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仁壽丸の坐礁
原文表記
仁壽丸の坐礁
琉球新報 明治三十四年九月一日
客月十六日那覇港を出帆し八重山へ向け渡航したる海運會社所有汽舩仁壽丸は歸港期日を經過せしも絶て音沙汰なきに依■我も■も余程氣遣ひ居りしに昨日午前十一時當那覇港へ無事安着せり其の遭難の顚末を聞くに客月十六日那覇港出帆、翌十七日八重山着與那國島、入表島を經て仝二十一日八重山へ歸港、仝二十二日午前一時仝所を出帆し仝日正午十二時宮古着、仝日午后仝所出帆の豫定なりしも天候不穏の爲め出港を見合せ風波の稍々静穏なるを待兼ね居りしに仝島晩■より西北の暴風雨となり二重の錨及ひ纜を切断せられしを以て己むなく沖合と張氷港附近の沿岸を往復し居りしに翌二十三日午前九時頃となりては風位頓に南に變し風力ますます猛烈と相成りしを以て右へ折り左へ曲け兎や角して暴風と戰ひ居る一刹那に敢へなくも暗礁に■れ舩体に少しく破損を生したる以て態々淺瀬へ乘り揚け乘込人一同無事上陸し干潮の隙を窃ひ折断せられたる「スコロク」を非常用の「スコロク」と取替へ間に合せの修繕をなして一昨二十九日午后四時仝所を出帆し昨三十日午前十一時無事歸港したる次第なりと因に記す仝舩ハ格別の破損もなかりしも宮古碇泊中難破舩の手續をなしたるを以て荷物陸揚けの上は一應長■なる海事局へ廻航志検査を受くる都合なりと■宮古よりの乘客ハ危險の恐れありとて其筋より便乘を差留められしも三四名ハ舩底に潜伏して首尾能く密航を遂けたる由なるか舩員及ひ乘客等に怪我なかりしは先つ不幸中の幸ひなりし
現代仮名遣い表記
仁壽丸の坐礁
琉球新報 明治三十四年九月一日
客月十六日那覇港を出帆し八重山へ向け渡航したる海運会社所有汽船仁壽丸は、帰港期日を経過せしも絶て音沙汰なきに依■我も■も余程気遣い居りしに、昨日午前十一時当那覇港へ無事安着せり。其の遭難の顚末を聞くに、客月十六日那覇港出帆、翌十七日八重山着与那国島、入表島を経て同二十一日八重山へ帰港、同二十二日午前一時同所を出帆し同日正午十二時宮古着、同日午後同所出帆の予定なりしも天候不穏の為め出港を見合せ風状の稍々静穏なるを待兼ね居りしに、同島晩■より西北の暴風雨となり二重の錨及び纜を切断せられしを以て己むなく沖合と張氷港附近の沿岸を往復し居りしに、翌二十三日午前九時頃となりては風位頓に南に変し、風力ますます猛烈と相成りしを以て、右へ折り左へ曲げ兎や角して暴風と戦い居る一刹那に、敢えなくも暗礁に■れ船体に少しく破損を生じたる。以て態々浅瀬へ乗り揚げ、乗込人一同無事上陸し干潮の隙を窃い折断せられたる「スコロク」を非常用の「スコロク」と取替え間に合せの修繕をなして、一昨二十九日午後四時同所を出帆し、昨三十日午前十一時無事帰港したる次第なりと因に記す。同船は格別の破損もなかりしも宮古碇泊中難破船の手続をなしたるを以て、荷物陸揚げの上は一応長■なる海事局へ廻航し、検査を受くる都合なりと■。宮古よりの乗客は危険の恐れありとて其筋より便乗を差留められしも、三、四名は船底に潜伏して首尾能く密航を遂げたる由なるが、船員及び乗客等に怪我なかりしは先づ不幸中の幸いなりし。