キーワード検索

◎明月楼の酌婦チヨ

掲載年月日:1907/3/9(土) 明治40年
メディア:琉球新報社 3面 種別:記事

原文表記

◎明月樓の酌婦チヨ
と云へば馴染の人には直ぐに判断が付くとふが仝人の本籍は大阪市北區北野小松原千三百十番屋敷にて當時は那覇區字西明月樓の酌婦新谷チヨ(三十一)と云へるものなるが那覇港碇泊中の汽船辰島丸の賄ひ徳島縣麻植郡川田村四十番屋敷宗山義男(三十二)に如何なる用談ありしにや女の身にて夜中滊舩に乗り込み昨日夜の明け方即ち午前四時頃迄前記賄長の寝室に宿泊し居りしを水上巡査派出所にては愈々密媱賣に相違なきとてチヨをば取押へ那覇署へ引致せしに仝者にて取調べの結果密媱賣をなしたる事實不明瞭なる故を以て説腧を加へたる上放還せられたりと云ふ

現代仮名遣い表記

◎明月楼の酌婦チヨ
と云へば馴染の人には直ぐに判断が付くとふが同人の本籍は大阪市北区北野小松原千三百十番屋敷にて当時は那覇区字西明月楼の酌婦新谷チヨ(三十一)と云へるものなるが那覇港碇泊中の汽船辰島丸の賄ひ徳島県麻植郡川田村四十番屋敷宗山義男(三十二)に如何なる用談ありしにや女の身にて夜中汽舩に乗り込み昨日夜の明け方即ち午前四時頃迄前記賄長の寝室に宿泊し居りしを水上巡査派出所にては愈々密媱売に相違なきとてチヨをば取押へ那覇署へ引致せしに同者にて取調べの結果密媱売をなしたる事実不明瞭なる故を以て説腧を加へたる上放還せられたりと云ふ