キーワード検索
●尖閣郡島事情
原文表記
●尖閤郡島事情
尖閣郡島は八重山列島の一にして從來魚釣島と稱する無人島なり之れより東北に十六海里を隔て久塲島と稱する一島あり。海図に低牙吾蘇島と記せり何れも異名同島なるべし古賀辰四郞が官許を得て此処に拓殖事業を企圖し、其監督として尾瀧延太郞氏が漁農夫三十余命を引連れ、那覇港を出帆したるは本年五月二十四日。近頃同氏より黒川属に宛通信の要領を得たり該島の狀况を窺ふに足るヘきに付左に之を掲く
尖閣郡島は數個より成れる島嶼にして東經百二十四度四十分、北緯二十五度五十分に位せる東支那海中の小群島なり其島大なる者は周圍凡そ三里高サ一千百八十一フー卜ニ達し釣魚島(ホアンピス)と稱し之れに亞ぐ者は周囲二里高サ六百フートあり黄尾島(チヤウス)と云ふ
是れ実に予が今回船より放棄せられたる無人の孤島なり當島ハ南北に長く東西に短くして恰も髄圓形をなし囲らすに岩石を以てし島中到る處岩を累ね跣足歩行すへき處なし然れども山顚及山腹に數ヶ處の大凹處あり底は平坦にして石なく且極めて肥沃なる黒色土なり此土ハ數百年來鳥糞と混交し殆んと人工肥料の如し草木蔚蒼其重なる樹木ハ久塲樹、青桐、籐、葮等の類にして久塲樹の如きは拾八九間廻り五六尺に至るものあり當島は四圍巖石屹立し恰も鋸齒の如く港湾の船を寄する處なし然れとも天惠にや西海岸に當り袂狀の一大凸處あり此は天然の良港にして水深く二三暗礁を除去すれは容易に五六十頓の船舶を容るゝことを得へし従来渡航したる者ハ皆此海岸に住居を搆へ吾等も茲に居所を搆へたり氣候は渡航後日も淺けれは未た判明せされとの沖繩本島より暑きを覺ゆ(寒暖計破損して温度明かにするを得す)未た各郡島皆跋渉せさるを以て探撿の上后日更に報告する處あるへし伝々
現代仮名遣い表記
●尖閤郡島事情
尖閣郡島は八重山列島の一にして従来魚釣島と称する無人島なり。之れより東北に十六海里を隔て久場島と称する一島あり。海図に低牙吾蘇島と記せり。何れも異名同島なるべし。古賀辰四郎が官許を得て此処に拓殖事業を企画し、其監督として尾瀧延太郎氏が漁農夫三十余命を引連れ、那覇港を出帆したるは本年五月二十四日。近頃同氏より黒川属に宛通信の要領を得たり。該島の状況を窺ふに足るべきに付左に之を掲く。
尖閣郡島は数個より成れる島嶼にして、東経百二十四度四十分、北緯二十五度五十分に位せる東支那海中の小群島なり。其島大なる者は周囲凡そ三里、高サ一千百八十一フィー卜に達し、釣魚島(ホアンピス)と称し、之れに亜ぐ者は周囲二里、高さ六百フィートあり。黄尾島(チヤウス)と云ふ。
是れ、実に予が今回船より放棄せられたる無人の孤島なり。当島は南北に長く東西に短くして恰も髄円形をなし囲らすに岩石を以てし、島中到る処岩を累ね跣足歩行すべき処なし然れども、山頂及山腹に数ヶ所あり。底は平坦にして石なく且極めて肥沃なる黒色土なり、此土は数百年来鳥糞と混交し殆んど人口肥料の如し。草木蔚蒼其重なる樹木久場樹、青桐、籐、葮等の類にして久場樹の如きは十八九間廻り五六尺に至るものあり。当島は四囲厳石屹立し恰も鋸歯の如く港湾の船を寄する処なし、然れども天恵にや西海岸に当り袂状の一大凸処あり、此は天然の良港にして水深く二三暗礁を除去すれば容易に五六十頓の船舶を容るゝことを得へし。従来渡航したる者は皆此海岸に住居を構へ、吾等も茲に居所を構へたり。気候は渡航後日も浅ければ未だ判明せされとの沖縄本島より暑きを覚ゆ(寒暖計破損して温度明かにするを得ず)、未だ各郡島皆跋渉せさるを以て探検の上、後日更に報告する処あるべし伝々