮古は数年前まで納税の成跡極めて不良なるものの、一なりき然るに四十一年度第三期に於ては、調定額一万七千八百九十八円余の内、納期中に納めたるもの一万四千四十四円余。納期後三日までに納めたるもの三千七百五円余然して未納は、僅々百四十八円に過ぎず。余は此一事を以て能事終れりとするものにあらずと雖も、亦以て民心が改善せられたる一端を知る。
余は平良、下地、城辺の三村を瞥見したるが、下地、城辺は専ら農牧に依頼し、村長議員諸氏協力一致して、諸般の改善を謀らば近き将来に於て、其成績必ず顕著ならん。唯り平良に至りては決して尋常の努力を以て改善すべからず。余が鄙見を以てすれば、先づ士族として士の観念を捨しめ、各相当の職業を執らしむるの道を講するを以て急務とすべし。余が知る所に依れば、首里那覇の士■学識の有無に拘はらず、早く士の観念を捨てた■ものは皆成功せり。上布の如きは唯り宮古の特産たるのみならず、実に県の工芸を表彰すべき物産なり。之が声価を維持し益々、其精巧を発揮するは本島が県に対するの一義務也。
本島は三四十万円の輸出物産あり然るに、割合に実力の伸びざるは平良人士が、実業に熱心ならさること、其重なる原因と見たるは否か。
此朝友人立津春方氏の厳父逝去す
午後四時其葬式に会す