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●壯快なる哉圖南軍の發途

掲載年月日:1893/9/18(月) 明治26年
メディア:読売新聞 3面 種別:記事

原文表記

●壯快なる哉圖南軍の發途
圖南軍とハ沖繩南端の遺利を拾はんため熊本縣人山隈惟男外數氏の組織せる團体なり此の團体ハ曩に沖繩に航し客月晦日の夕刻荒れ續きたる暴風雨にも拘らず那覇港第一の好地「御揚城」と云ふ所にて壯快なる送別會を開けり來會者ハ奈良原知事を始め十數名にして奈良原氏ハ起て此の壯快なる發途を送るの演說を爲し次に自ら薩摩琵琶の一曲を聲髙らかに朗吟し夫より船旗授與式を行ひ漁船二艘に第一舜天丸、第二舜天丸の名を命じ終て酒杯の間に豪談し翌一日右一行ハ風雨に乘じて那覇港を發し激浪怒濤を衝て尖閣群島に向たりと

現代仮名遣い表記

●壮快なる哉図南軍の発途
図南軍とは沖縄南端の遺利を拾はんため、熊本県人山隈惟男外数氏の組織せる団体なり。
この団体はさきに沖縄に航し客月晦日の夕刻、荒れ続きたる暴風雨にも拘らず那覇港第一の好地「御揚城」と云う所にて、壮快なる送別会を開けり来会者は奈良原知事を始め十数名にして奈良原氏は起てこの壮快なる発途を送るの演説を為し、次に自ら薩摩琵琶の一曲を声高らかに朗吟しそれより船旗授与式を行い、漁船二艘に第一舜天丸、第二舜天丸の名を命じ終て酒杯の間に豪談し、翌一日右一行は風雨に乗じて那覇港を発し、激浪怒濤を衝て尖閣群島に向たりと。