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◎荷主團体委員の復命書

掲載年月日:1903/6/15(月) 明治36年
メディア:琉球新報社 2面 種別:記事

原文表記

◎荷主團体委員の復命書
運送會社解散の件に關し航路同盟本部に交渉のため上坂の途に就きたる當地の荷主團体の運動委員ハ鹿兒島に於て當地沖繩親睦會の爲めに引止められ同會仲裁の結果團体の意思を貫徹し得たりとの事にて同委員の一人兒玉利吉氏は昨日の便船より歸縣せり其荷主團体へ報告の全文を左に掲ぐ
復命書
曩に古賀辰四郞氏小生の二名が荷主團体の委員として航路同盟本部へ交渉の爲め上阪すべく六月五日のサツマ丸へ便乗せしも途次鹿兒島に於て同地沖繩親睦會の爲め引止められ仝會仲裁の結果團体の意思を貫徹し得たるを以て同地より引返し六月十二日金澤丸にて歸着したるを以て其の顛末を復命すること左の如し
古賀氏及小生等の便乗せし薩摩丸は六月五日午后四時那覇港解纜大嶋名瀨を經て翌々七日午后二時着麑古賀辰四郞氏ハ潮見町池畑へ小生は住吉町津曲へ投宿したり同便には池畑太平次氏も合名會社非解散運動の爲め上阪せらるゝあり
明くれば八月薩摩丸ハ此の日午前十時の出帆なるを以て九時迄には乗船すべく準備中同地沖繩親睦會より團体の意思は飽迄達せらるゝ樣仲裁の勞を執り度きに依り是非共二三日滯麑なし呉れよとの交渉あり余儀なく一時滯麑に决したり
爰に沖繩親睦會が進て仲裁の勞を執らるゝに至りしハ荷主團体よりは小生等の上阪するあり合名會社よりハ是が反對運動の爲め池畑氏の上阪せらるゝあり共に航路同盟本部に情を具し是非を争ふの暁に至らば関係する處甚だ重大追と鹿兒島沖繩両縣下の商業上經濟上に少なからさる影響を及ぼすべきに依り事を穏便に圖り平和に復せしめんとの意より出たるものゝ如し
却說同會に於ては小生等及池畑氏の上阪を引止め置き一面同會の臨時會を開き協議の末小生等及び同しく團体委員たる在麑小牧藤太郞氏の三名を招待せられ團体の意思は飽迄達せらるゝ樣責任を負ふて盡力すべきに依り團体より同盟本部へ提出せられたる請願書は一先取返し呉れよとあり小生等に於ては合名會社解散且つ是れに伴べき條件の附かさる限りは委員の獨斷を以て引取り難しとの旨を以て頑として應せさりしも■迄責任を負ふべしとの再三の示談今はとて小生等委員へ一任せられ度團体へ向け打電數度往復の後委員へ任ずるの電音に接したるを以て同請願書引取りの手續きを爲したり依りて同會協議の結果航路同盟本部へは親睦會より遂一事情を報告し合名會社は來月中に解散せしむべし其の余の条件は同會社解散の後に申込むべき事に决し是れにて先づ團体のいしを遂ぐべき階段に達したるを以て六月十二日入港の金澤丸より歸覇したり
元來麑島なる沖繩親睦會は鹿兒島沖繩両縣下の實業界に於ける最も名望ある最も有力なる堂々たる紳商の團体なれば同會が小生等に向ひ來月中に合名會社を解散せしむるの運びに至らしめさる塲合には責任を負ひ同親睦會を解散すべしと迄誓はれたる以上は既に我々委員の本分を尽し終わりたるものと確信する處なり
右及復命候也
明治三十六年六月十四日  兒玉利吉
沖繩荷主團体御中

現代仮名遣い表記

◎荷主団体委員の復命書
運送会社解散の件に関し、航路同盟本部に交渉のため、上坂の途に就きたる当地の荷主団体の運動委員は、鹿児島に於て当地沖縄親睦会の為めに引止められ同会仲裁の結果、団体の意思を貫徹し得たりとの挙にて、同委員の一人児玉利吉氏は、昨日の便船より帰県せり。其荷主団体へ報告の全文を左に掲ぐ。
復命書
曩に古賀辰四郎氏及、小生の二名が荷主団体の委員として航路同盟本部へ交渉の為め、上阪すべく六月五日のサツマ丸へ便乗せしも、途次鹿児島に於て、同地沖縄親睦会の為め引止められ、仝会仲裁の結果団体の意思を貫徹し得たるを以て、同地より引返し、六月十二日金沢丸にて帰着したるを以て、其の顛末を復命すること左の如し。
古賀氏及小生等の便乗せし薩摩丸は、六月五日午後四時那覇港解纜大嶋名瀬を経て、翌々七日午後二時着麑古賀辰四郎氏は、潮見町池畑へ小生は、住吉町津曲へ投宿したり。
同便には、池畑太平次氏も合名会社非解散運動の為め上阪せらるるあり
明くれば八月薩摩丸は此の日、午前十時の出帆なるを以て、九時迄には乗船すべく準備中。同地沖縄親睦会より団体の意思は飽迄達せらるる様、仲裁の労を執り度きに依り、是非共二三日滞麑なし呉れよとの交渉あり余儀なく一時滞麑に決したり。
爰に沖縄親睦会が進て仲裁の労を執らるるに至りしは、荷主団体よりは小生等の上阪するあり。合名会社よりは是が反対運動の為め、池畑氏の上阪せらるるあり。共に航路同盟本部に情を具し是非を争うの暁に至れば、関係する処甚だ重大追と、鹿児島沖縄両県下の商業上経済上に、少なからざる影響を及ぼすべきに依り事を穏便に図り、平和に復せしめんとの意より出たるものの如し。
却説同会に於ては、小生等及池畑氏の上阪を引止め置き、一面同会の臨時会を開き協議の末、小生等及び同じく団体委員たる、在鹿小牧藤太郎氏の三名を招待せられ。団体の意思は飽迄達せらるる様責任を負うて尽力すべきに依り。団体より同盟本部へ提出せられたる請願書は、一先取返し呉れよとあり。小生等に於ては合名会社解散且つ、是れに伴べき条件の附かさる限りは、委員の独断を以て引取り難しとの旨を以て、頑として応せさりしも■迄責任を負うべしとの再三の示談。今はとて小生等委員へ一任せられ度団体へ向け、打電数度往復の後委員へ任ずるの電音に接したるを以て、同請願書引取りの手続きを為したり依りて。同会協議の結果航路同盟本部へは親睦会より遂一事情を報告し合、名会社は来月中に解散せしむべし。其の余の条件は同会社解散の後に、申込むべき事に決し是れにて先づ団体のいしを遂ぐべき階段に、達したるを以て六月十二日入港の金沢丸より、帰覇したり。 元来麑島なる沖縄親睦会は、鹿児島沖縄両県下の実業界に於ける、最も名望ある最も有力なる。堂々たる紳商の団体なれば同会が小生等に向い、来月中に合名会社を解散せしむるの運びに至らしめざる場合は、責任を負い。同親睦会を解散すべしと迄誓はれたる以上は、既に我々委員の本分を尽し終わりたるものと確信する処なり。
右及復命候也
明治三十六年六月十四日  児玉 利吉
沖縄荷主団体御中