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◎琉球那覇通信

掲載年月日:1885/8/10(月) 明治18年
メディア:時事新報 1面 種別:記事

原文表記

◎琉球那覇通信 七月廿五日那覇發
麻疹流行 本年は四月初旬より麻疹大流行廿五年目の流行のよしにて廿五歲以下の者は皆此病に罹らざるはなく恰も將棋倒しの勢ひにて何れの家も家内過半は皆病人なりそれがたに諸營業も殆んど中止の姿にて容易ならざる次第なりし併し幸にして皆輕症ゆゑ死亡者は患者十分の一二位のものなりし爰に一の奇事と申すは麻疹流行中米價の騰貴したることなり元來當琉球人ハ平日蕃薯を常食とする者多く病氣の時にあらされば米の飯或は粥を食はぬ風習なり故に今度麻疹の流行にて貧富を問はず各家皆米の入用ありしがたに斯く米價の騰貴したるなりと○コレラ病 麻疹の流行相濟みて先づ安心と申す間もなく今度は麻疹に比すれば一層の大强敵彼のコレラ病が少しつゝ流行し始めたる樣子にて過日以來今日まで聞込みたる同患者の數既に三十五六名に達したり監獄署にも兩三名の同患者ありとの噂あり依て當沖繩縣廳にても豫防方に盡力最中なるが麻疹流行後身体の健康未だ全く舊小復せざる折柄コレラ病の流行を防止するハ甚だ困難ならんと思ハる其上斯る流行病豫防の道に横はる大難事と申すは先年岩村氏が沖繩縣令たりし時當那覇人民よりの請願を許して那覇市中に豚の飼養を勝手に任せたる事是れなりご承知にも候はん當地にて豚を飼ふ法は元來人家に銘々雪隱を所持致さずして大小便の用を達するは皆豚小屋の石垣の上より其内へ放下致すと豚は内に在てこれを喰ふ仕掛けなり故に其豚小屋の不潔なる實に名狀すべからず殊に夏季に至れば奧氣四方に散しく鼻ももげるばかり當縣廳近傍の地の那覇第一繁華の地といへども此奧氣に馴れぬ人ハ一日も住居し得るものにあらず無理に辛抱せば必ず心經病を引起すことならん右の次第に付日本内地より渡來の人々ハ勿論琉球人といへども少し心ある者は此悪風俗と苦慮致居候へども去りとて養豚を禁止するは實地中中々行はるゝ事にあらず實に困却の次第なり若し今年コレラ病大流行して舜天王の子孫を尽して冥土に遂ひ遺るやうの騒動あらば如何に無心經の琉球人にても少しは目を覺まし豚の飼養法を改良することゝも相成べきり○醫學校 琉球にてハ是迄醫學校の設けなかりし處今度初めて之を設立し第一着に生徒三十名を募集し内十五名を寄宿生と爲し十五名を通學生と爲し敎員は有壁精一、岡松眞彥、藤田千次郞、花岡某の諸氏にて病院より兼務することゝなりたり醫學生を募集したる時ハ非常に大勢の志願者ありしよし○積金 本縣官吏ハ免職歸鄕旅費の廢せられたる以來旅費に差支え■うに朋友の義捐金を得て歸鄕したる者多く甚だ困難なる次第に付西村縣令は森大書記官猪鹿倉警部長等と謀り官吏一同銘々月給の高に應志て毎月何程■ゝの積立金を爲しこれを百四十七國立銀行支店へ預けて利に廻ハし置く事と爲し既に一萬五千圓餘の金額に達したるよしなり○各島巡回 露英の關係切迫して英獅露熊も襲來を慮りたる譯にてもあるか過般西村縣令は本縣雇汽船駿河丸にて宮古八重山兩群島へ出張し特に八重山諸島にハ銅柱を建てゝと申す理窟にて夫れ夫れ日本の國旗を建てこれより北日本領たるにとを明かり致し置きたるよし○共同墓地 當地にハ追いゝ日本内地人の入込む者增加するに付随て死亡者も大に增加したれども去ればとて琉球人の在來の墓地に内地人を葬る譯には往うず夫故今度恊議の末共同墓地を設くる事に致したり其方法は墓地買入れの費額の半分は當縣在勤の官吏中より出し跡の半分は寄留人民より出すことゝ爲し當地百四十七銀行支店の支配人田代靜之助氏ハ第一番に三百圓を出金する旨申出てたるよし百五十二銀行よりも百圓出す事になりたりとか聞けり○眞宗布敎 當縣にハ眞宗某派より布敎の爲め派遣志ある僧あれども何故か人望甚た少なく中等以上の人にて眞宗に歸依したる人は更になき樣子なり若し此地に耶蘇宣敎師が布敎に着手することあらば必ず全勝を得るならんと思ハる○西村縣令 當沖繩縣令西村捨三氏は甚だ評判よろし琉球人中にても惡く申す者少な志○脫走人歸國、去年支那より歸帆したる琉球人識名朝勝、澤砥安本、棚原正純(親方金武良常卒士)等は警察署にて訊問濟の上過日來裁判所撿事の手にて取調 なれば不日處刑の沙汰あるべし支那へ脫走人の處刑は今度が始めてなれバ幾分か人心に感動を生することならん又七月初旬にも三十人許りの琉球人支那より歸帆志たるが其内の重立ちたる者は龜川盛武の孫某(首里人)湖城某(久米村人)與坐某(同上)其他四名にて餘は皆水夫共なり今度の歸帆人等も總て拘留に相成りたるが水夫等は不日放免せらるゝならんとの說あり○尙典中城氏 今度舊藩王の嫡子尙典中城氏が歸縣したるハ老祖母病氣見舞の爲になりといふ然るに當地琉球人等も風說にては尙典氏は今度當縣准秦任御用掛を命せられたりといへり其眞偽は兎も角も一般の人心を案ずるに同氏ハ當縣官たる事を大に希望志居る樣子なり併し生の考に尙典氏は尙泰氏の長男にて當縣官たるは聊う不都合なる意味もあるべければ次男宜野灣朝廣氏を當縣官に採用する方よろしからんと思はる同氏は俊才の聞えありて今の時勢には平素注意し居る人なりとの噂あり

現代仮名遣い表記

◎琉球那覇通信 七月二十五日那覇発
麻疹流行 本年は四月初旬より麻疹大流行二十五年目の流行のよしにて二十五歳以下の者は皆この病に罹らざるはなく、あたかも将棋倒しの勢いにて何れの家も家内過半は皆病人なりそれがたに諸営業も殆んど中止の姿にて容易ならざる次第なりし併し幸にして皆軽症ゆえ、死亡者は患者十分の一、二位のものなりし、爰に一の奇事と申すは麻疹流行中米価の騰貴したることなり。元来当琉球人は平日サツマイモを常食とする者多く、病気の時にあらされば米の飯、あるいは粥を食はぬ風習なり。故に今度麻疹の流行にて貧富を問はず各家皆米の入用ありしがたに斯く、米価の騰貴したるなりと
○コレラ病 麻疹の流行相済みて先づ安心と申す間もなく、今度は麻疹に比すれば一層の大強敵、彼のコレラ病が少しずつ流行し始めたる様子にて、過日以来今日まで聞込みたる同患者の数、既に三十五、六名に達したり監獄署にも両三名の同患者ありとの噂あり、よって当沖縄県庁にても予防方に尽力最中なるが、麻疹流行後身体の健康未だ全く旧小復せざる折柄、コレラ病の流行を防止するは甚だ困難ならんと思はる。その上斯る流行病予防の道に横はる大難事と申すは、先年岩村氏が沖縄県令たりし時、当那覇人民よりの請願を許して、那覇市中に豚の飼養を勝手に任せたる事、これなりご承知にも候はん。当地にて豚を飼ふ法は元来人家に銘々雪隠を所持致さずして、大小便の用を達するは皆豚小屋の石垣の上より、その内へ放下致すと豚は内に在てこれを喰ふ仕掛けなり。故にその豚小屋の不潔なる実に名状すべからず。殊に夏季に至れば奥気四方に散しく鼻ももげるばかり。当県庁近傍の地の那覇第一繁華の地といへども、この奥気に馴れぬ人は一日も住居し得るものにあらず。無理に辛抱せば必ず心経病を引起すことならん。右の次第に付、日本内地より渡来の人々は勿論、琉球人といへども少し心ある者はこの悪風俗と苦慮致居候へども、去りとて養豚を禁止するは実地中中々行はるる事にあらず実に困却の次第なり。もし今年コレラ病大流行して舜天王の子孫を尽して冥土に遂ひ遺るやうの騒動あらば如何に無心経の琉球人にても少しは目を覚まし、豚の飼養法を改良することとも相成べきり。
○医学校 琉球にてはここ迄医学校の設けなかりしところ、今度初めてこれを設立し第一着に生徒三十名を募集し、内十五名を寄宿生と為し十五名を通学生と為し教員は有壁精一、岡松真彦、藤田千次郎、花岡某の諸氏にて病院より兼務することとなりたり。医学生を募集したる時は非常に大勢の志願者ありしよし。
○積金 本県官吏は免職帰郷旅費の廃せられたる以来、旅費に差支え■うに朋友の義捐金を得て帰郷したる者多く甚だ困難なる次第に付、西村県令は森大書記官猪鹿倉警部長等と謀り官吏一同銘々月給の高に応志て毎月何程つゝの積立金を為し、これを百四十七国立銀行支店へ預けて利に廻はし置く事と為し、既に一万五千円余の金額に達したるよしなり。
○各島巡回 露英の関係切迫して英獅露熊も襲来を慮りたる訳にてもあるか、過般西村県令は本県雇汽船駿河丸にて宮古八重山両群島へ出張し、特に八重山諸島には銅柱を建ててと申す。理窟にてそれぞれ日本の国旗を建てこれより北、日本領たるにとを明かり致し置きたるよし。
○共同墓地 当地には追い追い日本内地人の入込む者増加するに付、随て死亡者も大に増加したれども、去ればとて琉球人の在来の墓地に内地人を葬る訳には往うず、それ故今度恊議の末、共同墓地を設くる事に致したり。その方法は墓地買入れの費額の半分は当県在勤の官吏中より出し、後の半分は寄留人民より出すことと為し、当地百四十七銀行支店の支配人田代静之助氏は第一番に三百円を出金する旨申出てたるよし。百五十二銀行よりも百円出す事になりたりとか聞けり。
○真宗布教 当県には真宗某派より布教の為め派遣志ある僧あれども、何故か人望はなはだ少なく、中等以上の人にて真宗に帰依したる人は更になき様子なり。もしこの地に耶蘇宣教師が布教に着手することあらば必ず全勝を得るならんと思はる。
○西村県令 当沖縄県令西村捨三氏は、はなはだ評判よろし。琉球人中にても悪く申す者少なし。
○脱走人帰国 去年支那より帰帆したる琉球人識名朝勝、沢砥安本、棚原正純(親方金武良常卒士)等は警察署にて訊問済の上、過日来裁判所検事の手にて取調 なれば不日処刑の沙汰あるべし。支那へ脱走人の処刑は今度が始めてなれば、幾分か人心に感動を生することならん。又七月初旬にも三十人許りの琉球人支那より帰帆したるがその内の重立ちたる者は亀川盛武の孫某(首里人)湖城某(久米村人)与座某(同上)その他四名にて余は皆水夫共なり。今度の帰帆人等も総て拘留に相成りたるが水夫等は不日放免せらるるならんとの説あり。
○尚典中城氏 今度旧藩王の嫡子、尚典中城氏が帰県したるは老祖母病気見舞の為になりという。然るに当地琉球人等も風説にては、尚典氏は今度当県准秦任御用掛を命ぜられたりといへり、その真偽は兎も角も一般の人心を案ずるに同氏は当県官たる事を大に希望志居る様子なり。併し生の考に尚典氏は尚泰氏の長男にて、当県官たるは聊う不都合なる意味もあるべければ、次男宜野湾朝広氏を当県官に採用する方よろしからんと思はる。同氏は俊才の聞えありて、今の時勢には平素注意し居る人なりとの噂あり。