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雜 報 ●渡淸道中日記(續)
原文表記
雜 報
●渡淸道中日記 (續)
十一月廿六日厦門皷浪嶼の客寓に於て 半狂生
十九日晴 久振りにて見るときは日光も何となく難有き心地す折々少雨に曇れとも先つ今比此邊にての日和なりと云ふ商船會社支店に至り阿部氏を訪ふ聞く所に依れは對岸南淸との交通機關は商船會社に於て毎月四回即ち目下淡水丸舞鶴丸の二艘を以て當港と厦門香港間の定期航海をなし毎日曜日に當港を發するの豫定なりドクラス會社は三艘(共に八九百噸内外の滊船)を以て毎週二回即月八回の定期航海をなす然れとも冬より春へかけ風波常に荒くして正確に定期を求むこと能はす或いは厦門を發し福州の海檀島(淡水港より凡八十哩)に避難して四五日も入港させることありと云ふ其他夏より秋へかけてはシヨンクと稱する支那形帆船の往來も亦た尠からすと云ふ但し目下の處當港と基隆港間の連絡殆と絶無にして從て商船會社の内地航路を對岸航路に利用すること能はさるは貿易上頗る遺憾の至なり
晩より知事に同行して中村税關長の招待に赴く官舎は高臺の眺望佳なる所に新築し西洋風の建築中々に荘麗なり晩餐終て更に薩摩琵琶の余饗あり共に旅情を慰して歸る當港税關輸出入貨物の原價は凡二千余万圓横濱神戸の次長崎の上に居ると云ふ亦た盛なりとい云ふべし然れとも三井物產會社の請負鵶片の輸入及ひ其最小數を除く外は全く臺灣人支那人の所扱に係り此頃より品に依り内地直輸入を開始したるものあれともこれ亦た内地人の手に成るもの殆と稀なるか如し
廿日小雨 市中を散歩し手紙なとを認めて日を消す
現代仮名遣い表記
雑 報
●渡清道中日記 (続)
十一月二十六日厦門皷浪嶼の客寓に於て 半狂生
十九日晴 久振りにて見るときは、日光も何となく難有き心地す。折々少雨に曇れども、先づ今ごろ此辺りにての日和なりと云う。商船会社支店に至り阿部氏を訪う。聞く所に依れはば対岸南清との交通機関は、商船会社に於て毎月四回すなわち目下淡水丸、舞鶴丸の二艘を以て当港と厦門、香港間の定期航海をなし毎日曜日に当港を発するの予定なり。ドクラス会社は三艘(共に八九百トン内外の汽船)を以て、毎週二回すなわち月八回の定期航海をなす。然れども冬より春へかけ風波常に荒くして、正確に定期を求むこと能はず。或いは厦門を発し福州の海檀島(淡水港より凡八十哩)に避難して四五日も入港させることありと云う。その他夏より秋へかけてはジヨンクと称する支那形帆船の往来もまた少なからずと云う。但し目下の処、当港と基隆港間の連絡ほとんど絶無にして、従って商船会社の内地航路を対岸航路に利用すること能はざるは、貿易上すこぶる遺憾の至なり。
晩より知事に同行して中村税関長の招待に赴く。官舎は高台の眺望佳なる所に新築し西洋風の建築、中々に荘麗なり。晩餐終て更に薩摩琵琶の余饗あり、共に旅情を慰して帰る。当港税関輸出入貨物の原価は凡二千余万円、横浜神戸の次長崎の上に居ると云う亦た盛なりとい云うべし。然れども三井物産会社の請負アヘンの輸入及びその最小数を除く外は全く台湾人支那人の所扱に係り、此頃より品に依り内地直輸入を開始したるものあれども、これまた内地人の手に成るもの殆ど稀なるが如し。
二十日小雨 市中を散歩し、手紙なとを認めて日を消す