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●訪問録(南淸貿易について)

掲載年月日:1900/7/17(火) 明治33年
メディア:琉球新報社 2面 種別:記事

原文表記

●訪問録(南淸貿易に就て)
▲岡田參事官
南淸貿易を爲すに就ては直接航路を開くの必要ありて之を開くには須らく政府の保助を仰かさるへからずとは當業者の一致する所なり若し直接航路を開くに於て政府の保助を要すとせは議會の協賛を經さるへからず此事に就ては既に知事の運動せらる■あり又た本年末議會開會前に再ひ上京して尽力せらるゝとの事なれは多分好結果を生し得へしと雖とも果して來年七月迄に航路開始の運ひになるや否や今日よりて明言し能はさるなり航路さへ開けは五万圓の輸出入貨物を得んこと容易なりとは■道に悉しき人の見込なるを以て首尾よく航路を開き得る運びになれは甚た結構の次第にして申分はなきも若し萬一來年七月迄に航路を開き能はさる時は開港塲を支持し能はさるの不幸を見るに至るべし此の如き萬一の塲合に對する窮策の一として二三實業家の意見に依れは開港塲を支持するには輸出入の貨物價格五万圓の額を滿たせは可なるを以て若し萬一來年七月迄に直接航路を開くの運ひに至らさる爲め那覇の開港塲を支持し能はざるか如き事あらば己を得し神戸在留の外國商人と結託して神戸を經て沖縄へ輸入し來る外國米其他の貨物をは神戸の税關を經すして直に那覇へ運搬し來る事にせば或は規定の輸入價格を充たすに足るへしと謂ふものあり此の如きは法律上に於ては差支なきかゆえに双方の相談さへ纏まれは敢て爲し得さる事にはあらずと雖とも實際に於て爲し得らるゝ事なるや否や兎に角研究すへき一問題なり要するに航路を開くにあらされは輸出入高五万圓に上るの見込なく開港塲を支持し能はすとせは之を支持するの方策を講究するは寧ろ今日の急務ならんかと思はるゝなり
▲齋藤那覇區長
那覇開港塲を支持するに就き南淸航路の保護は福州貿易と相待つて必要欠くへからさる事には相違いなきも此事は議會の協賛を經さるへからさるを以て必すしも當てになるものにあらず故に政府の保護は仮りに先づ出來得さるものとして直接航路を開く方策を講究するの必要はなきか余は曾つて此の如き意見を抱き民間實業家に圖る所ありしも終に行はれさりし五万圓の輸出入貨物あるや否は是れ實業上の問題にして吾々の確答し得へき事にはあらされとも實業家の話に依れは航路の開港せは五万圓の輸出入貨物を得るは容易なるへしとの事なり左れは今日開港塲を支持する事に就き研究すへき問題は輸出入貨物の如何にあらず寧ろ航路の開通如何に在りと思はるゝなり
●衛生課に獸醫を置かる
本縣衛生課に於ては此程獸醫を置く事となり醫師は獸醫稻福政順氏に嘱託せられ日當五十錢給與せられたり
●首里警察の車体檢査
首里警察署に於ては本月五日より人力車及ひ荷車の車体檢査を執行したるよしなるが夫れか爲め仝署の門前は毎日非常の混雜を極め居るとの事にて人力車は一人乗三百二十四輛仝二人乗百十輛又荷車は甲種二輛乙種五輛にして檢査終了は本月一杯の豫定なりと
●税務管理局移轉の噂
那覇税務管理局は追々他所へ移轉するとのことなるが既に那覇區字泉崎の鍋屋近邊の屋敷を適當の塲所と撰定し目下該屋敷地の所有主と地價に付て打ち合せ中なりと云ふ
●整理局員の任命
久手堅憲由氏は本縣土地整理事務局雇を命せられ月俸金八圓第二部測量課勤務を命せらる又税務属矢谷■義氏は仝局書記に任せられ九級俸を給し第二部査定課勤務を命せらる猶ほ又堀川■秀氏も仝局雇を命せられ月俸金八圓第二部測量課勤務を命せられたりと云ふ
●軍曹の恩給金
眞和志間切牧志村豫備陸軍歩兵軍曹高良郎作氏は軍人恩給法に依り此程給助金五十四圓下賜せられ那覇區字若狭町陸軍憲兵曹長知念信敬及ひ仝區字泊陸軍歩兵曹長屋宜政守の両氏は此程金額六十圓の恩給を下賜せられたり
●日比書記官
宮古八重山の両島へ出張中の日比本縣書記官は來る十九日の定期船にて歸廳の豫定なりと云ふ
●和田警部長一行の歸廳
曩きに八重山郡へ出張中の和田警部長には随行員税所内田の両警部長及び新垣■の諸氏同行■日入港の仁壽丸より歸廳せり
●整理局員の區局
仝局書記三木敬修仝高橋正直仝眞鍋當次郎助■島恕■雇■川永■仝門松經實の諸氏は地押調査の爲め島尻郡伊平屋島へ出張の處歸局又仝局書記清水助吉助手井料政吉雇川久保嘉太郎の諸氏は地押調査の爲め伊江島へ出張中の處歸局猶ほ又仝局書記洞宗森生氏は地押監督の爲め粟國島外三島仝書記南山正史氏は収穫調査の爲め宮古島へ孰れも出張中の處歸局せりと云ふ

現代仮名遣い表記

●訪問録(南清貿易に就て)
▲岡田参事官
南清貿易を為すに就ては直接航路を開くの必要ありて、之を開くにはすべからく政府の保助を仰がざるべからずとは当業者の一致する所なり。若し直接航路を開くに於て政府の保助を要すとせば議会の協賛を経ざるべからず、この事に就ては既に知事の運動せらる■あり。また本年末議会開会前に再び上京して尽力せらるるとの事なれば、多分好結果を生じ得べしといえども果して来年七月迄に航路開始の運びになるや否や、今日よりて明言し能わざるなり。航路さえ開けば五万円の輸出入貨物を得んこと容易なりとは■道に悉しき人の見込なるを以て、首尾よく航路を開き得る運びになれば甚だ結構の次第にして申分はなきも、若し万一来年七月迄に航路を開き能わざる時は開港場を支持し能わざるの不幸を見るに至るべし。此の如き万一の場合に対する窮策の一つとして二三実業家の意見に依れば、開港場を支持するには輸出入の貨物価格五万円の額を満たせば可なるを以て、若し万一来年七月迄に直接航路を開くの運びに至らざる為め那覇の開港場を支持し能わざるが如き事あらば、己を得し神戸在留の外国商人と結託して、神戸を経て沖縄へ輸入し来る外国米その他の貨物をば神戸の税関を経ずして直に那覇へ運搬し来る事にせば或は規定の輸入価格を充たすに足るべしと謂うものあり。此の如きは法律上に於ては差支なきがゆえに、双方の相談さえ纏まればあえて為し得ざる事にはあらずといえども実際において為し得らるる事なるや否や、とにかく研究すべき一問題なり。要するに航路を開くにあらざれば輸出入高五万円に上るの見込なく、開港場を支持し能わずとせば之を支持するの方策を講究するは、むしろ今日の急務ならんかと思はるるなり。
▲斎藤那覇区長
那覇開港場を支持するに就き、南清航路の保護は福州貿易と相待って必要欠くべからざる事には相違いなきも此事は議会の協賛を経ざるべからざるを以て、必ずしも当てになるものにあらず。故に政府の保護は仮りに先づ出来得ざるものとして直接航路を開く方策を講究するの必要はなきか。余はかつて此の如き意見を抱き、民間実業家に図る所ありしも終に行われさざりし。五万円の輸出入貨物あるや否は是れ実業上の問題にして吾々の確答し得べき事にはあらざれども、実業家の話に依れば航路の開港せば五万円の輸出入貨物を得るは容易なるべしとの事なり。左れば今日開港場を支持する事に就き研究すべき問題は、輸出入貨物の如何にあらず、むしろ航路の開通如何に在りと思はるるなり。
●衛生課に獣医を置かる
本県衛生課に於ては此程獣医を置く事となり。医師は獣医稲福政順氏に嘱託せられ、日当五十銭給与せられたり。
●首里警察の車体検査
首里警察署に於ては本月五日より人力車及び荷車の車体検査を執行したるよしなるが、それが為め同署の門前は毎日非常の混雑を極め居るとの事にて、人力車は一人乗三百二十四輌、同二人乗百十輌、又荷車は甲種二輌、乙種五輌にして検査終了は本月一杯の予定なりと。
●税務管理局移転の噂
那覇税務管理局は追々他所へ移転するとのことなるが、既に那覇区字泉崎の鍋屋近辺の屋敷を適当の場所と選定し、目下該屋敷地の所有主と地価に付て打ち合せ中なりと云う。
●整理局員の任命
久手堅憲由氏は本県土地整理事務局雇を命ぜられ月俸金八円第二部測量課勤務を命ぜらる、又税務属矢谷■義氏は同局書記に任ぜられ九級俸を給し第二部査定課勤務を命ぜらる、なお又堀川■秀氏も同局雇を命ぜられ月俸金八円第二部測量課勤務を命ぜられたりと云う。
●軍曹の恩給金
真和志間切牧志村予備陸軍歩兵軍曹高良郎作氏は、軍人恩給法によりこの程給助金五十四円下賜せられ、那覇区字若狭町陸軍憲兵曹長知念信敬及び同区字泊陸軍歩兵曹長屋宜政守の両氏は、この程金額六十円の恩給を下賜せられたり。
●日比書記官
宮古八重山の両島へ出張中の日比本県書記官は、来る十九日の定期船にて帰庁の予定なりと云う。
●和田警部長一行の帰庁
さきに八重山郡へ出張中の和田警部長には、随行員税所内田の両警部長及び新垣■の諸氏同行■日入港の仁寿丸より帰庁せり
●整理局員の区局
同局書記三木敬修、同高橋正直、同真鍋当次郎、助■島恕■雇■川永■、同門松経実の諸氏は地押調査の為め島尻郡伊平屋島へ出張の処、帰局。また同局書記清水助吉助手井料政吉雇川久保嘉太郎の諸氏は地押調査の為め伊江島へ出張中の処、帰局。なお又、同局書記洞宗森生氏は地押監督の為め粟国島外三島、同書記南山正史氏は収穫調査の為め宮古島へいずれも出張中の処、帰局せりと云う。