キーワード検索

●淸國人の難船須磨丸に救助せらる

掲載年月日:1898/9/5(月) 明治31年
メディア:琉球新報社 2面 種別:記事

原文表記

●淸國人の難船須磨凡に救助せらる
去る一日商船會社の須磨凡は基隆港を發し當那覇港へ向け航行中翌二日午前一時五分基隆を距る百十八哩の沖合に於て難破船を認め早速救助せしに其の難破船は淸國厦門人の所有船にして船名は慶々號船長は陳耀輝と云へるもの其の外乗込員は呂梨抔、郭鉗、會振富、會貼袷、鳥陳八二、陳風、陳喜、洪禰員、の九名にして昨日入港の須磨凡より當那覇港へ來りたるに付き其の筯に於ては早速那覇區字西四十六番地旅人宿森田喜平次方へ止宿せしめたり今同人等の語る處に依れば難破船慶々號は淸國厦門より台灣淡水間を往來する商船にして乗込員一同は台北縣新竹街三百四十四番戶に止宿し居る由なるが暴風雨の爲め一週間海上に漂流し居りて三日間は全く絕食し居りたりと云ふ

現代仮名遣い表記

●清国人の難船須磨凡に救助せらる
去る一日商船会社の須磨凡は、基隆港を発し当那覇港へ向け航行中。翌二日、午前一時五分基隆を距る、百十八哩の沖合に於て、難破船を認め、早速救助せしに。其の難破船は清国厦門人の所有船にして、船名は慶々号、船長は陳耀輝と云えるもの、其の外乗込員は呂梨抔、郭鉗、会振富、会貼袷、鳥陳八二、陳風、陳喜、洪禰員、の九名にして。昨日入港の須磨凡より、当那覇港へ来りたるに付き、其の筯に於ては、早速、那覇区字西四十六番地。旅人宿、森田喜平次方へ止宿せしめたり。今同人等の語る処に依れば、難破船慶々号は清国厦門より台湾淡水間を往来する商船にして、乗込員一同は、台北県新竹街三百四十四番戸に止宿し、居る由なるが暴風雨の為め、一週間海上に漂流し居りて、三日間は全く絶食し居りたりと云う。