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無人島と古賀商店
原文表記
無人島と古賀商店
琉球新報 明治四十年三月二十九日
沖繩本島を去る西方二百二三十哩八重山島の北大凡八十五六哩の海洋に散布せる和平山(久場島黄尾島與根島)北小島、南小島等を合はせて無人島とは唱ふるが和平山、黄尾島は地味最も肥沃にして穀類野菜の栽培に甚だ宜しく唐芋の如きは總べて直經六七寸位の大芋を生じ和平山の水は水質甚だ善良にして鰹節の製造に最も適せり北小島南小島は共に岩質の小島にして水甚だ少く随つて農作物は全く皆無なるも此の兩小島は共に南洋燕の産地にして此の兩小島こそ古賀氏が大に苦心經營したるものなり聞く所に依れば古賀氏は該無人島に於て猟業、並びに漁業の經營をなさんと目論見明治二十三年より同島の調査をなし明治二十九年に至り内務省の許可を得事務所を設けて初めて事業に着手し爾來今日まで事業の經營に勉め大ひに擴張しつゝあり然るに同商店昨年度の收獲高は漁業に於て金三万圓漁業に於て二万圓の巨額に上りしと云ふ。斯かる絶海の孤島經營の苦心は察せらるされど個人としては格別國家の上から見て利益ある事業なること疑ひなし古賀氏の經營益々進まんことこそ願はしけれと云ふ
現代仮名遣い表記
無人島と古賀商店
琉球新報 明治四十年三月二十九日
沖縄本島を去る西方二百二、三十哩、八重山島の北大凡八十五、六哩の海洋に散布せる和平山(久場島、黄尾島、与根島)、北小島、南小島等を合わせて無人島とは唱うるが、和平山、黄尾島は地味最も肥沃にして穀類野菜の栽培に甚だ宜しく、唐芋の如きは総べて直経六、七寸位の大芋を生じ、和平山の水は水質甚だ善良にして鰹節の製造に最も適せり。北小島、南小島は共に岩質の小島にして水甚だ少く、従って農作物は全く皆無なるも、此の両小島は共に南洋燕の産地にして、此の両小島こそ古賀氏が大に苦心経営したるものなり。聞く所に依れば、古賀氏は該無人島に於て猟業、並びに漁業の経営をなさんと目論見、明治二十三年より同島の調査をなし、明治二十九年に至り内務省の許可を得、事務所を設けて初めて事業に着手し、爾来今日まで事業の経営に勉め大いに拡張しつゝあり。然るに同商店昨年度の収獲高は、漁業に於て金三万円、漁業に於て二万円の巨額に上りしと言う。斯かる絶海の孤島経営の苦心は察せらる。されど個人としては格別、国家の上から見て利益ある事業なること疑いなし。古賀氏の経営益々進まんことこそ願わしけれと言う。