キーワード検索
◎本年縣下の漁業狀况(一)
原文表記
◎本年縣下の漁業狀况(一)
水產品評會開設の記事を讃す
玉城五郞
過日貴紙上に水產品評會開設の必要を縷々論せられてあつた予輩も全身を投げ出して賛同する所であるが尙ほ予は本年に於ける主たる漁業狀况を槪記して事實上之が開設の時期將に到來し居るを述べんとするのである併し其の狀况とて勿論精調を遂けたものでないから正確とは云へないが實地に就き或は夫々の當業者に就き取調しものなれば當らずとも遠からずと思ふそれで順序として先つ春漁より始めることにするが特に鮪及鰹に係る所は能く見て貰ひたい
◎飛魚網漁業 之は稍沖合漁業ニ属するもので一月の頃より始まり二四月を以て盛期とし六月頃まで續くのであるか之に冬飛魚網と夏飛魚網の區別がある何れも一艘にて持つ網の総長が一里余もありて夜間水面に網を流して魚を網目に刺しめて採るのである之を使用する地は糸滿、港小、奧武、の三ヶ村を主とし其他知念間切野津嘉砂屋取大里間切當添屋取及ひ宮古島久貝松原等にある之に從事する船數が盛期は凡そ四百五十艘として一艘の漁獲高を平均四十圓とするも壹万八千圓に上るのである夏網は五六月糸滿人のみに依て營まるゝものでありて同村にて營む外垣花、小湾、本部、伊江及ひ國頭方面遠きは輿論大島迄も出稼するのである之に從事する者が凡そ百五十艘ありて一艘の收穫が平均に十圓とすれは三千圓位の金が出る
◎迥高網漁業 此の漁業は方名ムレージ「那覇にてグルクンと稱す」と稱ふる磯付魚を多人數にて採るのてあるか初冬より始まり翌年中夏の頃に至りて止むものであるから本年の漁業は昨冬より始まれる譯である最も好時期は四五月の頃であつて沿岸到る處營まれて居るが特に大島を好漁塲とするのである此の漁業は五六艘乃至十五六艘平均十艘位人員二十人乃至五六十人平均四十人位を以て一組と爲し多く糸滿人に依て營れて居るが大嶺、港小、伊江などの人も稀には營で居る糸滿人にして本年之に從事した者が拾七組ありて其の配地は大島に五組本部恩納に貳組渡名喜粟國に壹組伊平屋島に壹組慶良間に貳組那覇附近に壹組東部海岸に貳組宮古に壹組其他適當の塲所を見付て馳廻る者が貳組あつた此の漁業は水眼鏡の發明以來主として其利用上より起りしものにして收益が多いからして從業者が多く出來糸滿村が今日の如く繁昌したるは此の漁業に因ると云ふも過言でない特に本年大島に出稼せし者共は大金を■し來て一人平均百圓は大丈夫のようである今此等の當業者を総數六百八十人として一人の收益(網の收益も含む)平均六十圓とするも實に四万圓の多額に上るのである
現代仮名遣い表記
◎本年県下の漁業状況(一)
水産品評会開設の記事を讃す
玉城五郎
過日貴紙上に水産品評会開設の必要を縷々論せられてあった私も、全身を投げ出して賛同する所であるが、尚を予は本年に於ける主たる漁業状況を概記して、事実上これが開設の時期将に到来し居るを述べんとするのである。しかしその状況とて勿論精調を遂げたものでないから正確とは云へないが、実地に就き或はそれぞれの当業者に就き取調しものなれば、当らずとも遠からずと思う。それで順序としてまず春漁より始めることにするが、特に鮪及鰹に係る所は能く見て貰いたい。
◎飛魚網漁業 これはやや沖合漁業に属するもので、一月の頃より始まり二四月を以て盛期とし、六月頃まで続くのであるが、これに冬飛魚網と夏飛魚網の区別がある。いずれも一艘にて持つ網の総長が一里余もありて、夜間水面に網を流して魚を網目に刺しめて採るのである。これを使用する地は糸満、港小、奥武、の三ヶ村を主としその他、知念間切野津、嘉砂、屋取、大里間切当添、屋取及び宮古島久貝、松原などにある。これに従事する船数が盛期は凡そ四百五十艘として、一艘の漁獲高を平均四十円とするも、一万八千円に上るのである。夏網は五六月糸満人のみによって営まるゝものでありて、同村にて営む外、垣花、小湾、本部、伊江及び国頭方面、遠きは与論、大島迄も出稼するのである。これに従事する者が凡そ百五十艘ありて、一艘の収穫が平均に十円とすれば、三千円位の金が出る。
◎迥高網漁業 この漁業は方名ムレージ「那覇にてグルクンと称す」と称する磯付魚を、多人数にて採るのてあるが、初冬より始まり翌年中夏の頃に至りて止むものであるから、本年の漁業は昨冬より始まれる訳である。最も好時期は四五月の頃であって沿岸到るところ営まれて居るが、特に大島を好漁場とするのである。この漁業は五六艘乃至十五六艘平均十艘位人員、二十人乃至五六十人平均四十人位を以て一組と為し多く、糸満人によって営れて居るが大嶺、港小、伊江などの人も稀には営で居る。糸満人にして本年これに従事した者が十七組ありて、その配地は大島に五組、本部、恩納に二組、渡名喜、粟国に一組、伊平屋島に一組、慶良間に二組、那覇附近に一組、東部海岸に二組、宮古に一組、その他適当の場所を見付て馳廻る者が二組あつた。この漁業は水眼鏡の発明以来、主としてその利用上より起りしものにして、収益が多いからして従業者が多く出来、糸満村が今日の如く繁昌したるはこの漁業に因ると云うも過言でない。特に本年大島に出稼せし者共は大金を■し来て、一人平均百円は大丈夫のようである。今これらの当業者を総数六百八十人として、一人の収益(網の収益も含む)平均六十円とするも、実に四万円の多額に上るのである。