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●漂流者淸國より還る
原文表記
●漂流者淸國より還る
去十一日上海より長崎に入港せし横濱丸の船客中鹿兒島縣楫宿郡山川村滿石良助、同縣川邊郡惡石島有川岩助及ひ本縣字土郡住吉村井澤彌喜太と云へる三人あり此人々は甞て琉球八重山島の南方尖閣群島に出稼し陸海の物產を採獲し居たるも都合によりて本年より其事業を引揚けんとて去六月四日漁人六名獵夫六名を携へ八重山島を發せしに海上暴風に遭ひ、帆破れ檣折れて進退全く自由ならず今は天運に任する外なしとて其儘手を拱して波に漂ひしに不思議にも同月十二日無事淸國溫州府平陽縣の江口港に漂着せり依て破れし舟を取り繕ひなどする中港の人々も其不運の憫み薪炭、食料等を與へ投所よりも金四兩を恵まれ七月十一日一同港を出帆福建州に向ひしに葉大の小舟此のあたりの荒波に堪えず又も打流されて「カポ」縣の三州港え漂着せり役人らしき者數名來りて三人を上陸せしめ夫々手當をなし且舟にも十分に修繕を加へ剰へ士官一名海兵廿名乘組める軍船を出し福建迄送り屆けんとて同月廿一日同所を發せしに又も途中にて暴風に遭ひ一時北家と云へる處に滯泊中偶同所に居合せたる福建の兵船右の一行を護し其翌廿二日同所を發し七日目にて無事福建に着し該官吏等は彌喜太を伴ふて海防廳に至り事の顛末を申告し其廳内に宿泊を許されしに不幸重なる一行の身は如何なる惡緣に縗はれしが其の夜又々盜難に遭ひ食料、船具は元より衣類其他殘らず奪ひ去られしかば同所海防廳に於て衣食を給せらるること三十五日此間同所に在る我商人も追々に集り來りて三人を慰藉し殊に樂善堂の小倉氏は金四圓と衣類一枚宛を恵贈し廬山軒の寫眞師某及ひ德和洋行よりは各金一圓宛を與へたり斯くて八月三十一日上海行の滊船あり同所通商局の吏員一名附き添ひにて出發し本月一日到着の上常磐舎と云へるに宿泊し、居ること六日其間の食料皆先方より支辨され且上海通商局長より金三十六圓、我林領事より十二圓、日本商人中より十圓を恵まれし、殊に林領事は長崎行の切符三枚を購ふて三人に與へ九日發の郵船横濱丸に乘組みて歸朝の途に就かしめたれば同十一日無事に長崎に到着し兩三日間滯在の上其鄕里に向けて出發したりと漂流百日にして無事に歸宅す本人と家族等との喜ひは言ふも更なり淸國官廳及ひ我居留官民の恵救は感するに堪へたり
現代仮名遣い表記
●漂流者清国より還る
去十一日上海より長崎に入港せし横浜丸の船客中鹿児島県楫宿郡山川村満石良助、同県川辺郡悪石島有川岩助及ひ本県字土郡住吉村井沢弥喜太と云へる三人あり此人々は甞て琉球八重山島の南方尖閣群島に出稼し陸海の物産を採獲し居たるも都合によりて、本年より其事業を引揚けんとて去六月四日漁人六名猟夫六名を携へ八重山島を発せしに海上暴風に遭ひ、帆破れ檣折れて進退全く自由ならず今は天運に任する外なしとて其儘手を拱して波に漂ひしに不思議にも同月十二日無事清国温州府平陽県の江口港に漂着せり依て破れし舟を取り繕ひなどする中港の人々も其不運の憫み薪炭、食料等を与へ投所よりも金四両を恵まれ七月十一日一同港を出帆福建州に向ひしに葉大の小舟此のあたりの荒波に堪えず又も打流されて「カポ」県の三州港え漂着せり。役人らしき者数名来りて三人を上陸せしめ夫々手当をなし、且舟にも十分に修繕を加へ剰へ士官一名海兵二十名乗組める軍船を出し福建迄送り届けんとて同月二十一日同所を発せしに又も途中にて暴風に遭ひ一時北家と云へる処に滞泊中偶同所に居合せたる福建の兵船右の一行を護し、其翌二十二日同所を発し七日目にて無事福建に着し、該官吏等は弥喜太を伴ふて海防庁に至り事の顛末を申告し、其庁内に宿泊を許されしに不幸重なる一行の身は如何なる悪縁に縗はれしが其の夜又々盗難に遭ひ食料、船具は元より衣類其他残らず奪ひ去られしかば同所海防庁に於て衣食を給せらるること三十五日此間同所に在る我商人も追々に集り来りて三人を慰藉し殊に楽善堂の小倉氏は金四円と衣類一枚宛を恵贈し廬山軒の写真師某及ひ徳和洋行よりは各金一円宛を与へたり斯くて八月三十一日上海行の汽船あり。同所通商局の吏員一名附き添ひにて出発し、本月一日到着の上常磐舎と云へるに宿泊し、居ること六日其間の食料皆先方より支弁され、且上海通商局長より金三十六円、我林領事より十二円、日本商人中より十円を恵まれし、殊に林領事は長崎行の切符三枚を購ふて三人に与へ九日発の郵船横浜丸に乗組みて帰朝の途に就かしめたれば、同十一日無事に長崎に到着し両三日間滞在の上其郷里に向けて出発したりと漂流百日にして無事に帰宅す本人と家族等との喜ひは言うも更なり清国官庁及ひ我居留官民の恵救は感するに堪へたり。