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[渡淸道中日記 發端]

掲載年月日:1899/12/1(金) 明治32年
メディア:琉球新報社 2面 種別:記事

原文表記

發端  富川瓢痴識
半狂生
唐旅と云えは一両年前より思ひ立ち準備も夫相應大粧にして殆ど名譽と利益に命かけの仕事の樣に思ひ做したりしは我等か未だ生れぬ先の事にも非す桑海の變を世態なりとは云へ斯も替れい替るものかと思ふ人もや猶多のらん今回奈良原知事い公用を帶ひて南淸視察の道に上る我等須急の用もなけれと台灣占領以來沖繩か大陸の鄰りに持行かれたる心地せらるゝか况して此から膨脹の先鋒たるへき職業柄臺灣を始め南淸の地方に斥候の心覺なきハ頗る手ぬかり何日と思ひし好機は不可失と方々よりの進めもあるに任せ即知事の一行に加ハらんと思ひ決めしは出發の一週間程前なりき萬事手輕にと思へは用意する程の事もなく只社務の片付留主中の心遣ひなとに少しは旅立めかして彼是する中を杯せんとて懇切に給ふ方もありさてつ過分の希望を属せらるゝの仰も聞つ孰れも忝い受くるものから其實自分の期する所は不馴の土地の失策話位の土產の頂上知事の一行及古賀氏を本役者と見立間の者に出さる我等か當然の職務として茲に日々の手帳を走り書して旅中席暖ならさる知事の消息を報し併て我等音信を知己の諸君に傅ふるもの也誤字脫句轉章ハ推讀を祈る

現代仮名遣い表記

発端  富川瓢痴識
半狂生
唐旅と云えば、一両年前より思い立ち、準備も夫相応大粧にして殆ど名誉と利益に命がけの仕事の様に思い做したりしは、我等が未だ生れぬ先の事にも非ず桑海の変を世態なりとは云え、斯も替れば替わるものかと思ふ人もや猶多からん。今回奈良原知事は、公用を帯びて南清視察の道に上る、我等須急の用もなけれど台湾占領以来沖縄が大陸の隣りに持行かれたる心地せらるるか。况して此から膨張の先鋒たるべき職業柄、台湾を始め南清の地方に斥候の心覚なきは、頗る手ぬかり何日と思ひし好機は不可失と方々よりの進めもあるに任せ、即知事の一行に加わらんと思ひ決めしは出発の一週間程前なりき。万事手軽にと思へば用意する程の事もなく、只社務の片付留主中の心遣いなどに少しは旅立めかして彼是する中を、杯せんとて懇切に給ふ方もありさてつ過分の希望を属せらるるの仰も聞つ。孰れも忝い受くるものから其実、自分の期する所は不馴の土地の失策話位の土産の頂上知事の一行及古賀氏を本役者と見立間の者に出さる我等が当然の職務として、茲に日々の手帳を走り書して旅中席暖ならざる知事の消息を報し、併て我等音信を知己の諸君に伝えるもの也。誤字脱句転章は推読を祈る。