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●寄留商人案内(二)

掲載年月日:1900/9/29(土) 明治33年
メディア:琉球新報社 3面 種別:記事

原文表記

●寄留商人案内 (二)
▲■海江田丑之助氏 の商店は那覇區字西八十九番地にして本店は鹿兒島にありて海江田金次郎氏管理せり仝氏は多額納税者にして目下貴族院議員に撰擧せられ居る由又海江田丑之助氏は滊船會社の取締役を勤め居れり商業は鹿兒島の本店が多く田畑を所有し居るが故に重に米穀を販賣し居れり
▲■若松太平氏 の商店ハ海江田丑之助氏の商店の隣にして目下若松太平氏は滊船會社の取締役を勤め居れり商業は矢張り鹿兒島なる本店が多く田畑を所有し居るが故に重に米穀を販賣し居れり聞く處に依れば鹿兒島なる本店も海江田氏丑之助氏の本店の隣りなりと云ふ
▲■鮫島武八郎氏 那覇區字西六十九番地に久しき以前より商店を開き雜穀物並に材木類を販賣し居りしが近頃に至り仝氏は鹿兒島なる本店を管理し那覇の支店は前田英次郎氏が管理し居ると云ふ
▲■矢野治右衛門氏 の商店は那覇區字西四十二番地にして本店は鹿兒島にありて甥の矢野彥兵衛氏管理に居れり商業は重に雜穀類にして久しき以前より當地に商店を開きし人なれば随って當地の事情にも精しく通じ居れり
▲■■新名助次郎氏 ハ那覇區字十五番地に商店を開き鹿兒島なる本店は實兄柴田政太郎氏管理せり那覇の商店ハ重卯三郎氏支配し居れり新名氏は鹿兒島加治木の人なるを以て重に紙類を販賣し又砂糖商をもなし居れり支配人重卯三郎氏は目下共同滊船會社の監査役たり
▲■慶田覺太郎氏 の商店ハ那覇區字東二百七番地にして鹿兒島なる本店は慶田政太郎氏管理せり商業は重に酒醤油板等にして慶田氏ハ目下鹿兒島滊船會社の取締役を勤め居れり
▲■兒玉利吉氏 は那覇區字西二十五番地に商店を開き重に與論島並に永良部島の砂糖其の他の產物に付き依托販賣をなし居れり兒玉氏ハ目下共同滊船會社の監査役を勤め居れり
▲■兒玉常七氏 ハ紀州和歌山の人にして那覇區字東百八十四番地に商店を開き商業は重に茶及海產物なり

現代仮名遣い表記

●寄留商人案内 (二)
▲■海江田丑之助氏 の商店は那覇区字西八十九番地にして、本店は鹿児島にありて海江田金次郎氏管理せり。同氏は多額納税者にして目下貴族院議員に選挙せられ居る由。又、海江田丑之助氏は汽船会社の取締役を勤め居れり。商業は鹿児島の本店が多く田畑を所有し居るが故に、重に米穀を販売し居れり。
▲■若松太平氏 の商店は海江田丑之助氏の商店の隣にして、目下若松太平氏は汽船会社の取締役を勤め居れり。商業は、矢張り鹿児島なる本店が多く田畑を所有し居るが故に、重に米穀を販売し居れり。聞く処に依れば鹿児島なる本店も、海江田氏丑之助氏の本店の隣りなりと云ふ
▲■鮫島武八郎氏 那覇区字西六十九番地に久しき以前より商店を開き、雑穀物並に材木類を販売し居りしが、近頃に至り同氏は鹿児島なる本店を管理し、那覇の支店は前田英次郎氏が管理し居ると云う。
▲■矢野治右衛門氏 の商店は那覇区字西四十二番地にして、本店は鹿児島にありて甥の矢野彦兵衛氏管理に居れり。商業は重に雑穀類にして久しき以前より当地に商店を開きし人なれば、随って当地の事情にも精しく通じ居れり。
▲■■新名助次郎氏 は那覇区字十五番地に商店を開き、鹿児島なる本店は実兄柴田政大郎氏管理せり、那覇の商店は重卯三郎氏支配し居れり。新名氏は鹿児島加治木の人なるを以て、重に紙類を販売し又砂糖商をもなし居れり。支配人重卯三郎氏は、目下共同汽船会社の監査役たり。
▲■慶田覚太郎氏 の商店は那覇区字東二百七番地にして、鹿児島なる本店は慶田政太郎氏管理せり。商業は重に酒醤油板等にして、慶田氏は目下鹿児島汽船会社の取締役を勤め居れり。
▲■児玉利吉氏 は那覇区字西二十五番地に商店を開き、重に与論島並に永良部島の砂糖、其の他の産物に付き依托販売をなし居れり。児玉氏は目下共同汽船会社の監査役を勤め居れり。
▲■児玉常七氏 は紀州和歌山の人にして那覇区字東百八十四番地に商店を開き、商業は重に茶及海産物なり。