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◎鳥島につきて 黑岩恒

掲載年月日:1903/6/9(火) 明治36年
メディア:琉球新報社 2面 種別:記事

原文表記

◎鳥島につきて (二)     黑岩恒
琉球狐は現今離れ離れの島々なれど其實は一大山系である側違式の構造である左れは如何にして此一大山系が出来たかと云ふに台灣と九州の間に於て地皮に弧状の裂罅を生し東海の局部に於て■盤に大陷落を來し其結果を以て即座に弧頭に向て襲來し捲れ上り褶曲してこの山系の中聯なるものを生し龜裂を傳ひ地下の岩汁噴出して内聯一帯の火山を鏈列したのである(中聯外聯のことは本篇には略す)
今事實の上より内聯を追跡せんか九州の南端に近き竹島、硫黄島より口の永良部を經川邊七島を噴起し今回の問題を起したる鳥島に及ひ進んで粟國島、久米島を貫き尚其西の方に於て「ラレーロック」の稱ある久米島の赤島(支那人の所謂赤尾嶼)は言ふ迄もなく尙其西に進んで古賀辰四郎氏の借區にして信天翁に名を得たる久場島(黄尾嶼)より臺灣の北部なる大屯山、觀音山連り茲に弧状の内聯か終わるのてある
小藤博士の琉球弧島論に於ては内聯の踪跡を既知の事實上より鳥島に止め粟國島以下の島嶼につきては暗に其連鎖ならんことを言ひ置かれ先疑問点を附し置かれたのである博士の豫言は生等か跋渉の結果事實上より之を証明し茲に琉球弧島論の事實上に一二の証左を附加するの榮を得たるは博士の賜なりと云ふべきで博士に對し深く謝する所である
鳥島か現在の位置に出來たのは別に異しむに足らない實に然るべき位置である■皮の破れ目てあるから弱き部分を求めて噴き出したのは決して無理はない實に琉球弧の内聯一帯に安心の出來ぬ部位である斯く論し來れは久米島の如きも現今こそ全く死滅して平穏無事なる太平島なれ住事を追想すれは■噴火の猛烈なる鳥島の比に非りしこと言ふ迄もなきなり火山も大活動後久米島の如く全く死果てゝ見れば先何の事もなし太平無事の樂土であるが鳥島の如き活火山に於ては時々今回の如き問題は起るのてある活火山の上に住居して居るのは恰も地獄の釜の蓋に居る樣なものである絶對的に太平を謳歌する譯にはいかない併なから此釜の蓋生活を恐るゝならは日本人の住むべき土地は余程狭くなる由來日本は火山國なれいなり
琉球弧島の如き規則正しき組立ある列島が帝國にあるのは學問上大に誇るべきである東印度の「パンダ」列島西印度の「レッサー、アンチルス」列島も同樣の組立である博士は之を世界の三幅對たと云はれて居る以上の略説は一般の讀者に取りては迷惑で有らう併余は地學に志ある本縣學生諸君に申して置きたのである琉球狐島の上に呼吸して居る二十世紀の學生には學問上榮譽ある此列島の組立につき大体の話をして置きたいのである
 △島の地理地質
讀者既に鳥島の位置につき多少印記せられしならん是より進んて島其物の地理を紹介せん五月十七日の早天運輸丸の甲板に上れは鳥島は巳に前頭四五浬の距離にありて吾か船は恰も其南角を衝かんとするものの如し鳥島果して異状なきか只見る島の北邊より濛々漠々として盛に噴烟するを双眼鏡をとりて凝視するときは明かに墳烟に二樣あるを認む右手の方より立ち上るものは白色なるも左手の方よりするものは淡靑し此二種は判然と分かつて居るそこて余は一考した從來鳥島の硫黄山は硫氣洞斗たと聞き居りしに今此烟の色より察すれは鎔礦爐的の焦熱地獄かあるに相違ない實際硫黄に点火して居るに違ない淡靑き烟は之を証するに充分てあるこれは奇々妙々たと好奇心勃々てあつたさて彌島に近つくに從ひ噴出物の累層はありありと眼に入りて來るし直立天を衝かんとする岩脈は南方なる「ダンノフチ」の左手に出張して余等を迎揖する者に似たり
余は船長に向ひ着島の前に於て先つ島の周圍を一週せんこと請ひ且進行中絶えす滊笛を鳴して島民の樣子を探らんことを以てしたり此際船をは可成島に近寄せたきも万一海底の模樣に變状あるやも斗り難きを以て呉々も其邊の注意を促し速力を緩ふして左り廻りに一周を始めたり舩は恰も半浬内外の距離を取りつゝ進ことなれは島■模樣は明かに見え渡りぬ噴火口の上の方には見る間にはや十人斗も集まりて此方を眺むる様子なれど別に騒く模様もなし彌々舩を火口の下に近つけは岩巉摩天の勢ある「フツヤ」の西邊を過くる頃東南風の爲甲枚上は全く硫烟を以て蔽はれぬ此方にコンコンと咳嗽する者あれは彼方にはハークツシヨの聲頻りなり火山の探險に始めての人には随分面白からぬ話てある偖何と見ても島の大体に異状なきを以て直ちに速力を増し「サバノクワーナシトコロ」と稱する断角を廻り東岸なる上陸点に向ひ急行した (未完)

現代仮名遣い表記

◎鳥島につきて (二)     黒岩恒
琉球狐は現今離れ離れの島々なれど、その実は一大山系である側違式の構造である。左れば如何にして此一大山系が出来たかと云うに、台湾と九州の間に於て地皮に弧状の裂罅を生じ東海の局部に於て■盤に大陥没を来し、その結果を以て即座に弧頭に向て襲来し捲れ上り褶曲してこの山系の中連なるものを生じ、亀裂を伝い地下の岩汁噴出して内連一帯の火山を鏈列したのである。(中連外連のことは本篇には略す)
今事実の上より内連を追跡せんか。九州の南端に近き竹島、硫黄島より口の永良部を経、川辺七島を噴起し、今回の問題を起したる鳥島に及び進んで粟国島、久米島を貫き、尚その西の方に於て「ラレーロック」の称ある久米島の赤島(支那人の所謂赤尾嶼)は言ふ迄もなく、尚その西に進んで古賀辰四郎氏の借区にして信天翁に名を得たる久場島(黄尾嶼)より台湾の北部なる大屯山、観音山連り、茲に弧状の内連が終わるのである。
小藤博士の琉球弧島論に於ては、内連の踪跡を既知の事実上より鳥島に止め、粟国島以下の島嶼につきては暗にその連鎖ならんことを言い置かれ、先疑問点を附し置かれたのである。博士の予言は生等か跋渉の結果、事実上より之を証明し茲に琉球狐島論の事実上に一二の証左を附加するの栄を得たるは博士の賜なりと云うべきで、博士に対し深く謝する所である。
鳥島が現在の位置に出来たのは、別に異しむに足らない実に然るべき位置である。■皮の破れ目であるから弱き部分を求めて噴き出したのは決して無理はない、実に琉球弧の内連一帯に安心の出来ぬ部位である。斯く論じ来れば、久米島の如きも現今こそ全く死滅して平穏無事なる太平島なれ住事を追想すれば、■噴火の猛烈なる鳥島の比に非りしこと言う迄もなきなり。火山も大活動後久米島の如く全く死果てて見れば先何の事もなし太平無事の楽土であるが、鳥島の如き活火山に於ては時々今回の如き問題は起るのである。活火山の上に住居して居るのは、あたかも地獄の釜の蓋に居る様なものである、絶対的に太平を謳歌する訳にはいかない。併ながら此釜の蓋生活を恐るるならば日本人の住むべき土地は余程狭くなる、由来日本は火山国なればなり。
琉球狐島の如き規則正しき組立ある列島が帝国にあるのは、学問上大に誇るべきである。東印度の「パンダ」列島、西印度の「レッサー、アンチルス」列島も同様の組立である、博士は之を世界の三幅対だと云われて居る。以上の略説は一般の読者に取りては迷惑で有ろう、併余は地学に志ある本県学生諸君に申して置きたのである。琉球狐島の上に呼吸して居る二十世紀の学生には、学問上栄誉ある此列島の組立につき大体の話をして置きたいのである。
 △島の地理地質
読者既に鳥島の位置につき多少印記せられしならん、是より進んで島其物の地理を紹介せん。五月十七日の早天、運輸丸の甲板に上れば鳥島は巳に前頭四五浬の距離にありて、吾が船はあたかもその南角を衝かんとするものの如し。鳥島果して異状なきか只見る、島の北辺より濛々漠々として盛に噴烟するを、双眼鏡をとりて凝視するときは明かに墳烟に二様あるを認む。右手の方より立ち上るものは白色なるも、左手の方よりするものは淡青し此二種は判然と分かって居る。そこで余は一考した、従来鳥島の硫黄山は硫気洞斗だと聞き居りしに今此煙の色より察すれば鎔砿炉的の焦熱地獄があるに相違ない。実際、硫黄に点火して居るに相違ない淡青き煙は之を証するに充分である。これは奇々妙々だと好奇心勃々であった。さて弥島に近づくに従い噴出物の累層はありありと眼に入りて来るし、直立天を衝かんとする岩脈は南方なる「ダンノフチ」の左手に出張して、余等を迎揖する者に似たり。
余は船長に向い、着島の前に於て先づ島の周囲を一週せんこと請ひ、且進行中絶えず汽笛を鳴して島民の様子を探らんことを以てしたり。此際、船をば可成島に近寄せたきも、万一海底の模様に変状あるやも斗り難きを以て、呉々も其辺の注意を促し速力を緩うして左り廻りに一周を始めたり。船はあたかも半浬内外の距離を取りつつ進ことなれば、島■模様は明かに見え渡りぬ。噴火口の上の方には見る間にはや十人斗も集まりて此方を眺むる様子なれど、別に騒ぐ模様もなし。いよいよ船を火口の下に近づけば岩巉摩天の勢ある「フツヤ」の西辺を過ぐる頃、東南風の為甲枚上は全く硫煙を以て蔽はれぬ。此方にコンコンと咳嗽する者あれば、彼方にはハークツシヨの声しきりなり。火山の探険に始めての人には随分面白からぬ話である。さて何と見ても島の大体に異状なきを以て、直ちに速力を増し「サバノクワーナシトコロ」と称する断角を廻り、東岸なる上陸点に向い急行した。 (未完)