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◎大東島(廿五日の續)
原文表記
◎大東島(廿五日の續)
探撿隊の一人
該島に望みを属して續々開墾願を提出する者多きに至れるものゝ如し先つ第一番に開墾の願を提出したる者は有志廿六人組の總代那覇區字東島袋完衛氏及ひ水產商那覇區字西古賀辰四朗氏の二名なり何れも廿四年十二月其許可の指令と同時に心得を示■せられ更に廿五年二月に至て同一の命令書を下付きせらる左に其心得と命令書を掲くへし
心 得 書
一農夫一人に對する開墾區域を五町歩と定む
一前區既に開墾成功せは幾回も新區開墾をなすことを得へし
一開墾區域外の土地に對する他人の開墾ハ理由なく之れを拒むことを得す
一開墾成功の地は畧圖を添へ其反別屆出へし
一那覇不在中は確としたる代理人を定め其人名屆出へし
以上
命 令 書
第一條
一大東島渡航の許可を得たる者は那覇にて身元確實なる保証人二名■上を定め屆置くへき事
第二條
一保証人は本人不在中萬事を負擔す可きは勿論本人居合の節と雖ども塲合により許可より生する義務を連擔す可き事
第三條
一保証人の一名又は二名他行及其他の事故ある時は代理人を定め其時々屆置くへき事
第四條
一■許可人ハ出發より五日に農夫漁民並に付■者の姓名住所貫属年齢及渡航の目的を記し船長連盟屆出すへき事
第五條
一前條同時に彼■滯在日數及ひ之れに要する食料其他の物品員數共詳■船長の保證を添へ屆出すへき事
第六條
一被許可人は爾後渡航人を戾す可き必要ある塲合又は救助を必要とする塲合に於ては其義務に任す可き爲め慥かなる海運會社等の如き當那覇に在りて滊船の進退决定相成るへき者と豫約をなし其旨連署を以て屆出つへき事
第七條
一前條の義務を確實ならしむる爲め被許可人は保証金(公債証書なれは實價域は銀行預り劵等)として金五百圓を所轄役所へ預け置く可き事
第八條
一被許可人及ひ豫約者に於て萬一前條の義務を怠り■捨置塲合に於てハ所轄役所ハ相當の取計を爲すは勿論に付費用を要する塲合に在てハ保証金を以て支辨し猶不足を生するときハ追徵すへし
第九條
一被許可人は他の被可人及自他の出稼人を調和し疾病艱難相互に救助す可し若し之に反し病者艱者に對し無慚の所爲あるか又ハ鬪爭等を爲したるに於てハ當人を相當の處分に可及は勿論品によりては許可を■消し猶渡航者差戾しを命する事あるへし
第十條
一被許可人配下の稼人中域は他の稼人と爭論鬪毆其他不和の所爲あるときハ被許可人其責に■すへきは勿論に■其塲合に於ては許可を取消し又は配下の一分の差戾しを命する事あるへし
第十一條
一前條々の外必要の事項を生する塲合には追加命令を爲すことあるへし
右命令候也
明治廿五年二月十二日
此命令によれは相當の資本を有する者にあらされは之を履行することを得す即ち島袋完衛等の如きも資本の都合ありとして指令の取消願を提出して断念せり尤も古賀辰四朗氏ハ命令書に從ひ相當の保証金を提出し尙開運會社の滊船大有丸を雇入れ之れに漁夫三十餘名其他食糧等を積込て大東島に向け出帆したるハ明治廿五年三月十六日なり然るに風波荒く終に上陸することを得すして空しく歸港したり爾后本人も亦断念して止む其當時本人より差出したる歸着屆の要領左の如し
御屆
大東島開拓の爲め先漁夫三拾壹名を召連れ滊船大有丸に乗込み三月十六日那覇港出船仝日運天港に着仝所に於て天候見合仝廿一日仝港を發し翌廿二日午後五時五十分大東島着直に荷物を艀下船に積卸し大有丸二等運轉手及出張之圖師巡査と共に上陸相成■得共風波荒立荷揚不相成旨にて本船へ歸來候に付不得止荷物は再ひ本船へ積取り翌朝に至り全島邊を一週し安全之地を撰み是非上陸仕筈之處豈圖んや到處仝樣にて到底上陸之目途無之に付き一應歸覇致呉候様漁夫共より申出候條再ひ季節を計り渡航可仕含を以て漁夫並に物品等悉皆■具し仝日仝所出發仝廿四日午后那覇港着云々
古賀辰四郞氏か断念したる后更に東京府平民荻野■藏氏より開墾願を出て其許可を得たる者是亦た間もなく指令取消願を提出して止む之に次て開墾願を提出したる者は鹿兒島輕北大隅郡東櫻島村平民重久善左工門氏及大阪府西成郡會根崎村士族服部徹氏なり何れも其許可を得たるも二ヶ年餘開墾に着手さるの故を以て其許可を取消さる尙其后明治廿八年十月長崎縣北松浦郡佐々村平民廣川勇之助より開墾願い出て許可せられたるも是亦た開墾に着手せさるの故を以て其許可を取消されたり然るに本人の屆書によれハ三十一年六月廿五日長崎出帆途中鹿兒島港へ寄港八月下旬大東島へ着せしも風波の爲め上陸することを得すして無止「ラサ」島へ向け進行九月五日仝島着一時天候を見合わせ更に九月下旬再ひ大東島へ向け進行仝島着の上食料諸機械等陸揚を了へたるも出稼人夫一名も此處にありて業に就かんとするものなきを以て陸揚貨物のみを殘し置き其■空しく歸港したるものゝ如し是れ果して事實なるか未た之を詳にすることを得す其后最後に至て開墾願書を提出したるものハ東京市京橋區山下町玉置平左衛門氏なり同氏ハ其許可を得て直に着手の準備をなし今や着々其歩を進めつゝあり最初同氏が開墾許可を得たるは明治三十二年十月其后今日まで該島へ帆船洋回丸を派遣し耕夫其他食料等を送ることと既に■餘回に及ふへし其荷物の揚却をなす處の上陸点は南大東島の西海岸にあり岸頭に帆柱樣の長き大材を立てウエンチ仕掛けにて荷物の揚却をなす處の工合は丁度船の上より大荷をウエンチにて揚却をなすと同一の觀あり海岸嶮惡にして荷物九の揚却頗る困難なる有樣は之を以て知るへし
最初多數耕夫其他食品等の陸揚げをなし夫れより先つ通路を開き尙小屋掛等をなし以て雨露を凌くに至る迄の經營其苦心想像するに餘りあるへし
玉置農塲等の狀况は玉那覇徹氏の調査報告あり又た斯に■せす
沖大東島の開墾借地を願出てたるものハ東京市京橋區築地三丁目水谷新六氏(外に一名連処署)一名のみ本人が其願書を提出したるハ明治三十四年三月其當時開墾許可を得たるも爾后今日迄開墾に着手せらるの故を以て其許可指令を取消されたり(以下略)
現代仮名遣い表記
◎大東島(二十五日の続)
探険隊の一人
該島に望みを属して続々開墾願を提出する者多きに、至れるものの如し先つ第一番に開墾の願を提出したる者は、有志十六人組の総代那覇区字東島袋完衛氏及び、水産商那覇区字西古賀辰四郎氏の二名なり。何れも二十四年十二月其許可の指令と同時に心得を示■せられ、更に二十五年二月に至て同一の命令書を下付きせらる。左に其心得と命令書を掲ぐべし。
心 得 書
一農夫一人に対する開墾区域を五町歩と定む
一前区既に開墾成功せは幾回も新区開墾をなすことを得べし
一開墾区域外の土地に対する他人の開墾は理由なく之れを拒むことを得す
一開墾成功の地は略図を添へ其反別届け出へし
一那覇不在中は確としたる代理人を定め其人名届け出へし
以上
命 令 書
第一条
一大東島渡航の許可を得たる者は、那覇にて身元確実なる保証人二名■上を定め届置くべき事。
第二条
一保証人は本人不在中万事を負担す可きは、勿論本人居合の節と雖ども場合により許可より生する義務を連担す可き事。
第三条
一保証人の一名又は二名他行及、其他の事故ある時は代理人を定め其時届置くべき事。
第四条
一■許可人は出発より五日に、農夫漁民並に付■者の姓名住所貫属年齢及、渡航の目的を記し船長連盟届出すべき事。
第五条
一前条同時に彼■滞在日数及び、之れに要する食料其他の物品員数共詳■船長の保証を添へ届出すべき事。
第六条
一被許可人は爾後渡航人を戻す可き必要ある場合、又は救助を必要とする場合に於ては、其義務に任す可き為め慥かなる海運会社等の如き当那覇に在りて、汽船の進退决定相成るべき者と予約をなし、其旨連署 を以て届出つべき事。
第七条
一前条の義務を確実ならしむる為め、被許可人は保証金(公債証書なれは実価域は銀行預り券等)として金五百円を所轄役所へ預け置く可き事。
第八条
一被許可人及び予約者に於て万一、前条の義務を怠り■捨置場合に於ては、所轄役所は相当の取計を為すは勿論に付、費用を要する場合に在ては保証金を以て支弁し、猶不足を生するときは追徴すべし。
第九条
一被許可人は他の被可人及自他の出稼人を調和し疾病艱難相互に救助す、可し若し之に反し病者艱者に対し無慚の所為あるか又は闘争等を為したるに於ては、当人を相当の処分に可、及は勿論品によりては許可を■消し猶、渡航者差戻しを命する事あるべし。
第十条
一被許可人配下の稼人中域は、他の稼人と争論闘殴其他不和の所為あるときは被許可人其責に■すべきは勿論に、■其場合に於ては許可を取消し又は配下の一分の差戻しを命する事あるべし。
第十一条
一前条々の外、必要の事項を生する場合には追加命令を為すことあるべし。
右命令候也
明治二十五年二月十二日
此命令によれば相当の資本を有する者にあらされは、之を履行することを得す。即ち、島袋完衛等の如きも資本の都合ありとして、指令の取消願を提出して断念せり。もっとも古賀辰四郎氏は命令書に従い相当の保証金を提出し尚、開運会社の汽船大有丸を雇入れ、之れに漁夫三十余名、其他食糧等を積込て大東島に向け出帆したるは、明治二十五年三月十六日なり。然るに風波荒く終に上陸することを得すして、空しく帰港したり。爾后本人も亦断念して止む、其当時本人より差出したる帰着届の要領左の如し。
御届
大東島開拓の為め先漁夫三十一名を召連れ、汽船大有丸に乗込み三月十六日那覇港出船同日運天港に着。同所に於て天候見合、同二十一日同港を発し翌二十二日午後五時五十分大東島着。直に荷物を艀下船に積卸し、大有丸二等運転手及出張之図師巡査と共に上陸。相成■得共風波荒立荷揚不相成旨にて、本船へ帰来しますに付、不得止荷物は再び本船へ積取り翌朝に至り全島辺を一週し。安全之地を撰み是非上陸仕筈之処豈図んや、到処同様にて到底上陸之目途無之に付き、一応帰覇致呉候様漁夫共よりもうしでます。条再び季節を計り渡航可仕含を以て、漁夫並に物品等悉皆■具し同日同所出発、同二十四日午後那覇港着云々。
古賀辰四郎氏か断念したる后更に、東京府平民荻野■蔵氏より開墾願出て其許可を得たる者、是亦た間もなく指令取消願を提出して止む之に次て、開墾願をを提出したる者は鹿児島軽北大隅郡東桜島村平民、重久善左工門氏及、大阪府西成郡会根崎村、士族服部徹氏なり。何れも其許可を得たるも、二ヶ年余開墾に着手さるの故を以て其許可を取消さる。尚其后明治二十八年十月長崎県北松浦郡佐々村平民広川勇之助より、開墾願出て許可せられたるも、是亦た開墾に着手せさるの故を以て、其許可を取消されたり然るに本人の届書によれば、三十一年六月二十五日長崎出帆途中鹿児島港へ寄港。八月下旬大東島へ着せしも風波の為め上陸することを得すして、無止「ラサ」島へ向け進行。九月五日同島着一時天候を見合わせ、更に九月下旬再び大東島へ向け進行、同島着の上食料、諸機械等、陸揚を了へたるも出稼人夫一名も此処にありて業に就かんとするものなきを以て、陸揚貨物のみを残し置き、其■空しく帰港したるものの如し。是れ果して事実なるか、未た之を詳にすることを得す。其后最後に至て開墾願書を提出したるものは、東京市京橋区山下町玉置平左衛門氏なり。同氏は其許可を得て直に着手の準備をなし、今や着々其歩を進めつつあり、最初同氏が開墾許可を得たるは明治三十二年十月、其后今日まで該島へ帆船回洋丸を派遣し、耕夫其他食料等を送ることと既に■余回に及ぶべし。其荷物の揚却をなす処の上陸点は、南大東島の西海岸にあり岸頭に帆柱様の長き大材を立て、ウエンチ仕掛けにて荷物の揚却をなす。処の工合は丁度船の上より大荷をウエンチにて揚却をなすと同一の観あり。海岸嶮悪にして荷物九の揚却頗る困難なる有様は之を以て知るべし。
最初多数耕夫其他食品等の陸揚げをなし、夫れより先つ通路を開き尚小屋掛等をなし以て、雨露を凌くに至る迄の経営其苦心想像するに余りあるべし。
玉置農場等の状況は、玉那覇徹氏の調査報告あり又た斯に■せす。
沖大東島の開墾借地を願出てたるものは、東京市京橋区築地三丁目水谷新六氏(外に一名連処署)一名のみ本人が其願書を提出したるは、明治三十四年三月其当時開墾許可を得たるも、爾后今日迄開墾に着手せらるの故を以て、其許可指令を取消されたり。(以下略)