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西澤島現情

掲載年月日:1909/4/12(月) 明治42年
メディア:琉球新報社 2面 種別:記事

原文表記

西澤島現情
      琉球新報 明治四十二年四月十二日

昨今日淸兩國の國際問題となり居るプラタス島即ち我西澤島を發したる西澤古次氏雇船不動丸(千八百九十四噸)は二十九日横濱へ入港せり同船は本年二月十七日西澤嶋に着し約十日間碇泊同嶋産鳥糞即ち燐礦及び龜甲二箱を積み同月二十六日同嶋を解纜歸路臺灣の打狗及び基隆に寄港臺灣米五千七百七十二俵を積み三月四日基隆出帆肥後三角港に立寄り搭載の鳥糞を陸揚げし夫より肥前住の江に寄港し同國米四千石を積み轉じて日向の油津に寄り樫の木材百六十噸を積み更に鹿児島を經て横濱に入港せしものなるが今船長後藤半吾氏に就き同島の近況を聞くに同船はプラタス島滯在中何等異狀なく唯同嶋附近四五哩先に支那帆船一艘碇泊し居るを見たるが乘組員の上陸せし模様なきを以て何の爲めに碇泊し居たるかを知らず僅に鹿児島に來りし際内地新聞により初めてプラタス問題の起りしことを知りし位なりき同島に周圍三里位高さ水面より四十呎位の一小嶋にして樹木は少許の藻木及天然桑繁茂し氣候は甚だ暑く目下九十度以上盛夏の候は百五六度にも達すされど陸地には肥料の燐礦に富み海面には水産物豊饒にして就中正覺坊多く産するより西澤氏は燐礦採掘の副事業として正覺坊を漁し内地人の食料として鑵詰に製せんとし目下機械据付けに着手し居る由採掘せし燐礦の運搬には經便軌道を敷設する等中々の計畫なり野菜は天然肥■強き爲め在住者の日用品として大木類の少許收穫せらるゝに過ぎず西澤氏は一昨年其筋の許可を得て鳥糞探掘に從事するや一時は敷百人の勞働者ありしも斯かる僻陬なる一小島なるを以て勞働者次第■減じ目下は百五六十名あるのみ此勞働者の多くは小笠原■人及び臺灣より轉航せし内地人淸國福州人二十人許りなり本船は是にて四回目の航海にて此他右産物を内地へ運搬する爲め熊本丸辰丸等數回航海し居れり西澤氏は鳥糞採掘後は豊富なる天然桑を以て養蠶をも爲さん考へなりと 

現代仮名遣い表記

西澤島現情
      琉球新報 明治四十二年四月十二日

昨今日清両国の国際問題となり居るプラタス島即ち我西澤島を発したる西澤古次氏雇船不動丸(千八百九十四屯)は二十九日横浜へ入港せり。同船は本年二月十七日西澤島に着し、約十日間碇泊、同島産鳥糞即ち燐鉱及び亀甲二箱を積み、同月二十六日同島を解纜。帰路台湾の打狗及び基隆に寄港、台湾米五千七百七十二俵を積み、三月四日基隆出帆。肥後三角港に立寄り、搭載の鳥糞を陸揚げし、夫より肥前住の江に寄港し、同国米四千石を積み、転じて日向の油津に寄り、樫の木材百六十屯を積み、更に鹿児島を経て横浜に入港せしものなるが、今船長後藤半吾氏に就き同島の近況を聞くに、同船はプラタス島滞在中何等異状なく、唯同島附近四、五哩先に支那帆船一艘碇泊し居るを見たるが、乗組員の上陸せし模様なきを以て何の為めに碇泊し居たるかを知らず、僅に鹿児島に来りし際内地新聞により初めてプラタス問題の起りしことを知りし位なりき。同島に周囲三里位、高さ水面より四十呎位の一小島にして、樹木は少許の藻木及天然桑繁茂し、気候は甚だ暑く目下九十度以上、盛夏の候は百五、六度にも達す。されど陸地には肥料の燐鉱に富み、海面には水産物豊饒にして就中正覚坊多く産するより、西澤氏は燐鉱採掘の副事業として正覚坊を漁し、内地人の食料として缶詰に製せんとし、目下機械据付けに着手し居る由。採掘せし燐鉱の運搬には軽便軌道を敷設する等中々の計画なり。野菜は天然肥■強き為め在住者の日用品として大木類の少許収穫せらるゝに過ぎず。西澤氏は一昨年其筋の許可を得て鳥糞探掘に従事するや、一時は数百人の労働者ありしも、斯かる僻陬なる一小島なるを以て労働者次第■減じ、目下は百五、六十名あるのみ。此労働者の多くは小笠原■人及び台湾より転航せし内地人、清国福州人二十人許りなり。本船は是にて四回目の航海にて、此他右産物を内地へ運搬する為め熊本丸辰丸等数回航海し居れり。西澤氏は鳥糞採掘後は豊富なる天然桑を以て養蚕をも為さん考えなりと。