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地体構造より見たる八重山群島

掲載年月日:1924/6/21(土) 大正13年
メディア:八重山新報社 4面 種別:記事

原文表記

地体構造より見たる八重山群島
八重山新報 大正十三年六月二十一日

加世田高女 神田精輝
私は専門的に地質學・地形學を研究せんとするものではありません併し人文地理學が歴史學と密接の關係がありますので歴史と人文地理學の研究は相離る可からざる關係があらうと思ひます、人文地理の研究をするにはその基礎ともなる可き自然地理の研究が必要でありますので左の一編は主として大日本地誌及び諸博士の論文を參考してものしたものであります、   郷土地理研究及敎授上の御參考にもなりましたらと思つて掲げる事に致しました。
  一琉球灣の大要
九州南部から西南の方向に一大灣形を爲し飛石の如く連つて居る一列島は其大部分沖繩縣及び奄美大島であつて地學上これを琉球灣と稱し大隅 土喝喇 大島 沖繩 大東 尖閣の諸群島を抱括し我が八重山群島は其の最南端に當つて居ります
ジユース敎授は琉球灣の地体構造が中央アメリカの東海に連なつて居るアンチル諸島及び馬來半島の西海岸にあるニコバル・アンダマン諸島に酷似せる點の多い事を論ぜられ又その山脈は伊太利のアヘニン山脈及び東部ヨーロツパのカルパチア山脈に類似の點多き事等を指摘して居られます
又小藤博士は琉球灣に三列の構造的配列のある事を説かれて居りますが即ちその第一列は東支那海に面して居る霧島火山の南下であつて、霧島火山群を起點とし櫻島開聞岳、硫黄島(活火山 口之永良部島、口之島、中之島、諏訪湖島、等を連ね尚ほ本縣管内に入つては明治三十六年に噴火した島々を初め、伊平屋島、粟國島、久米島等の死火山等を現出し遂に我石垣島に及んで居る一列であります(併し近頃石垣島は尖閣列島等と共に臺灣大屯火山脈に属する一つの散布火山なりとの説、或は九州北部から海中を經て八重山群島となつて表れたものであるとの説を爲す學者もあるを御承知ありたい)それ故に大一列は何れの島も火山脈の特性を表し、中には活火山あり、休火山あり又前紀に於て盛に活動した死火山もあります、石垣島の一部、或は久米島の如きは明かにこの死火山に属す可きものであります
第一列が火山みやくなるに反し第二列は地殻の摺曲即ち横壓力 造山力によつて生じたもので從つて古成層で成立し、山岳相重なり丘陸性を爲し地相一般に峻嶮であります
屋久島の如きは周圍二里余に過ぎないが全島山岳を以て被はれ島中の八重岳は一八八五米に及び九州島第二の高峯をなし、九州第一の祖母山さへも一九八五メートルに過ぎないであります、大島本島沖繩本島化部、慶良間島八重山郡島等何れも土地高峻であります
第三列は土地低平であつて種子島喜界島 沖 繩本南部地方より宮古群嶋に至り、太平洋に面した一列であつて第三紀層から成り多くは隆起珊瑚礁に被はれて居ります宮古嶋、島尻、首里、那覇附近の如きは其好適例であります
以上の三列は大体に於て同心圓の圓弧を爲して平行しその南端は我が八重山群嶋に於て相合し又霧嶋火山みやくと臺灣北部の大屯火山みやくとは尖閣列嶋から、八重山附近に於て相合して居るものと考へられて居ります、氣象學上に於ては八重山は巳に人々に知られて居りますが地体構造の上から見ても決して輕々に附す可きものではない事は明かであります
  二石垣島
八重山ぐん嶋中石垣西表の兩島は面積の上に於ても第一位にありますが地体構造の上から見ても最も複雑であつて更に琉球諸たう中に於ても複雑なる點に於て他に譲らないのであります、先づ石垣しまは沖繩本たうに於る各種の古成層第三紀珊瑚礁の外更に新古の火成岩をも噴出し其構造琉球灣連嶺の一斷片である事は明かであつて嶋形が丁度アミーバが肢足を延ばして居る様で水平的變化即ち海岸線の出入が多く又無直線的變化即ち土地の高低も至つて變化に富んで居ります大体東北から西南の方向に延び西南部は澎大して軀幹部を爲し略方形であつて屋良部、川平の小半たうがありその間に、名蔵崎枝、川平の三灣を抱き、東の方には宮良崎、大濱崎があつてその間に宮良灣が潜入して居ります、この■幹部は主として古成層及び花崗岩から成立ち中央は山岳相連なり浮茂登だけは花崗岩閃緑岩多く其主峯をなして居ります
(未完)

現代仮名遣い表記

地体構造より見たる八重山群島
八重山新報 大正十三年六月二十一日

加世田高女 神田精輝
私は専門的に地質学・地形学を研究せんとするものではありません。併し人文地理学が歴史学と密接の関係がありますので、歴史と人文地理学の研究は相離る可からざる関係があろうと思います。人文地理の研究をするにはその基礎ともなる可き自然地理の研究が必要でありますので、左の一編は主として大日本地誌及び諸博士の論文を参考してものしたものであります。郷土地理研究及敎授上の御参考にもなりましたらと思って掲げる事に致しました。
  一 琉球湾の大要
九州南部から西南の方向に一大湾形を為し飛石の如く連って居る一列島は、其大部分沖縄県及び奄美大島であって、地学上これを琉球湾と称し、大隅、土喝喇、大島、沖縄、大東、尖閣の諸群島を抱括し、我が八重山群島は其の最南端に当って居ります。
ジュース敎授は琉球湾の地体構造が中央アメリカの東海に連なって居るアンチル諸島及び馬來半島の西海岸にあるニコバル・アンダマン諸島に酷似せる点の多い事を論ぜられ、又その山脈は伊太利のアヘニン山脈及び東部ヨーロッパのカルパチア山脈に類似の点多き事等を指摘して居られます。
又小藤博士は琉球湾に三列の構造的配列のある事を説かれて居りますが、即ちその第一列は東支那海に面して居る霧島火山の南下であって、霧島火山群を起点とし桜島開聞岳、硫黄島(活火山 口之永良部島、口之島、中之島、諏訪湖島、等を連ね尚お本県管内に入っては明治三十六年に噴火した島々を初め、伊平屋島、粟国島、久米島等の死火山等を現出し遂に我石垣島に及んで居る一列であります(併し近頃石垣島は尖閣列島等と共に台湾大屯火山脈に属する一つの散布火山なりとの説、或は九州北部から海中を経て八重山群島となって表れたものであるとの説を為す学者もあるを御承知ありたい)。それ故に大一列は何れの島も火山脈の特性を表し、中には活火山あり、休火山あり、又前紀に於て盛に活動した死火山もあります。石垣島の一部、或は久米島の如きは明かにこの死火山に属す可きものであります。
第一列が火山みゃくなるに反し、第二列は地殻の摺曲即ち横圧力 造山力によって生じたもので従って古生層で成立し、山岳相重なり丘陸性を為し地相一般に峻嶮であります。
屋久島の如きは周囲二里余に過ぎないが、全島山岳を以て被われ、島中の八重岳は一八八五米に及び九州島第二の高峯をなし、九州第一の祖母山さえも一九八五メートルに過ぎないであります。大島本島、沖縄本島北部、慶良間島、八重山郡島等何れも土地高峻であります。
第三列は土地低平であって種子島、喜界島、沖縄本島南部地方より宮古群島に至り、太平洋に面した一列であって、第三紀層から成り、多くは隆起珊瑚礁に被われて居ります。宮古島、島尻、首里、那覇附近の如きは其好適例であります。
以上の三列は大体に於て同心円の円弧を為して平行し、その南端は我が八重山群島に於て相合し、又霧島火山みゃくと台湾北部の大屯火山みゃくとは尖閣列島から、八重山附近に於て相合して居るものと考えられて居ります。気象学上に於ては八重山は巳に人々に知られて居りますが、地体構造の上から見ても決して軽々に附す可きものではない事は明かであります。
  二 石垣島
八重山ぐん島中石垣西表の両島は面積の上に於ても第一位にありますが、地体構造の上から見ても最も複雑であって、更に琉球諸とう中に於ても複雑なる点に於て他に譲らないのであります。先づ石垣しまは沖縄本とうに於る各種の古生層第三紀珊瑚礁の外、更に新古の火成岩をも噴出し其構造琉球湾連嶺の一断片である事は明かであって、島形が丁度アミーバが肢足を延ばして居る様で、水平的変化即ち海岸線の出入が多く、又無直線的変化即ち土地の高低も至って変化に富んで居ります。大体東北から西南の方向に延び、西南部は澎大して軀幹部を為し、略方形であって屋良部、川平の小半とうがあり、その間に、名蔵崎枝、川平の三湾を抱き、東の方には宮良崎、大浜崎があって、その間に宮良湾が潜入して居ります。この■幹部は主として古生層及び花崗岩から成立ち、中央は山岳相連なり、浮茂登だけは花崗岩、閃緑岩多く其主峯をなして居ります。
(未完)