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尖閣列島と古賀辰四郞氏(四)

掲載年月日:1908/6/19(金) 明治41年
メディア:琉球新報社 2面 種別:記事

原文表記

尖閣列島と古賀辰四郞氏(四)
 琉球新報 明治四十一年六月十九日  漏  渓

古賀氏が事業の■基礎は最初其の産物の賣捌口を外國に求めたるに歸すべきが如し、氏が明治十二年を以て縣下の海産物の販路を開かんとする時、先つ神戸の一外國商人に對して賣買約束■協締したることは、之れ軈て仝氏が尖閣列島を經營するに方りて列島産物の販路に多大の便宜を得た■一■なるべしと想像せらる、吾人が知る所によれば、仝氏が明治二十九年始めて列島開拓の認可を得たる以後の分のみに見るも、其の海陸産物の重なるものは、唯一の外國商品として貴重なる鳥毛及び海鳥の剝製等にして而かも其の年々採收の數量は數萬斤若くは數十萬羽を以て數へらるゝにあらすや其の他海産物としては魚介若くは鱶鰭等にして素より外國向きの産物のみならざるなきはなし、而かも古賀氏が經營の大基礎■先つ其の産物の販路を廣大なる外國市場に求むるにありたるが故に、是等年々産出する所の數萬斤、數十萬羽の産物を賣捌くに方りて聊かも窮する所なく、卓々として多々益々便することを得たりとす、之れ吾人が古賀氏經營着眼の尋常ならざるを稱揚して休まざる一原由なりとす
斯く觀察し解剖し來たれば、古賀氏が今日の成効は、其の實、商品販路の目標を外國市場に定めたる時既に其の半は以上の成効を贏ち得たるものありと云ふことを得ん歟吾人は以上の如き根柢ある古賀氏經營の歴史を尋ね、更らに翻つて仝列島に於る海陸に如何なる種類を有するかを見るに、單に以上の數種のみに止まらざるなり、和平山、及び黄尾島の二嶼に於ける陸上には鬱茂たる林中熱帶植物の各種に富るのみならず、一ツ葉、黐の木、槇、ツルコ、クバ木等の良材甚だ豊なりとす、喈々たる禽鳥は其の林木の間に戯れ敢て人を恐るるを知ざるが如きは、自然の樂土天然の一大遊園と謂べき程、自然の妙趣を加はへつゝあり吾人が今回の旅行に於て是等の島嶼に上陸し興趣多き自然界の眺め■憧かれ居るの時、氏は更らに吾人に對し、是等天然多趣の島嶼に對■、人畜移殖の道を開かんが爲め開墾の基礎を定めつゝあることを告げたり、而して其の開墾の個所は點々處在するを以て遍覧すること能はざりしと雖も、然かも其の後聞く所によれば總面積は六拾餘町歩に達し、移住民の數二百四拾餘名、戸數は九十九戸の多きありと云ふ、吾人は古賀氏に導かるゝまゝ行きもてあれば各所開墾の處には甘藷や、雑穀蔬菜類の美事に成長せるを認めたり此の外古賀氏は山林經營の一端として臺灣より樟樹の數萬本を買入れ之を各所に植へ附けおれり、其の成蹟は甚だ佳良なり、松樹、竹類も又た古賀氏の試植せるを見たるが此の類■植物は格別の大規模を以てなされたりとも見受けられざりき
此の外列島に於ける陸産物としては、吾人が特筆大書して以て讀者に紹介すべきものあり、何ぞや曰く、列島中南北小島の皮土若くは其の■岩より成れる岩層の露出面には燐酸肥料の極て多量が蓄積せられあること、及び其の黄尾島中には窒素肥料分の大約數十萬噸位は蓄積せられあらずやとの趣今回旅行隊中の専門學者た■恒藤博士によりて發言せられたること之れなりとす、吾人は今茲に燐酸肥料や窒素肥料が、世界の農界に如何なる位置及び其の價値を有せるかを説んとせざるべし、然れども其の一般農界が今日南米地方に於て採掘せられつゝある燐酸肥料により如何に多大なる恩恵を受けつゝあるかは宜しく考へ合はするを可なりと信ず、吾人は全く斯界の門外漢子なるが故に精はしく之を説くこと能はざれども、輓近歐州中部及ひ英國の地方に於ける農界の進歩と其の繁盛とは、英國倫敦の肥料會社が一手に南米地方特産物たる燐礦の權利を獨占して以て、盛んに之れを該地方に移入販賣を始めたるより一新紀元をなしたりと云ふにあらずや、斯くて其の燐酸等の肥料は日本帝國の農界に於ても、大に其の必要を感じつゝありと雖も、然かも其の是等の會社若くは他の肥料會社等よりする移入が餘りに高價に方たる故を以て、充分に需用すること能はずと云ふにあらずや、中歐■於ても獨逸が殖産興業に熱心なるは驚くべきものあり、南洋諸島に對して國費を以て探險を試みつゝあるは、南洋特産物の發見に鋭意なる故のみならず、又た以て是等肥料が英國資本家の獨占に歸せるに對し、廉價なる肥料分の供給を是等地方に求めんと欲する所以なりと傳へらる、去れば今日肥料の研究は世界農界の一大問題にして而かも其の一大要求たり、此の時に方りて、古賀氏が經營の一群島中是等貴重なる肥料分の蓄積せられあるを發見せられたりとせば、吾人が今回に於て試みたる列島旅行の利益及び其の興味たるや又た甚だ慇懃なりと云はざる能はざるべし
吾人は未だ如斯き豊富なる肥料分の採收に對して古賀氏が如何なる經營を試みんとするかを知らずと雖ども、黄尾島■豫測高數拾餘萬噸位もあらんかと信せらるべき窒素肥料蓄積部分中にも個處により等差ありとのことなるが、其の最とも多量に蓄積せられたる部分に就き假りに年々數千噸宛の採掘を試むるとせば優に二十年間■事業に堪ふべしと云ふにあらずや、然かも其の窒素分の蓄積は、鳥類の排泄に係はる、島内に群集し來たる海鳥の保護宜しきを得は、一方採掘事業を進めつゝある傍、是等貴重なる鳥類の排泄物は、自然に巡環し來りて從前の多量に復舊せらるべしと云ふ
以上は黄尾島中窒素肥料分に對する極めて簡單なる觀察に過きずと雖ども、若し其の言ふ所の如くならしめば仝島に於ける窒素肥料分の蓄積は殆んど無盡蔵と謂つべきにあらずや
吾人は是等利益ある觀察を遂け、更らに仝島沿海に於け■鰹漁の甚だ有利なるべきを見ぬ、次號に於て之を記さん

現代仮名遣い表記

尖閣列島と古賀辰四郞氏(四)  
 琉球新報 明治四十一年六月十九日  漏  渓

古賀氏が事業の■基礎は、最初其の産物の売捌口を外国に求めたるに帰すべきが如し。氏が明治十二年を以て県下の海産物の販路を開かんとする時、先づ神戸の一外国商人に対して売買約束■協締したることは、之れ軈て同氏が尖閣列島を経営するに方りて、列島産物の販路に多大の便宜を得た■一■なるべしと想像せらる。吾人が知る所によれば、同氏が明治二十九年始めて列島開拓の認可を得たる以後の分のみに見るも、其の海陸産物の重なるものは、唯一の外国商品として貴重なる鳥毛及び海鳥の剝製等にして、而かも其の年々採収の数量は数万斤若くは数十万羽を以て数えらるゝにあらずや。其の他海産物としては魚介若くは鱶鰭等にして元より外国向きの産物のみならざるなきはなし。而かも古賀氏が経営の大基礎■先づ其の産物の販路を広大なる外国市場に求むるにありたるが故に、是等年々産出する所の数万斤、数十万羽の産物を売捌くに方りて聊かも窮する所なく、卓々として多々益々便することを得たりとす。之れ吾人が古賀氏経営着眼の尋常ならざるを称揚して休まざる一原由なりとす。
斯く観察し解剖し来たれば、古賀氏が今日の成効は、其の実、商品販路の目標を外国市場に定めたる時、既に其の半ば以上の成効を余ち得たるものありと言うことを得ん歟。吾人は以上の如き根柢ある古賀氏経営の歴史を尋ね、更らに翻って同列島に於る海陸に如何なる種類を有するかを見るに、単に以上の数種のみに止まらざるなり。和平山及び黄尾島の二嶼に於ける陸上には、鬱茂たる林中熱帯植物の各種に富るのみならず、一ッ葉、黐の木、槇、ツルコ、クバ木等の良材甚だ豊なりとす。喈々たる禽鳥は其の林木の間に戯れ、敢て人を恐るるを知ざるが如きは、自然の楽土天然の一大遊園と謂べき程、自然の妙趣を加わえつゝあり。吾人が今回の旅行に於て是等の島嶼に上陸し興趣多き自然界の眺め■憧かれ居るの時、氏は更らに吾人に対し、是等天然多趣の島嶼に対■、人畜移殖の道を開かんが為め開墾の基礎を定めつゝあることを告げたり。而して其の開墾の個所は点々処在するを以て遍覧すること能わざりしと雖も、然かも其の後聞く所によれば、総面積は六十余町歩に達し、移住民の数二百四十余名、戸数は九十九戸の多さありと言う。吾人は古賀氏に導かるゝまゝ行きもてあれば、各所開墾の処には甘藷や雑穀蔬菜類の美事に成長せるを認めたり。此の外古賀氏は山林経営の一端として、台湾より樟樹の数万本を買入れ之を各所に植え附けおれり。其の成蹟は甚だ佳良なり。松樹、竹類も又た古賀氏の試植せるを見たるが、此の類■植物は格別の大規模を以てなされたりとも見受けられざりき。
此の外列島に於ける陸産物としては、吾人が特筆大書して以て読者に紹介すべきものあり。何ぞや。曰く、列島中南北小島の皮土若くは其の■岩より成れる岩層の露出面には、燐酸肥料の極て多量が蓄積せられあること、及び其の黄尾島中には窒素肥料分の大約数十万屯位は蓄積せられあらずやとの趣、今回旅行隊中の専門学者た■恒藤博士によりて発言せられたること之れなりとす。吾人は今茲に、燐酸肥料や窒素肥料が世界の農界に如何なる位置及び其の価値を有せるかを説んとせざるべし。然れども其の一般農界が今日、南米地方に於て採掘せられつゝある燐酸肥料により如何に多大なる恩恵を受けつゝあるかは宜しく考え合わするを可なりと信ず。吾人は全く斯界の門外漢子なるが故に精わしく之を説くこと能わざれども、輓近欧洲中部及び英国の地方に於ける農界の進歩と其の繁盛とは、英国倫敦の肥料会社が一手に南米地方特産物たる燐鉱の権利を独占して以て、盛んに之れを該地方に移入販売を始めたるより一新紀元をなしたりと言うにあらずや。斯くて其の燐酸等の肥料は、日本帝国の農界に於ても大に其の必要を感じつゝありと雖も、然かも其の是等の会社若くは他の肥料会社等よりする移入が余りに高価に方たる故を以て、充分に需用すること能わずと言うにあらずや。中欧■於ても独逸が殖産興業に熱心なるは驚くべきものあり。南洋諸島に対して国費を以て探検を試みつゝあるは、南洋特産物の発見に鋭意なる故のみならず、又た以て是等肥料が英国資本家の独占に帰せるに対し、廉価なる肥料分の供給を是等地方に求めんと欲する所以なりと伝えらる。去れば今日肥料の研究は世界農界の一大問題にして而かも其の一大要求たり。此の時に方りて、古賀氏が経営の一群島中是等貴重なる肥料分の蓄積せられあるを発見せられたりとせば、吾人が今回に於て試みたる列島旅行の利益及び其の興味たるや又た甚だ慇懃なりと言わざる能わざるべし。
吾人は未だ如斯き豊富なる肥料分の採収に対して古賀氏が如何なる経営を試みんとするかを知らずと雖ども、黄尾島■予測高数十余万屯位もあらんかと信ぜらるべき窒素肥料蓄積部分中にも個処により等差ありとのことなるが、其の最とも多量に蓄積せられたる部分に就き仮りに年々数千屯宛の採掘を試むるとせば、優に二十年間■事業に堪うべしと言うにあらずや。然かも其の窒素分の蓄積は、鳥類の排泄に係わる、島内に群集し来たる海鳥の保護宜しきを得ば、一方採掘事業を進めつゝある傍、是等貴重なる鳥類の排泄物は、自然に巡環し来りて従前の多量に復旧せらるべしと言う。
以上は黄尾島中窒素肥料分に対する極めて簡単なる観察に過きずと雖ども、若し其の言う所の如くなりしめば、同島に於ける窒素肥料分の蓄積は殆んど無尽蔵と謂つべきにあらずや。
吾人は是等利益ある観察を遂げ、更らに同島沿海に於け■鰹漁の甚だ有利なるべきを見ぬ。次号に於て之を記さん。