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西澤島問題一段落
原文表記
西澤島問題一段落
琉球新報 明治四十二年七月一日
西澤島即ちプラタス島の所属に關しては久しく瀬川領事と張廣束總督との間に交渉中なりしが最近に至り兎も角も交渉の一段落を告ぐるに至りたりと云ふ今其經過を聞くに初め淸國官憲が彼の嶋の所属問題を持出したる折我當局者は淸國側にして信ずべき證據さへ提出せば必ずしも其所属たることを否まざる旨を明かにしたるを以て其後淸國は種々の證據を持出し來りたるが今日迄の所にては未だ的確に淸國の所属たるを認むるに足らざれども我國は初より其所属を爭ふの意思にあらざるを以て當局者は頃日先方に對し是迄の所を以て未だ十分と認めざれども何時迄爭ふも詮なきを以て我方は好意的に淸國の所属と認むるも不可なきが併し之は全く我國の好意に出る事なれば淸國に於ても我に好意を表し西澤の事業に對しても好意的の保護を與へられたし即ち相互的に好意を交換して該問題を決了せんとの趣を申入れさて西澤の事業に對する保護方法に就ては當局者より先きに當人の意思を確めたる處當人は同島の所属明かに淸國に歸するとせば後來淸國官憲との間に面倒の關係を生するは必定なれば最早事業繼績の意思なき旨を漏らしたるを以て先方に對し此際西澤の事業一切を買上ぐるか但しは同人の任意撤退を促し其損害を賠償するかの途に出んことを求めたるに張總督は我提議を容れ西澤の事業は相當の時價を以て買取るべき旨を通じ來りたり依つて我當局者は斯く定まる上は彼我兩方より委員を出し西澤も立會はしめ事業一切の評價をなし其時價を決定する事とせんとの趣を通じたるが之に對しては未だ回答無けれども數日中之に接すべき順序なり然る上は我政府は瀬川領事を委員とし淸國委員と立會ひ評價せしめ相當價額に折合ふたり以上は之と共に該嶋の淸國所属を認承し之にて該事件を一切結了する手筈なるが唯右評價に當り西澤は是迄注込みたる資本全部の償還を求むべく淸國側は現在の狀態に就て評價せん■すべきが故に兩者の間に多少意見の相違■來す場合はあるべきも要するに之は事實に就いての爭なれば相當の所に折合を見るべしと云ふ
現代仮名遣い表記
西澤島問題一段落
琉球新報 明治四十二年七月一日
西澤島即ちプラタス島の所属に関しては、久しく瀬川領事と張廣東総督との間に交渉中なりしが、最近に至り兎も角も交渉の一段落を告ぐるに至りたりと言う。今其経過を聞くに、初め清国官憲が彼の島の所属問題を持出したる折、我当局者は清国側にして信ずべき証拠さえ提出せば、必ずしも其所属たることを否まざる旨を明かにしたるを以て、其後清国は種々の証拠を持出し来りたるが、今日迄の所にては未だ的確に清国の所属たるを認むるに足らざれども、我国は初より其所属を争うの意思にあらざるを以て、当局者は頃日先方に対し是迄の所を以て未だ十分と認めざれども、何時迄争うも詮なきを以て、我方は好意的に清国の所属と認むるも不可なきが、併し之は全く我国の好意に出る事なれば清国に於ても我に好意を表し、西澤の事業に対しても好意的の保護を与えられたし。即ち相互的に好意を交換して該問題を決了せんとの趣を申入れ、さて西澤の事業に対する保護方法に就ては当局者より先きに当人の意思を確めたる処、当人は同島の所属明かに清国に帰するとせば、後来清国官憲との間に面倒の関係を生ずるは必定なれば、最早事業継続の意思なき旨を漏らしたるを以て、先方に対し此際西澤の事業一切を買上ぐるか但しは同人の任意撤退を促し其損害を賠償するかの途に出んことを求めたるに、張総督は我提議を容れ、西澤の事業は相当の時価を以て買取るべき旨を通じ来りたり。依って我当局者は斯く定まる上は彼我両方より委員を出し、西澤も立会わしめ、事業一切の評価をなし其時価を決定する事とせんとの趣を通じたるが、之に対しては未だ回答無けれども、数日中之に接すべき順序なり。然る上は我政府は瀬川領事を委員とし、清国委員と立会い評価せしめ、相当価額に折合うたり。以上は之と共に該島の清国所属を認承し、之にて該事件を一切結了する手筈なるが、唯右評価に当り西澤は是迄注込みたる資本全部の償還を求むべく、清国側は現在の状態に就て評価せん■すべきが故に、両者の間に多少意見の相違■来す場合はあるべきも、要するに之は事実に就いての争なれば、相当の所に折合を見るべしと言う。