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●三角島の信天翁

掲載年月日:1899/4/13(木) 明治32年
メディア:台湾日日新報 5面 種別:記事

原文表記

●三角島の信天翁
八重山群島の一なる三角島と云へるは無人島にして草木夥しく繁茂し信天翁の尤も多く棲み居る所なるが此程着の須磨丸は同島に寄港すべき筈なりしも風波荒き爲め其目的を果さゞりしとなり沖繩人古雅辰之助と云へる人は基隆より澎湖島に便船を待て同島の視察に趣く由なるが目下同島にては此の信天翁の羽毛を採るもの四十餘現に昨年より着手し其量數最早一千梱位あるべき見込にて重に此の羽毛は外國製品として用ひられ前途有望のものなりと云ふ古雅と云へる人は卽ち此發見者にして且は事業家なりとぞ

現代仮名遣い表記

●三角島の信天翁
八重山群島の一つとなる三角島と云へるは、無人島にして草木おびただし繁茂し信天翁のもっとも多く棲み居る所なるが、この程着の須磨丸は同島に寄港すべき筈なりしも、風波荒き為め、その目的を果さざりしとなり、沖縄人古雅辰之助と云へる人は、基隆より澎湖島に便船を待って同島の視察に趣く由なるが、目下同島にては此の信天翁の羽毛を採るもの四十人余、現に昨年より着手し、その量数最早一千梱位あるべき見込にて、重にこの羽毛は外国製品として用いられ、前途有望のものなりと云う。古雅と云へる人は、即ちこの発見者にして、且は事業家なりとぞ。