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●圖南軍益々鵬翼と張る

掲載年月日:1894/1/26(金) 明治27年
メディア:読売新聞 2面 種別:記事

原文表記

●圖南軍益々鵬翼と張る
去年漁獵の爲め南洋無人島へ渡帆したる圖南軍の一行熊本の野田正山隈惟勇氏等に關する最近の報に據れバ一行無人島・木塲島より八重山島に歸航後ハ石垣・西表両島の近海にて好漁塲と求めんとて第一舜天丸(漁船)ハ西表に第二舜天丸ハ石垣に分れて漁業に從事せしに時恰も冬期波荒くして海中不案内の塲所なれバ其困難一方ならず屡々危險に遭遇せしも乘組者ハ何れも屈强の漁夫なれバ相應の捕獲もありたり斯くて野田山隈の二人ハ頭船瀬川久米藏と共に鱶鰭、油、魚肚、干肉、干皮抔を携へ大有丸便にて沖繩那覇港に入りしが其製造品にハ縣廳の人々も大に賞賛し商人等ハ斯る品なれバ神戸・長崎の貿易市塲にても上位を占むるならんと評せし由又
遠征の諸氏ハ巳に木塲・西表・石垣の諸島に漁塲を求め好結果を得たるを以て更に歩と進むる由にて野田・山隈・瀬川の三氏ハ去る八日の球陽丸便にて熊本へ歸國し更に幾艘の漁船を增加し北風の利便を以て七島灘を越え八重山島まで漁船の航路を開き夫より無人島及び西表・石垣・の三箇所に分れ大に事業を擴張し其中の一艘を以て探險船となし或ハ他の無人島を探險し他の漁塲を試漁する計畫にて遠征隊ハ中林恭信・森永能彥・北島勇の三氏之を率ゐ進んで從事する由なり

現代仮名遣い表記

●図南軍益々鵬翼と張る
去年漁猟の為め南洋無人島へ渡帆したる図南軍の一行、熊本の野田正、山隈惟勇氏等に関する最近の報に拠れば、一行無人島・木場島より八重山島に帰航後は石垣・西表両島の近海にて好漁場を求めんとて第一舜天丸(漁船)は西表に、第二舜天丸は石垣に分れて漁業に従事せしに時、あたかも冬期波荒くして海中不案内の場所なれば、その困難一方ならずしばしば危険に遭遇せしも乗組者はいずれも屈強の漁夫なれば相応の捕獲もありたり。斯くて野田、山隈の二人は頭船瀬川久米蔵と共にフカヒレ、油、魚肚、干肉、干皮抔を携へ大有丸便にて沖縄那覇港に入りしが、その製造品には県庁の人々も大に賞賛し、商人等は斯る品なれば神戸・長崎の貿易市場にても上位を占むるならんと評せし由、又遠征の諸氏は巳に木場・西表・石垣の諸島に漁場を求め好結果を得たるを以て、更に歩と進むる由にて野田・山隈・瀬川の三氏は、去る八日の球陽丸便にて熊本へ帰国し、更に幾艘の漁船を増加し北風の利便を以て、七島灘を越え八重山島まで漁船の航路を開きそれより無人島及び西表・石垣・の三箇所に分れ大に事業を拡張し、その中の一艘を以て探険船となし、或は他の無人島を探険し他の漁場を試漁する計画にて遠征隊は中林恭信・森永能彦・北島勇の三氏之を率い進んで従事する由なり。