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寄留商人案内(三)
原文表記
寄留商人案内(三)
琉球新報 明治三十三年十月一日
▲■古賀辰次郞氏 は大分縣の人にして實兄古賀與助氏は大阪にあり商業ハ重に海産物なるを以て久しき以前より糸滿人を雇ひ無人島附近に於て漁船をなさしめ且つ開墾事業を企ち居れり古賀商店の支配人は尾■■太郞氏にして仝氏は此程商業視察の爲め古賀辰次郞氏と支那へ渡航し仝地に於て英語研究の必要を感じ目下京都に於て勉強中なりと云ふ
▲〇藤井吉次郞氏 の商店は那覇區字四十一番地にーて仝店は母方の叔父■山仁之助氏管理せり藤井吉次郞氏は目下大坂にありて共同滊船會社の取締役を勤め居れり
▲■吉田得■氏 の商店ハ那覇區字西十六番地にして店主吉田得■氏は鹿児島に常住志那覇の商店には柿元淸右衛門渡邊■之助の両氏ありて雜穀並に砂糖商をなし居れり
▲上渡邊住助氏 はこれ迄那覇區字東九十番地に商店を開き雜貨並に砂糖商をなし居りたるが近頃垣の花の潟地に移■し重に砂糖商をなし居れり
▲太太原佐太郞氏 の商店は那覇區字西十九番地にして商業は重に茶鰹節並に砂糖商をなし居れり
▲■田代鹿之助氏 は那覇區字西九十番地に商店を開き重に穀物並に砂糖商をなし居れり
現代仮名遣い表記
寄留商人案内(三)
琉球新報 明治三十三年十月一日
▲■古賀辰次郞氏 は大分県の人にして、実兄古賀典助氏は大阪にあり。商業は重に海産物なるを以て、久しき以前より糸満人を雇い無人島附近に於て漁船をなさしめ、且つ開墾事業を企ち居れり。古賀商店の支配人は尾■■太郞氏にして、同氏は此程商業視察の為め古賀辰次郞氏と支那へ渡航し、同地に於て英語研究の必要を感じ、目下京都に於て勉強中なりと言う。
▲〇藤井吉次郞氏 の商店は那覇区字四十一番地にして、同店は母方の叔父■山仁之助氏管理せり。藤井吉次郞氏は目下大坂にありて、共同汽船会社の取締役を勤め居れり。
▲■吉田得■氏 の商店は那覇区字西十六番地にして、店主吉田得■氏は鹿児島に常住し、那覇の商店には柿元清右衛門渡辺■之助の両氏ありて、雑穀並に砂糖商をなし居れり。
▲上渡辺住助氏 はこれ迄那覇区字東九十番地に商店を開き、雑貨並に砂糖商をなし居りたるが、近頃垣の花の潟地に移■し重に砂糖商をなし居れり。
▲太太原佐太郞氏 の商店は那覇区字西十九番地にして、商業は重に茶、鰹節並に砂糖商をなし居れり。
▲■田代鹿之助氏 は那覇区字西九十番地に商店を開き、重に穀物並に砂糖商をなし居れり。