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◎沖繩縣通信
原文表記
◎沖繩縣通信 五月廿八日那覇發
英露の關係頗る切迫し既に英國艦隊ハ理不盡にも朝鮮も巨文島を占領したりといふ折柄西村沖繩縣令には管内取締等の爲めか共同運輸會社の駿河丸を雇入れて五月七日廳下を發し南部諸島の巡視を爲したり十九廿日の頃は宮古八重山兩群島に至り與那國島をも巡視しさり與那國島は臺灣を距る陸里廿五六里の東に在る絕島にして晴天の日には台灣の山を水天髪鬚の間に望み見るべし本年一月支那の兵隊を載せたる汽船一艘此島に來泊したるが全く台灣行の運送船が風を避け水を求むるために來りしものにて別に子綱はなかりしよし今回縣令の巡回にて八重山の内入表島與那國島とも更に番■と增築し屬官警員巡査等を常駐先と爲したり縣令巡回の時與那國島民は本年より島内に普通小學校を設立し度旨請願したりといふ西村縣令は去年の五月此等の南部諸島を巡回し今年の五月又此地方に來りたるを以て此等絕島の人民等も汽船の便利に驚き保護の厚きを喜び著しき感覺を生したりとぞ○八重山群島にハ今を距る五十一年天保初年の麻疹流行の際嶋内人口一萬餘の内二千餘人の死亡ありしと以て世の中に麻疹ほど怖ろしき病氣はなしと心得居りしが今回日本内地にて該病流行の沙汰を聞き恐怖し居る折柄過日日本形商船の來着するを見て鉦太鼓を鳴らし棒切等を振廻ハして船客の上陸を拒み一方には別仕立の飛船を縣廳に送て麻疹流行の際は内地より入船見合せの歎願を爲す等大騒動なりしが偶ま縣令の來着にて自今醫員も增置することヽなり種々說論もありしが爲め島民の恐怖心も消え失せたりといふ○八重山には古來斧斤を入れざる深山なり隨て野猪の害甚だしき所なるが今回久方振りにて千人計りの勢を搆へ猪狩りを爲したるが俄うの催しなりし爲め行屆かざる所もありしが人数の割合には獲物少なく僅か数頭の大猪を獲たるのみなり志と
現代仮名遣い表記
◎沖縄県通信 五月二十八日那覇発
英露の関係すこぶる切迫し、既に英国艦隊は理不尽にも朝鮮も巨文島を占領したりという折柄、西村沖縄県令には管内取締等の為めか、共同運輸会社の駿河丸を雇入れて、五月七日庁下を発し南部諸島の巡視を為したり。十九、二十日の頃は宮古八重山両群島に至り、与那国島をも巡視しさり。与那国島は台湾を距る陸里二十五、六里の東に在る絶島にして、晴天の日には台湾の山を水天髪鬚の間に望み見るべし。本年一月支那の兵隊を載せたる汽船一艘この島に来泊したるが、全く台湾行の運送船が風を避け水を求むるために来りしものにて、別に子綱はなかりしよし。今回県令の巡回にて八重山の内、入表島、与那国島とも更に番■と増築し、属官警員巡査等を常駐先と為したり、県令巡回の時与那国島民は本年より島内に普通小学校を設立し度旨、請願したりという。西村県令は去年の五月これ等も南部諸島を巡回し今年の五月又この地方に来りたるを以て、これ等絶島の人民等も汽船の便利に驚き、保護の厚きを喜び著しき感覚を生したりとぞ。
○八重山群島には今を距る五十一年、天保初年の麻疹流行の際、嶋内人口一万余の内二千余人の死亡ありしと。以て世の中に麻疹ほど怖ろしき病気はなしと心得居りしが、今回日本内地にて該病流行の沙汰を聞き恐怖し居る折柄、過日日本形商船の来着するを見て鉦太鼓を鳴らし、棒切等を振回して船客の上陸を拒み、一方には別仕立の飛船を県庁に送て、麻疹流行の際は内地より入船見合せの嘆願を為す等、大騒動なりしが偶ま県令の来着にて自今医員も増置することとなり、種々説論もありしが為め島民の恐怖心も消え失せたりという。
○八重山には古来斧斤を入れざる深山なり随て野猪の害甚だしき所なるが今回久方振りにて千人計りの勢を搆へ猪狩りを為したるが俄うの催しなりし為め行届かざる所もありしが人数の割合には獲物少なく僅か数頭の大猪を獲たるのみなりしと。