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古賀商店の名譽
原文表記
古賀商店の名譽
琉球新報 明治四十年十一月五日
本縣下に於ける眞珠が名産として、其の聲譽 遠く九重の雲深きあたりまで知了し召となりて過ぎし東京博覧會の砌りには畏くも天皇陛下親しく御言葉さへ掛けさせ給ひたること光榮の限りところは拜承せられたり、縣下に於ては眞珠の所蔵家として有名なる古賀商店主人、各種の名品を今回長崎にて開會の関西九州聯合水産會へ出陳したるに先般皇太子殿下韓國行啓よりの歸■■、長崎に御立寄りあらせられ、此の會に台臨ましませし時、古賀商店の出品にキツト御目を留めさせ給ひ、幾何かの御買上を賜はりたること其砌の本紙に記する如くなるが、聞く所によれば同商店の出品は萬事に就けて御研究深く、やんごとなきあたりにおかせられても、御博識と御鑑定に妙を得させ給ひつと、有栖川宮殿下も親しく右の眞珠を御蟤擇御買上ありたりとなん傅へらる、右に關する報知の書簡十月二十九日■を以て古賀商店主人宛にて發せられたるものを書き拔すれば左の如し
(前略)東宮殿下御台臨も相濟み先つ一安心仕候既に安る二十四日頃より審査着手相成其の爲め昨今は非常の取込み中に有之候扨て今回殿下並に有栖川宮様御台臨の當日は我縣の出品物殊に貴殿の出品眞珠を便殿に取寄相成御一覧を給はり有栖川■■手づから御選出相成三點丈け御用に即時御置上の榮を蒙むり候東宮殿下は品選定方審査長に御下命遊はされ候審査長は謹で選定候處去る二十六日に至りて二第三拾一號御買上の事に御決定被遊候貴殿の御名譽は申迄も無乙眞に縣下の面目を持ちたる次第にて大殿御同様に有之候右は當時電報を以て御通知仕置候得共茲に祝詞と共に一擧御通知申上候其の儘今日迄貴殿出品にして賣約済のものは龜甲其の他アザ介等にして介類は大概賣約済に相成居候(以下略)
十月二十九日 上 野 吉 澄
現代仮名遣い表記
古賀商店の名誉
琉球新報 明治四十年十一月五日
本県下に於ける真珠が名産として、其の声誉 遠く九重の雲深きあたりまで知了し召となりて、過ぎし東京博覧会の砌りには畏くも天皇陛下親しく御言葉さえ掛けさせ給いたること光栄の限りところは拝承せられたり。県下に於ては真珠の所蔵家として有名なる古賀商店主人、各種の名品を今回長崎にて開会の関西九州連合水産会へ出陳したるに、先般皇太子殿下韓国行啓よりの帰■■、長崎に御立寄りあらせられ、此の会に台臨ましませし時、古賀商店の出品にキット御目を留めさせ給い、幾何かの御買上を賜わりたること其砌の本紙に記する如くなるが、聞く所によれば、同商店の出品は万事に就けて御研究深く、やんごとなきあたりにおかせられても、御博識と御鑑定に妙を得させ給いつと、有栖川宮殿下も親しく右の真珠を御蟤擇御買上ありたりとなん伝えらる。右に関する報知の書簡十月二十九日■を以て古賀商店主人宛にて発せられたるものを書き抜すれば左の如し。
(前略)東宮殿下御台臨も相済み先づ一安心仕候。既に安る二十四日頃より審査着手相成、其の為め昨今は非常の取込み中に有之候。扨て今回殿下並に有栖川宮様御台臨の当日は我県の出品物殊に貴殿の出品真珠を便殿に取寄相成御一覧を給はり有栖川■■手づから御選出相成三点丈け御用に即時御買上の栄を蒙むり候。東宮殿下は品選定方審査長に御下命遊ばされ候、審査長は謹で選定候慮。去る二十六日に至りて二第三十一号御買上の事に御決定被遊候。貴殿の御名誉は申迄も無乙富に県下の面目を持ちたる次第にて大殿御同様に有之候。右は当時電報を以て御通知仕置候得共、茲に祝詞と共に一挙御通知申上候。其の儘今日迄貴殿出品にして売約済のものは亀甲其の他アザ介等にして介類は大概売約済に相成居候。(以下略)
十月二十九日 上 野 吉 澄