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◎雲濤日記(二)上陸に先ち宮古沖より 漏溪

掲載年月日:1908/6/4(木) 明治41年
メディア:琉球新報社 2面 種別:記事

原文表記

◎雲涛日記(二)
上陸に先ち宮古沖より 漏渓
二十七日午後四時三十分球陽丸は愈々那覇港を抜錨仕り候、此の日曇天波なし極めて穩なる航海なり時々大ウナリにウナリ來る水面をかきわけ靜かに進む、航速力は九浬六分と聞く、航は南西の針路を取りつゝあり、左に見たる沖本繩本島の影漸やく水平線下に沒するの時、水面のウナリは益々高く大きくなりもて來たる、而かも一路は平安なるべしとと申候
 抜錨の砌りに集まり居たる上甲板の人々は次第に减じ船室に行く、居殘りたる小生と玉城技手とは暫し尙ほ水產上の談話を續け候
聞く所によれば縣下沿岸冬期になれば屡々鯨群の游泳するを認め、本年中に於て鯨の陸岸に打ち上げたるもの既に四頭の多きを見たりと申候、慶良間近海は殊に其の出沒を見■、海豚は往々鯨群を見掛けて激烈なる襲撃を試むることあ■、近海に斃死の鯨を見るは其の災厄罹りたるものゝみなりと申候、例の鯱先生も海豚の一種にて常に鯨群ろ遂ひ廻はすを以て愉快と致し候由
玉城技手の任務は尖閣列島近海の潮流及び魚族を調査し、水產業の將來を開かんとするにありと申候
小生は古賀氏が列島に對する事業の談話など續け居る中、■大なるウナリの三つ四つに驚かされ、何となく心地勝れざるまゝ、船室に到れば一行中の親類筋とも云ふべき渡久地、小嶺、高嶺の三氏は既に横臥黨中の錚々たるものに相成居候、斯くて談話室には、古賀氏一人居殘りて、いどゝ淋しく相手欲しき樣子なりも、小生今まは何等の餘閑■く匇々横臥黨中に同盟加入仕り候、
夜、食堂■出でたる者は古賀、大久保、渡久地の三氏のみなりしが如く覺え候、食後蓄音器は百人藝を演して頻りに気焇を吐き居り候、彼女は當夜の愛嬌ものにて候、我等横臥黨にとりては殊に其の無聊の慰籍を與へ申候、横臥、一室を隔てゝ天下の妙音美聲を聽く、平生ならば此の上泰平樂はなかるべく候
今朝七時頃八重干瀨に掛■候、此の地点は航海者の最も恐怖、警戒する所なる由、軍艦などの南邊の航海は困難するは此所なりを申候、之より太凡二時間の航程、此の險難の干瀬の慮隙を進み行く、速力少しく緩徐なりしが如く、船體の動搖も左まで感せぬ樣に相成申候、既にして宮古の一離島を見■忽ちにして船の兩舷に島影を認む、船は疊を据へたるが如く靜かに相成申候島影愈々近かくして靑嵐將さに輝く、風光必ずしも賞すべきものなしと雖ども、疲れたる我等には惡からぬ眺めに御坐候、
談話室には今まや恒藤博士あり、諄々として島嶋の土地經濟論を唱へ居候、 其の要旨■曰■島嶼■土地の經濟宜しきを失せは再び之を恢復するに甚だ困難を見るべし、殊■貿易產物を仕立てるに就き最とも深き注意を要す、沖繩本島瞥見したる所によるも其の地味の豊饒なるは内地各府縣の比にあらず、而して其の適產物としては砂糖は第一にあるべし、結晶糖分の養成に適したるは臺灣の地味よりも勝れり、縣下は實に天然の糖產國と云ふべし、去れば此の地味を利用し、此の產物を有利に支配するには人物の開拓に賴るの外なかるべく候、綿花も適產なるべく、烟草も最も可なり、其他熱帯系統の植物一として可ならざるはなし云々、氏は斯く談■來りて更らに曰く、要するに產物を仕附けて地味の痩せるのは、產物を共に地味の多くを他に移出するが爲めなり、本來豊饒なりし土地も、貿易產物を仕附けたる爲め恢復すべからざる状態に陷■のは、產物と共に地味の輸出を妨制せざる方法の等閑なるが爲なり、綿糸の如き單に線緯のみならば幾何を移出するも差支へなけれども其の種子を移出する時、多くの地味は種子の中に包食せられ隨て肥料分の移出■な■、麥の期き又た然り粟の如きも又た然り、麥、粟を其の儘に移出す地方は地味の恢復に少なからぬ費用を要するもの也、之れ粟麥と共に地味の移出せらるゝが故なり、島嶼は面積も乏しく交通も頻繁ならず、萬事が大陸と殊なるが故に、麥粟を作りて現物を直に移出するより、加工して其の搾り粕は必らず之を元地に復へすの用意あるを肝賢なりさす、例えは粟を其の儘■移出■るよりは、酒精となして移出する方、寧ろ地味の减損を見ることを鮮矣米殻の如きも玄米を輸出するのと、白米となし糖を止めおくのとは地味の保護には著き相違いあり、蠶の如き生糸なれば窒素分の僅少が生糸に含まれ移出するのみ、適度において地味に害なし■雖も蛹と蠶糞は必らず之を元地に復へすの心掛けあることを要す、泥藍の如き、地味を毀損することを激甚なるものあり而して其の恢復に多額の費用を要するの理由も全たく右と仝樣の關係なり、博士は斯く談しつゝまた曰く、本縣下に砂糖■適產なるは殊に其の養分■結晶糖分を作るべき多量なるによる、糖分は是等の養分によりて作らるゝものにして、此のものを移出■る共聊か地味に减增を來たすことなり、糖分の結晶したる成品乃ち砂糖を移出して地味を减する理由としては聊からも之れあるべからず、然かも其の甘蔗の搾り粕は宜しく大切に取扱ひ、嚴密に之を元地に復へすの工夫なかるべからず、砂糖を煮る爲め其の搾り粕を燃やすのは事に害なし、只だ其の灰となしたるもの嚴密に之を元地に歸らしむれば、地味は自然に復舊ある譯なり、氏の談話は以■に止まらず候、氏は之より進んで輸入肥料■にも及候得共餘りに長く相成候まゝ大凡右にて止め申し候、要するに氏が論する所は、生ま嚙りに輸入肥料を施すは農家にとりて寧ろ危險なり、故に島嶼に於て肝要とすべきは、其の土地の原質を維持して適產物を作り出し、嚴密に地味の擁護を心掛くべしと云ふに在り候、然り而して其の地味の擁護を原質の維持とは耕作物を主として其の元に還らしむるに在りと云ふに在るものの如く候、尤とも其の輸入肥料をしても施肥の配分宜しきを得るに於ては結構なるべきも、併之を行ふには最も深き注意と經驗とを要するものの由に候是等の用意なし徒らに施肥するは考へものなりと云ふに在り候以上は船中談話の一節、豊家の參考にもと存じ右まで書添申候(廿八日午前九時舩将さに漲水湾頭に掛らんとする時認)

現代仮名遣い表記

◎雲涛日記(二) 
上陸に先ち宮古沖より 漏渓
二十七日午後四時三十分、球陽丸は愈々那覇港を抜錨仕り候。此の日曇天波なし、極めて穏なる航海なり。時々大ウナリにウナリ来る水面をかきわけ静かに進む。航速力は九浬六分と聞く、航は西南の針路を取りつつあり、左に見たる沖縄本島の影漸やく水平線下に没するの時、水面のウナリは益々高く大きくなりもて来たる、而かも一路は平安なるべしとと申候。
 抜錨の砌りに集まり居たる上甲板の人々は、次第に減じ船室に行く、居残りたる小生と玉城技手とは暫し尚ほ水産上の談話を続け候。
聞く所によれば、県下沿岸冬期になれば、しばしば鯨群の遊泳するを認め、本年中に於て鯨の陸岸に打ち上げたるもの既に四頭の多きを見たりと申候。慶良間近海は殊に其の出没を見■、海豚は往々鯨群を見掛けて激烈なる襲撃を試むることあ■、近海に斃死の鯨を見るは其の災厄に罹りたるもののみなりと申候、例の鯱先生も海豚の一種にて常に鯨群を遂い廻わすを以て、愉快と致し候由。
 玉城技手の任務は、尖閣列島近海の潮流及び魚族を調査し、水産業の将来を開かんとするにありと申候。
 小生は古賀氏が列島に対する事業の談話など続け居る中、■大なるウナリの三つ四つに驚かされ、何となく心地勝れざるまま船室に到れば一行中の親類筋とも云うべき渡久地、小嶺、高嶺の三氏は、既に横臥党中の錚々たるものに相成居候。斯くて談話室には、古賀氏一人居残りて、いどど淋しく相手欲しき様子なりしも、小生今まは何等の餘閑■く匇々横臥党中に同盟加入仕り候。
 夜、食堂■出でたる者は古賀、大久保、渡久地の三氏のみなりしが如く覚え候。食後蓄音器は百人芸を演じて頻りに気焇を吐き居り候、彼女は当夜の愛嬌ものにて候、我等横臥党にとりては殊に其の無聊の慰籍を与へ申候、横臥、一室を隔てて天下の妙音美声を聴く、平生ならば此の上泰平楽はなかるべく候。
 今朝七時頃八重干瀬に掛■候、此の地点は航海者の最とも恐怖、警戒する所なる由、軍艦などの南辺の航海は困難するは此所なりを申候、之より太凡二時間の航程、此の険難の干瀬の虚隙を進み行く、速力少しく緩徐なりしが如く、船体の動揺も左まで感ぜぬ様に相成申候、既にして宮古の一離島を見■忽ちにして船の両舩に島影を認む、船は畳を据へたるが如く静かに相成申候。島影愈々近かくして青嵐将さに輝く、風光必ずしも賞すべきものなしと雖ども、疲れたる我等には悪からぬ眺めに御座候。
 談話室には今まや恒藤博士あり、諄々として島嶼の土地経済論を唱へ居候。
 其の要旨■曰■島嶼■土地の経済宜しきを失せば、再び之を回複するに甚だ困難を見るべし。殊■貿易産物を仕立てるに就き、最とも深き注意を要す。沖縄本島瞥見したる所によるも、其の地味の豊饒なるは内地各府県の比にあらず、而して其の適産物としては砂糖は第一にあるべし。結晶糖分の養成に適したるは台湾の地味よりも勝れり、県下は実に天然の糖産国と云うべし。去れば此の地味を利用し、此の産物を有利に支配するには人物の開拓に頼るの外なかるべく候。綿花も適産なるべく、烟草も最も可なり、其他熱帯系統の植物一として可ならざるはなし云々。氏は斯く談■来りて更らに曰く、要するに産物を仕附けて地味の痩せるのは、産物と共に地味の多くを他に移出するが為めなり、本来豊饒なりし土地も、貿易産物を仕附けたる為め回複すべからざる情態に陷■のは、産物と共に地味の輸出を妨制せざる方法の等閑なるが為なり、綿糸の如き単に線緯のみならば幾何を移出するも差支へなけれども其の種子を移出する時、多くの地味は種子の中に包食せられ、随て肥料分の移出■な■。麥の如き又た然り、粟の如きも又た然り、麥、粟を其のままに移出す地方は地味の回複に少なからぬ費用を要するもの也。之れ粟麥と共に地味の移出せらるるが故なり、島嶼は面積も乏しく交通も頻繁ならず、萬事が大陸と殊なるが故に、麥粟を作りて現物を直ちに移出するより、加工して其の搾り粕は必らず之を元地に復えすの用意あるを肝腎なりとす。例えば、粟を其のまま■移出■るよりは、酒精となして移出する方、寧ろ地味の減損を見ることを鮮矣米殻の如きも玄米を輸出するのと、白米となし糖を止めおくのとは地味の保護には著き相違いあり、蚕の如き生糸なれば窒素分の僅少が生糸に含まれ移出するのみ、適度において地味に害なし■雖も蛹と蚕糞は必らず之を元地に復えすの心掛けあることを要す。泥藍の如き、地味を毀損すること激甚なるものあり。而して其の回複に多額の費用を要するの理由も全たく右と同様の関係なり、博士は斯く談しつつまた曰く、本県下に砂糖■適産なるは殊に其の養分■結晶糖分を作るべき多量なるによる。糖分は是等の養分によりて作られるるものにして、此のものを移出■る共聊か地味に減増を来たすことなり。糖分の結晶したる成品すなわち砂糖を移出して地味を減する理由とては聊かも之れあるべからず。然かも其の甘蔗の搾り粕は宜しく大切に取扱ひ、厳密に之を元地に復えすの工夫なかるべからず。砂糖を煮る為め其の搾り粕を燃すのは事に害なし、只だ其の灰をなしたるものは厳密に之を元地に帰らしむれば、地味は自然に復旧ある訳なり。
 氏の談話は以■に止まらず候、氏は之より進んで輸入肥料■にも及候得共余りに長く相成候まま大凡右にて止め申し候。要するに氏が論する所は、生ま噛りに輸入肥料を施すは農家にとりて寧ろ危険なり、故に島嶼に於て肝要とすべきは、其の土地の原質を維持して適産物を作り出し、厳密に地味の擁護を心掛くべしと云うに在り候。然り而して其の地味の擁護と原質の維持とは耕作物を主として其の元に還らしむるに在りと云うに在るものの如く候。尤とも其の輸入肥料としても施肥の配分宜しきを得るに於ては結構なるべきも、併之を行うには最も深き注意と経験とを要するものの由に候。是等の用意なく徒らに施肥するは考えものなりと云うに在り候。
 以上は船中談話の一節、豊家の参考にもと存じ、右まで書添申候。(二十八日午前九時船将に漲水湾頭に掛らんとする時認)