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尖閣郡島事情
原文表記
尖閣郡島事情
琉球新報 明治三十一年七月十七日
尖閣郡島は八重山列島の一にして從來魚釣島と稱する無人島なり之れより東北に拾六海里を隔て久場島と稱する一島あり海圖に低牙吾蘇島と記せり何れも異名同島なるへし古賀辰四郞か官許を得て此處に拓殖事業を企圖し其監督として尾瀧延太郞氏か漁農夫卅余命を引連れ那覇港を出帆したるは本年五月二十四日近頃同氏より黒川属に宛通信の要領を得たり該島の狀況を窺ふに足るへきに付左に之を掲く
尖閣郡島は數個より成れる島嶼にして東經百二十四度四十分北緯二十五度五十分に位せる東支那海中の小群島なり其島大なる者は周圍凡そ三里高サ一千百八十一フートニ達し釣魚島(ホアンビス)と稱し之れに亞く者は周囲二里高サ六百フートあり黄尾島(チヤウス)と云ふ是れ實に予か今回船より放棄せられたる無人の孤島なり當島ハ南北に長く東西に短くして恰も隨圓形をなし圍らすに岩石を以てし島中到る處岩を累ね跣足歩行すへき處なし然れとも山顚及山腹に數ヶ處の大凹處あり底は平坦にして石なく且極めて肥沃なる黒色土なり此土ハ數百年來鳥糞と混交し殆んと人工肥料の如し草木蔚蒼其重なる樹木ハ久場樹、青桐、籐、葮等の類にして久場樹の如きは長さ拾八九間廻り五六尺に至るものあり當島は四圍巌石屹立し恰も鋸齒の如く港灣の船を寄する處なし然れとも天恵にや西岸に當り袂狀の一大凸處あり此は天然の良港にして水深く二三の暗礁を除去すれは容易に五六十噸の船舶を容るゝことを得へし從來渡航したる者ハ皆此海岸に住居を構へ吾等も茲に居所を構へたり氣候は渡航後日も尚淺けれは未た判明せされとも沖繩本島より暑きを覺ゆ(寒暖計破損して温度明かにするを得す遺憾とす)未た各郡島皆跋渉せさるを以て探檢の上后日更に報告する處あるへし云々
現代仮名遣い表記
尖閣群島事情
琉球新報 明治三十一年七月十七日
尖閣郡島は八重山列島の一にして、従来魚釣島と称する無人島なり。之れより東北に十六海里を隔て久場島と称する一島あり。海図に低牙吾蘇島と記せり。何れも異名同島なるべし。古賀辰四郞が官許を得て此所に拓殖事業を企図し、其監督として尾瀧延太郞氏が漁農夫三十余命を引連れ那覇港を出帆したるは、本年五月二十四日。近頃同氏より黒川属に宛通信の要領を得たり。該島の状況を伺うに足るべきに付左に之を掲ぐ。
尖閣群島は数個より成れる島嶼にして、東経百二十四度四十分、北緯二十五度五十分に位せる東支那海中の小群島なり。其島大なる者は周囲凡そ三里、高さ一千百八十一フートに達し、釣魚島(ホアンピス)と称し、之れに次ぐ者は周囲二里、高さ六百フートあり、黄尾島(チヤウス)と言う。是れ実に予が今回船より放棄せられたる無人の孤島なり。当島は南北に長く東西に短くして恰も楕円形をなし、囲らずに岩石を以てし島中到る所岩を累ね、跣足歩行すべき処なし。然れども山顚及山腹に数ヶ所の大凹所あり。底は平坦にして石なく、且極めて肥沃なる黒色土なり。此土は数百年来鳥糞と混交し、殆んど人工肥料の如し。草木蔚蒼其重なる樹木は、久場樹、青桐、籐、葮等の類にして、久場樹の如きは長さ十八、九間、廻り五、六尺に至るものあり。当島は四囲巌石屹立し、恰も鋸歯の如く港湾の船を寄する所なし。然れども天恵にや西岸に当り、袂状の一大凸所あり。此は天然の良港にして水深く、二、三の暗礁を除去すれば容易に五、六十屯の船舶を容るゝことを得べし。従来渡航したる者は皆此海岸に住居を構え、吾等も茲に居所を構えたり。気候は渡航後日も尚浅ければ未だ判明せざれども、沖縄本島より暑きを覚ゆ(寒暖計破損して温度明かにするを得ず。遺憾とす)。未だ各群島皆抜渉せざるを以て、探検の上後日更に報告する処あるべし云々。